断酒会

僕は断酒会に参加した事がある。

「アルコール依存」の問題に向き合う人の、「ナマの声」を聞いてみたかったから。

断酒会に参加した事で、色々とわかった事があった。

僕にとって、1番の収穫は「アルコールに依存する人」のイメージが変わった事だった。

そんな話。

断酒会とは?

ザックリ言うと、「アルコール依存に悩んでる人達が集まって、一緒に断酒しましょう。」って会合。

映画やドラマで、「何かしら」の問題を抱えた人達が輪になって、身の上話をするシーンを見た事がないだろうか?

あれを「自助会」と言うんだけど、「自助会」の「アルコール依存版」みたいなモノ。

 

「断酒会」とか「AA(アルコホーリクス・アノニマス)」とかって種類があるらしい。

正直、僕はあまり詳しくない。

僕が参加したのも「AA」の方かもしれない。(わかりやすく「断酒会」とします)

 

参加条件も色々とあります。

  • アルコール依存に悩む人「本人のみ」参加可能。
  • アルコール依存の問題を抱える人と、「その家族」まで参加可能。
  • 誰でも参加可能。

こういった種類分けがある。

自身の問題に対する「場所」なので、こういった配慮があるみたい。

断酒会に参加しよう

僕が30代前半の頃あたり。

その頃の僕は、「家族の抱える問題」について調べていた。

 

「アダルトチルドレン」やら「愛着障害」やら。

僕自身も抱えている問題。

「統合失調症」やら「強迫性障害」やら。

兄が抱える問題。

そして、僕の家族がみんな抱えていた「アルコール依存」

そんな本を読みまくっていた。

 

そんなある日、友人からLINEが来た。

友人「チッタ、断酒会とか興味ない?」

チッタ「ある。」

この友人の家も、チッタの家とは別の方向でぶっ飛んでいる。

この友人も、「家庭問題」について勉強していて、僕達は情報交換したりアレコレ話したりしている仲だ。

その当時、友人は心理学の教室に通っていて、授業に出た「アルコール依存」や「断酒会」に興味が出たらしい。

 

僕と友人は「アルコール依存症」じゃない。

僕の家族は「アルコール依存症」だけど、友人の家族は「アルコール依存症」じゃない。

そんな訳で、「誰でも参加OK」の「オープン」という種類の断酒会に参加する事になった。

会場は同じ市内にある教会。

開始時刻は19:00。

僕達はバイト終わりに教会へ向かった。

教会に着いて

僕達は教会に着いた。

僕は初めて教会に来た。

「まさか、礼拝堂みたいなところでやるのかな。」

かなりワクワクしたのを覚えている。

しかし案内に従って着いた先は、教会敷地内の会議室の様な場所だった。

 

そこで責任者?主催者?の方に挨拶と自己紹介をした。

そこの「断酒会」は60代くらいの女性と40代くらいの男性のふたりで運営しているとのこと。

おふたり共、物腰柔らかな人で、元々は断酒会に「参加する側」の人だったと言う。

今ではお酒を断ち、運営側として自身の断酒と、「今現在アルコール依存に悩む人のお手伝いを」と頑張っているおふたりだった。

僕と友人は「自身がアルコール依存に悩んでる訳じゃないのに、参加しても大丈夫なのか?」と、少し不安だったけど、おふたり共暖かく迎え入れてくれた。

「まぁ、コーヒーでも飲んで、ゆっくりお話しましょう。」といった雰囲気で、開始を待った。

 

既に到着していた参加者の人。

僕達の後から到着した人。

みんな顔馴染みらしかったけど、そこに「ふたり」見慣れない顔がある。

そんな僕達に「よろしくー。」と声をかけてくれて、アウェイ感はあまりなかった。

断酒会が始まって

開始時刻になり、「断酒会」が始まった。

正直、かなりイメージと違った。

 

僕のイメージする「断酒会」は、円状に座って話していくモノだった。

僕が参加した断酒会は、思いっきり会議室。

長机に座って行うモノだった。

そして、「型式」がまたイメージと違った。

  • 本が渡される。
  • みんなで一行ずつ読んでいく。
  • ある程度読み進めたら、内容に対して意見のある人は話す。

こんな型式だった。

多分、この辺が「断酒会」と「AA」の違いなんだろう。

多分、僕が参加したのは「AA」。

因みに本の内容は、多分、聖書系の物語。

「アルコール依存」は出てこなくて、「上手くいかない人間関係?」みたいな内容だったと思う。

 

まぁ、そんな感じで進んでいった訳だ。

正直、本の内容も「アルコール依存」とは別の感じだったし、「なんだコレ?」って感じだった。

何より、オシッコ行きたかった。

しかし、「本の内容に対する意見」を聴いてみると、「あぁ、なるほど。」「この人はそういうキッカケでお酒に走ったのか。」と、「アルコール依存」に悩む人の「ナマの声」を聴けた気がした。

断酒会が終わって

僕は猛ダッシュでトイレに行った。

大丈夫。間に合った。

部屋に戻ると、責任者の方や参加者数名が残っていてくれた。

コミュ力オバケの友人が話を進めていてくれた様だ。

 

全体の参加者は10名程度いただろうか。

30代40代くらいの人が多かったと思う。

男性は少なくて、僕達以外ではふたりくらいだったかな?

とにかく、4、5名の参加者が残ってくれてたと思う。

 

皆さん、新しい顔ぶれに興味があったらしく、僕達は改めて自己紹介した。

僕は、「アルコール依存の問題を抱えた家族」の心情を知りたくて。

友人は、「アルコール依存」の問題こそ無いけれど、「家庭問題」の一環として、自身に繋がるモノがないかを学ぶ為に。

そんな事を話した。

 

僕や友人にとって、「アルコール依存の問題を抱えた人のナマの声」はとても貴重なモノ。

参加者の皆さんにとって、「自身」ではなく「アルコール依存の問題を抱えた人」の「周りの人のナマの声」もまた、貴重なモノだったらしい。

この両側の意見が、「家族友人」の様な「近い存在」ではなくて、「たまたま居合わせた他人」というのが上手く作用して、かなり良い情報交換になったと思う。

アルコール依存のイメージ

僕にとって「アルコール依存症の人」のイメージは「一色」だった。

「アルコール依存症の人は、みんな僕の家族みたいな人なんだろう。」

そんなイメージだった。

 

実際に「ナマの声」を聴いてみると、当たり前だけど「十人十色」だった。

悪い言い方をすれば、「僕の父の様なダメな人」がなるモノだと思っていた。

しかし、参加者の中には「バリバリのキャリアウーマン」の人もいた。

その人自身、「気が強くて、正義感、責任感が強い。」と言っていた。

むしろ、「そういう人」の方がどっぷりハマってしまう様な話を聴く。

 

「何か」に逃げる為に「お酒に走った」のは、僕の父と似た感じだろう。

だけど、キッカケになるモノ、環境は、本当に「人それぞれ」なんだと感じた。

僕が感じたこと

正直、悪い言い方で申し訳ないけれど、参加者の中には、「強制されて参加してるのかな?」と感じてしまった人もいた。

開始時間に遅れて来て、誰よりも早く帰り、他の参加者の話にも興味無さげ。

その人の事情を知らないから、強い言葉は控えたいけれど、どこか「うつうつ」とした印象を持った。

 

気質の違いもあるけれど、意欲的に発言したり、発言は少ないけれど、他の参加者の話を熱心に聴く人。

そういう人は、「イキイキ」している様に見えた。

「この人、こんな問題抱えてんの!?メッチャ普通の良い人じゃん!?」って、話を聴いてて思うくらいだった。

 

「自分の問題と向き合って」「変わりたい(良くしたい)」と心から思い、行動するのが大事なんだと感じた。

僕の勝手な印象だけど、「イキイキ」してる人は、その辺りを大切にしてるんだろうと思った。

アルコールに依存する人にとって、「断酒」はとてもツラいモノだと思う。

だからこそ、「誰かに言われたから」では続けられないだろうな。と。

本気で自分自身が「断酒」しようと決心しなければ継続出来ないモノなんだろうと感じた。

 

この事は、「アルコールの問題」以外にも言える事だと思う。

自分で「直したい(治したい)」「良くしたい」と決心して、行動しなければ「良く」なってはいかないんだと。

1円もお金を使わずに、凄く勉強になる体験だった。

 

 

 

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