僕とお酒

僕の家族は父、母、兄、僕の4人家族。

父、母、兄は、アルコールに溺れている。(今は知らないけど)

僕は家族のアルコール絡みの問題で苦しめられた。

そんな家庭で育つと、アルコールを毛嫌いするか、自分もアルコール沼にハマるかで2極化するケースが多いらしい。

しかし僕は、友人から見てもアルコールと上手く付き合えている様だ。

そこで今回は、僕にとってのアルコールについて。

  • 「メリット」「デメリット」
  • 飲む理由。
  • チッタ式アルコールとの付き合い方。

についてをまとめてみようと思います。

僕にとっての「メリット」「デメリット」

メリット

美味い!!

純粋に味が美味しいと思う。

あと、熱燗を飲んで、じんわりと体が熱くなる感じ。

冷凍庫でキンキンに冷やしたウォッカを飲んだ時の、食道や胃が焼ける様な感覚も好き。

自分の内面への感受性が高まる。

僕は秋や冬といった寒い季節が好きなのだけど、そんな時に熱燗を飲んで体が温まると、より強く季節を感じられる。

お酒を飲みながら映画だったりを観ると、世界観に深く入り込める。

「美味しい」や「寒い」とかって言う、外部からの刺激みたいな、表面的?なものではなくって、「嬉しい」とか「楽しい」みたいな、自分の内側に受けるものの感受性が高まるイメージ。

デメリット

僕はあまりお酒に強くない。

度数にもよるけど、5%程度なら3杯が丁度良い。

4から5杯位になると、神経が高ぶって眠れなくなる。

6杯以降になると、次の日に残ったり、喉がメッチャ痛くなる。

 

頭が鈍化する。

感受性が高まる反面、それに対しての考えがまとまらなくなる。

会話等で、瞬発力を必要とする場面ではもどかしく感じる。

外部からの刺激に鈍化する。

味覚や嗅覚なんかは鈍化するのを感じる。

僕がお酒を飲む理由

良くない理由

20代初期から半ば位に、僕は夜勤をしていた。

初めは良かったけど、徐々に昼間に眠れなくなってきた。

仕方ないので寝酒に手を染める。

これがまた悪かった。

「飲まないと眠れない」から「飲まないと眠れないんじゃないか?」と言う不安が出て来て、お酒の量が増えていった。

そんな状態で仕事に行っても、体調は良くない。

次第に体重が増え、おっぱいが出てきた辺りで「ヤバい!!」と思い、寝酒は辞めた。

 

雰囲気重視

お酒を飲んで稲川淳二さんのYouTubeを観ると、稲川ワールドに深く入り込めて好き。

雰囲気に同調出来る感じがする。

お話しする相手がお酒を飲んでいる時に、自分もお酒を飲むと、やはり同調出来る感じがする。

 

食事やおつまみもそうだけど、それらを味覚よりも雰囲気で楽しみたい。

元々バカ舌だし、細かい味なんてわがんねのよ。

雰囲気重視。

「好きな雰囲気を、より深く楽しむ為のツールとしてお酒を飲む」って言うのが、1番しっくり来る理由。

チッタ式アルコールとの付き合い方

お酒を毛嫌いしない理由

 

僕は、アルコールを悪い物だとは思わない。

ただのツールとして見ている。

お酒を飲んで「アカン事」になる人は、元々「アカン人」だと思ってる。

 

父にしてもそうだ。

僕の家族で最もお酒で壊れた人。

お酒で壊れたのは確かだけど、父の問題はお酒だけではない。

この世にお酒が無かったら、我が家は安泰だったか?

そんな事は全くないのだ。

お酒が無くても、父は「アカン人」。

お酒が無くっても、我が家に歪みは生じたでしょう。

問題はもっと別にある。

この事を僕は過去の「呪いのノート」で分かっている。

 

包丁は凶器になります。

では、包丁は悪ですか?

そんな事はない。

結局、その「ツール」を使う人次第。

だから僕は「お酒」が悪い物とは思わないし、適正な使い方をすれば人生を豊かにしてくれると思っている。

飲み過ぎない為に

 

適度な量なら、お酒はとても素敵な時間をくれる。

飲み過ぎれば、待っているのは地獄だ。

僕だって地獄は見たくない。

「受ける快楽」と「その後の地獄」を天秤に掛けると、地獄を見たくない方に傾く。

だから飲み過ぎない。

自分の許容度を測る為に、何度もデータを取った。

導き出たのが「3杯程度がベター」。

次の日もやりたい事、やらなきゃいけない事があるから、僕は飲み過ぎに注意する。

お酒に溺れない理由

僕の家族は、「お酒で快楽を得る」と言うより、「嫌な事から目を背けたい」って感覚だと思う。

僕は「嫌な事はとっとと解決したい」派。

これは家庭の事情なのだけど、僕は自分で問題を解決するしかなかった。

家族は助けてくれるどころか、新たな問題を届けてくれるからね。

逃げたくなったし、実際にお酒に逃げた事もあった。

でも、お酒のチカラで忘れても、事態は悪化するだけだった。

だから僕は、お酒に逃げる飲み方はしない。

 

どーーー仕様も無くなった時。

自分の手に負えない状況になったら、別の手段を取る。

距離を取るのだ。

これは「逃げる」のとは別物。

  • 「逃げる」は目を背ける。
  • 「距離を取る」はガン見する。

僕はこんな感覚で捉えている。

 

例えば、お金の問題。

支払い期限が迫って、どーーー仕様も無くなったとしよう。

僕は「踏み倒し」か「借金」かの選択が頭によぎる。

僕なら「借金」を選ぶ。

 

「踏み倒し」と言う「逃げ」を選択すれば、その後、降り掛かる問題がどうなるか分からない。

目を背けている分、予測がつかない。

分からない不安が付き纏う事になる。

 

「借金をする」と言う、一度「距離を取る」選択をすれば、借金返済はツラいかも知れないが、予測がつくし対処も出来る。

一時しのぎに過ぎないけど、「借金返済」と言う問題をガン見していれば、いずれ解決出来る。

 

僕は「嫌な事はとっとと解決したい」派であるので、「問題」をガン見していたい。

お酒は「ガン見」するチカラも弱らせる。

だから僕は、お酒に逃げる飲み方はしない。

別の手段

「人の心を忘れた冷血マシーン」と呼ばれた事もあった。

とんでもない。

僕にも嫌な気分になる事はある。

僕だって人間ですもの。

そんな時、僕はお酒を飲まない。

サウナへ行く!!

サウナで1セットこなすと、物理的にも内面的にも視界がクリアになる。

嫌な気分になれば、その「視界」は狭まるものだ。

「視界」がクリアになれば、見えていなかったものも見えてくるし、別の視点で見る事も出来る。

わざわざお酒で次の日の心配なんてする必要がないんだ。

お酒の楽しみはお酒ですれば良い。

お酒じゃなくても、別にもっと良い手段があるなら、そっちを選択すれば良い。

だから「あー!!ムカつく!!酒だ!!」とはならない。

当たり前にしたくない

お酒は美味しい楽しい!!

だけど、日常化すれば、その感動も薄れる。

僕はお酒でもサウナでも、幸福を感じられるものを当たり前にしたくないのだ。

だから、お酒も「特別なもの」として、飲む日はある程度決めてある。

「空腹は最高のスパイス」って言うでしょ?

あれです。

僕とお酒

僕にとってお酒は、実はあまり重要ではない。

お酒は確かに素敵な物だけど、無ければ別の楽しみを探す。

それ位のゆるい間柄。

 

一生、ピザポテトを食べられないとしても、別のポテチを見つければ良い。

ピザポテトを食べられなくなったら、確かにツラい。

どうしても食べたくなる時も来るだろう。

でも、「あーーー!!ピザポテト!!食べたいよぉー!!あーー!!キイイィィーーーーー!!」とはならない。

なる人は、もっと別で問題を抱えていると思う。

そっちに目を向けた方が良い。

 

ひとつに依存するのは危険だと思う。

何故そこまで依存してしまうのだろう?

自分がお酒を飲む理由はなんだろう?

と考える方が楽に生きていけると思う。

何故お酒が必要?

何故それをツラく感じた?

別の手段は無いか?

問題の根源は何だろう?

こうやって考えまくったから、僕はお酒に依存しなかったんだと思う。

 

「お酒」を毛嫌いする人は、今までに「お酒」で嫌な経験があるんだろう。

僕もあった。

だけど、それは本当に「お酒」のせいだろうか?

お酒が存在しなかったら、起こらなかったものだろうか?

お酒抜きの「その人」に問題は無いのだろうか?

別の問題は無いのだろうか?

こう考えまくったから、僕は「父のアルコール問題」と「お酒」を切り離す事が出来たし、お酒を毛嫌いする事もなかった。

 

何度も言うが、僕にとって、お酒はツールに過ぎないんだ。

お酒に支配されるのは性に合わない。

だから適正を見極める。

酔っ払った人を見れば、「ツールの使い方」を含めた「その人」を見る。

お酒に良いも悪いも無い。

使い方次第。

これからも自分なりの「良い使い方」でお酒と付き合っていこうと思う。

 

くら寿司も買ったし、飲むぞーー!!

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