僕も順調に育ち、幼稚園を卒業し、小学校へ入学するまでに成長した。
あの頃の我が家は問題が無いわけじゃないけれど、それなりに順調だった。
しかし今思い返すと、その辺りから「アダルトチルドレン」の兆しが見え始めていた様に思う。
目次
アダルトチルドレン。
アダルトチルドレンとはなんぞや?
まずは「アダルトチルドレン」について、ザックリな説明を少し。
「アダルトチルドレン」ってのは、「子供時代を子供らしく過ごす事が出来なかった人」を指す言葉らしい。
- 「親がアルコール依存症」で、又は「機能不全家庭」で、家庭自体がブッ壊れている。
- 「両親が不仲」で、子供が思ったままに愛情を求める事が出来ない家庭。
- 「虐待」等で、子供が心身共に傷つく家庭。
こんな状況の家庭の中で生活する子供が、いわゆる「子供らしく生活する」なんて事は難しい。
そして、「そんな人」が大人になり、生活に支障が出たり、「生きにくさ」を感じる人を指す。
子供時代を「子供らしく過ごせなかった人」ってのは、蓄積した歪みが、後々顔を出してくる場合が多いんだと感じる。
「子供らしく過ごす事が出来ない」ってのは、「自分の素の感情を出せない、出してはいけない子供」だ。
「そうせざるを得ない家庭」で育てば、余程の剛運が無い限り「自分の素の感情を出せない、出してはいけない大人」になるだろう。
事実、僕がそうだしね。
その「蓄積した歪み」ってのが「生きにくさ」の原因になり、その事で苦しんでいるのが「アダルトチルドレン」というわけだ。
※注意点
かなりザックリとした説明です。
「アダルトチルドレンって、こんな感じかな。」ってザックリな認識では「遠くはない」って程度です。
最近だと、「アダルトチルドレン」の書籍は腐るほどあります。
読んでみるのも良いと思います。
僕は凄く楽しめました。
「入学」に向けての意気込み。
入学への「ワクワク」。
さて、僕の話に入りましょうか。
未就学時代から特に生活の変化もないまま日々が過ぎて行き、僕には「小学校入学」という一大イベントが目前に迫っていた。
なんとなくではあったけど、子供ながらに「これから環境が変わるんだ。」という事を理解していた。
「不安」か「ワクワク」かで言えば、「ワクワク」していたのを覚えている。
しかし、その「ワクワク」ってのは、「新しい友達出来るかな。」とか「学校楽しいかな。」とかってモノじゃなかった。
ひと言で言えば「チッタのお披露目」ってのが近いと思う。
その頃の僕は、良い子にしていれば「母が喜んでくれる!」「母に褒めてもらえる!」という期待にドップリと浸かっていた様に思う。
幼稚園では、「お行儀良く」「トラブルを起こさない」良い子でいた。
すると、先生から母へ「チッタ君は今日も良い子でしたよー。」と伝えられるわけだ。
そうなりゃあ、母からお褒めの言葉を頂けるわけだ。
僕はその事を理解した、実に「打算的な子供」になっていた。
幼稚園から小学校に上がれば、「求められるモノ」もワンランク上がる。
当時は「成績」なんて概念は理解していなかったが、「ワンランク上の要求をこなせれば、もっと褒められる!」とワクワクしていたんだろう。
そして僕には「要求に応えられる(良い子でいる)自信」があった。
「小学校でチッタをお披露目すれば、更にカーさんから褒められる!!」
そんな期待を持ってワクワクしていた。
「しっかり」しよう!
小学校入学の直前の事だ。
「幼児向け雑誌」か何かの付録で「目標を書きましょう」みたいなモノがあった。
僕は「しっかりする」と書いたのを覚えている。
今にして思えば、「目標」ではなく、「自分への呪い」にしか思えない。
「しっかりする」ってのは、「優等生でいる」ってイメージだ。
僕はその頃に限らず、要所要所で「しっかりしよう!」と思いながら行動していた様に思う。
というか、「しっかりしなきゃダメなんだ!」と、強迫的に思い込んでいたんだろう。
「しっかりした人(優等生)」に憧れる(なりたい)気持ち自体は悪い事じゃないと思う。
6歳だか7歳辺りの子供が「なりたい自分」を明確に出来ていたってのは、我ながら凄い事だと思う。
でもねぇ、「悲しい目的」が見えちゃうんだよねぇ。
「自分がこうありたい!」って人物像を目標にしてるんじゃなくて、「こうなればカーさんが褒めてくれる!」って思惑が見えちゃうんだよねぇ。
悲しいなぁ。
小学校学校入学。
初めての担任の先生。
ワクワクや期待を胸に、僕は小学校に入学した。
そんな僕の「担任の先生」は、「厳しく、オッカナイお爺ちゃん先生」だった。
とにかく厳しく、オッカナイお爺ちゃん先生だった。
なんつうかさ、僕らは入学したての小学生よ?
多少ワチャワチャするし、ガヤガヤするじゃない。
そりゃあ授業の妨げになるのはマズイのはわかるから、叱られるのもわかる。
でもね、この先生、普通にブチ切れんのよ。
相手(僕ら)の年齢に合わせたお叱りやら注意じゃないの。
ガーー!!っと怒鳴って、その後は延々とお説教。
体罰こそ無かったけど、今だったら問題になる先生だったねw
当時のクラスメイトの雰囲気なんかは覚えていない。
「この担任の先生」についての愚痴なんかも聞いた記憶はないし、みんながどう思っていたかも知らない。
だけど、みんなは「それなりの絶望感」を持っていたんじゃないかな。
そう言う僕はどう思っていたか。
「絶望感」は全く無かった。
この担任は、軍人か何かかな?
この担任の先生は、「規律」や「整理整頓」にうるさい先生だった。
それらが守られていないと、物理的にうるさい先生だった。
- 「返事をちゃんとしなさい。」
- 「先生が話すときは、コッチを向きなさい。」
- 「廊下は走るな。教室で騒ぐな。」
という「規律」にうるさい。
- 「机の中、道具箱は整理しなさい。」
- 「机を床のマーカーから動かすな。」
- 「机が動いてるのは、ちゃんと座ってないからだ。」
と、「整理整頓」にうるさい。
「言われてる事自体」は、真っ当なモノだんだんだけどね。
でもまぁ、相手は入学したての小学1年生なのよ。
「100%全て守れます。」なんてのを求めるのはどうかと思う。
「守れないだろう」って前提で要求して、適切に教育するってんなら良いけどさぁ。
怒号ってどうなのよ。
子供を恐怖で支配しちゃイカンでしょうよ。
しかも教師が。
まぁ、そんな感じの「オッカナイ」先生だったわけだ。
でも僕は、この先生が嫌いじゃなかった。
なんだったら、やりやすかった。
というか「この先生の要望」には、ほとんど応えられていたんじゃないかな。
実際、この先生は「チッタ君を見習いなさい!」と、しょっちゅう言ってたのを覚えている。
そして僕は、「良い気になっていた」のを覚えている。
顔色をうかがう子供。
僕はあのクラスで「模範的な優等生」だったんだろう。
返事はちゃんとするし、先生から視線を逸らす事はない。
何故か?
全力で「先生の顔色をうかがっていた」からだ。
先生の顔色をうかがっていたから、先生の指示や思惑を聞き漏らす事はない。
だから、廊下も走らないし、教室で騒ぐ事も無い。
机の中や道具箱は、常に整理されている。
机の位置がマーカーからズレていないかのチェックを怠らない。
僕は、そんな子供だった。
むしろ僕は、「あぁ、なんてやりやすい人なんだろう。」なんて事を感じていたんだと思う。
僕はそれまで、兄の(厳密には母の)ご機嫌取りばかりしてきた。
「兄のご機嫌取り」には正解が無い。
「昨日の正解」が「今日の不正解」になる事が当たり前だ。
あの頃は「今日のニーさんの状態」から、「適切な答えを選択する」なんて高度な事は出来なかった。
なんでも試して、何度も癇癪を受け、「正解の無い修正箇所」を模索するしかなかった。
しかし、この先生は「明確な正解」を用意してくれていた。
不正解を選択すれば怒号が飛んでくる。
だけど、「明日も明後日も不正解に変更がない相手」というのは、どれだけ厳しかろうが、僕には「天使の様な存在」に思えた。
まぁ、「天使」も「この先生」も、必ずしも「良い存在」と言えるかは別問題だが。
「アダルトチルドレン」の兆し。
僕の小学校入学への「ワクワク」は、「新たな環境」「新たな人間関係」といった「僕自身の人生」に対するモノではなかった。
結局は、「上手くやって、母に褒められたい。」という「愛情飢餓」からのワクワクだ。
そんな「愛情飢餓」から、「もっとカーさんに愛される為に!」と、導き出した目標が「しっかりする」「優等生になる」というモノだった。
その結果、「初めての担任の先生」からは気に入られた様だ。
その頃の僕の原動力は、一貫して「母に愛されたい」と思う気持ちだ。
その気持ちから、「母の顔色をうかがう」のが習慣になったんだろう。
しかし、「母相手」になら、まだ良かったんだろう。
いつの間にか、「顔色をうかがう相手」が「兄」になり、「先生」になり、大人になる頃には「母から遠い相手」にまで離れていった。
「愛情飢餓からの行動」ってのは、結局は「相手への期待」なんだと思う。
僕の場合は「母から褒めてもらう事」だ。
あの頃は、兄の機嫌を取れば、母に褒められた。
あの頃は、幼稚園や学校で優等生になっていれば、母に褒められた。
しかし、成長していくにつれて、母に褒められる事は少なくなっていく。
「兄のご機嫌取り」が、僕の手に及ばなくなり、母が喜ぶ頻度が減る。
もはや、「誰に褒められたいのか」がわからなくなり、「やりたくもないご機嫌取り」をしては疲弊する。
頑張ってのに、「相手が期待に応えてくれない。」と怒りが湧く。
後の「アダルトチルドレン的な生きにくさ」に繋がる兆しが、この頃から出始めていた様に思う。