中学校での生活。

僕の生い立ちを話すと、どうしても「家のこと」ばかりに集中してしまいますね。

まぁ、家庭事情がそれなりに大変だったので当然かとも思うのですが、「家庭に問題を抱えた子供の学校生活」という話も多少需要があるのかな?と。

正直、中学校生活の記憶はあまりないのですが、少ない記憶を紹介してみようかと思います。

いじめ(仮)

「チッタ、中学ん時、いじめられてたよね?」

僕が成人式に出席した時のこと。

久しぶりに会った同級生に言われた一言です。

「でもチッタ、中学ん時、いじめられてたよね?」

何故そんな話になったかは覚えていませんが、その時、何故か空からポテチが降っていたことは覚えています。

 

「あー、あれって、いじめだったんだ。」

これが僕の感想。

僕は「それ」を「イジリ」だと感じていたし、周りからの当然の反応であったと思っていました。

「いじめ」と「イジリ」の違いを明確に言語化することは出来ませんが、僕の中ではせいぜい「いじめ(仮)」程度のものでした。

 

いじめられた(いじめられる)時のダメージは、当然、「具体的な行動や状況によるダメージ」が大きいと考えます。

それと同時に「相手(周囲)からの悪意を感じたダメージ」というものも大きな負担になると考えています。

中学生当時、僕が受けた「いじめ(仮)」では、身体的なものは置いておいて、「悪意」の様なものはあまり感じていなかったんですよね。

まぁ、僕が受け取らなかっただけで相手には悪意があったのかもですが、僕はいじめと感じてはいませんでした。

あの状況を言語化するなら「ウザ絡み」が僕にはしっくり来ます。

具体例

「音楽」の授業で「みんなで合唱する」みたいな時間があったのですが、そこで僕は複数人から攻撃を受けていました。

「攻撃」と言っても、「四方から丸めた教科書でポコポコ殴られる」程度のものです。

これはうざかったw

ただ、僕もやり返していましたし、さながら「カンフー映画」の様な感じだったと思います。

まぁ、「クラスの3割 対 僕」の構図を放置して授業していた教師は少し変わってるなと思いますw

 

まぁ、「戯れてるだけ」と、教師と僕を含めた全員が感じていたのでしょう。

幸い、「どうしようもない状況」ではありませんでした。

「やり返せる余地があった」んですね。

僕は幼い頃から「どうしようもない状況」を兄から受けていました。

案外、「やり返せる状況」を楽しんでいたのかも知れません。

歪な形ではありますが、「僕のガス抜きにもなっていたのかな?」と、今では思います。

 

他にも「軽い無視」ならありました。

「軽い」というのは、「無視するのは一部の人間(主に攻撃してくる人)」という意味です。

僕からの接触は無視。

これに関しても、僕は気になりませんでした。

何故なら、僕は「クラスメイト全員」を見下していたから。

「気にも止めていない相手に構う手間が省けた」といった感覚でしょうか。

嫌なヤツですね。

 

僕は幼い頃から20代位まで「歳上以外を見下す」という習性がありました。

多分、僕がいじめ(仮)られた主な理由でしょう。

こういう「相手を見下す」といった感性は、自分で意識しなくても周囲に伝わるものだと思います。

僕は「クラスメイトを見下している」自覚がありました。

僕が「いじめ(仮)を受けた」事を「相手の当然な反応」と考える理由が「クラスメイトを見下している」という自覚です。

いじめ(仮)の終わり

もうひとつの具体例があります。

それは「僕の机の落書き」です。

僕の机はペンやら修正液で「寄せ書き」の様になっていました。

ただ、「死ね」みたいなことは書かれていませんでした。

そんな理由から、僕は「机の落書き」を「僕のファンによる掲示板」か何かだと感じていました。

 

僕は真面目に授業を聞く気もなかったので、机には興味がありませんでした。

「うぜえな。」とは思いましたが、「カラフルな机のせいで視界が騒がしい」程度の負荷でしたね。

しかし、この「机の落書き」が「いじめの終わり」に繋がることになります。

 

ある日、落書きの「言葉の羅列のひとつ」がたまたま目に留まりました。

「チッタうざい」

そっかー。

僕はうざかったのかー。

じゃあ、もう相手してやんねー。

僕は「僕を攻撃する相手」を徹底無視することに決めたんですね。

 

「僕を攻撃する相手」を「いない者」としました。(実際はそこまで器用なことは出来ないので、あくまで意識の話です)

ちょっかい出されても無視。

囲まれて攻撃(物理)されても無視を貫きます。

要は「無反応」を決め込んだわけです。

一月もしない内にいじめはなくなった様に思います。

 

やはり僕が受けた「いじめ」は「いじめ(仮)」だったのでしょう。

相手は「僕の反応」が楽しかったのでしょう。

僕が無反応になったから楽しくなくなった。

幸い「なら、反応させてやる!」という輩はいませんでした。

ですので、僕は「いじめを受けた」とは今でも思っていません。

 

成人式の日、僕と話していたクラスメイトから聞いた「チッタさ、中学ん時、いじめられてたよね?」の一言。

その時知ったのですが、「チッタ=いじめられてた」という認識は、当時の共通概念だった様ですw

周囲には僕が感じた「いじめ(仮)」は、明確に「いじめ」と映っていた様です。

その後の中学生活での僕を観た彼らの目には、僕は「恐ろしくメンタルが強い人間」か、「何考えてるかわかんない気持ち悪い人間」とでも映っていたのでしょう。

※ 注意

「いじめ」という問題を話す上で、これだけは言っておきます。

この件はあくまで「僕がいじめと受け取らなかった」というだけです。

似た様な境遇で強いダメージを受ける人もいるでしょう。

そう受け取った人は「いじめを受けた」と、自身の傷を素直に認めれば良いと思います。

僕が強かったわけじゃないです。

その人が弱いわけでもないです。

ただ、「受け取り方が違った」というだけ。

もちろん、僕の受け取り方や行動が必ずしも良いわけでもないでしょう。

「良し悪し」の話でもありません。

「チッタにはこんな経験があった」程度に受け取る様、お願いします。

交友関係

それなりに友達(仮)はいた。

また(仮)とかうるさいですねw

なんと言いますか、話したり遊んだりする相手はそれなりにいました。

(仮)というのは、僕が「友達」だと認めていなかったんですね。

 

まぁなんと言うか、「職場で仲の良い人」っているじゃないですか?

プライベートでは関わらないけど、職場の休憩中とかは話す人。

そんな感じです。

 

先程も書きましたが、僕は「同い年や歳下」を粗無条件で見下していました。

学校で話したり学校外であそんだりもしましたが、相手は「見下した同い年」です。

「同じ土俵にいない相手を友達なんて思わんよw」

昔は考えが無意識下にありました。

クソ野郎ですね。

 

僕の考えを知ってか知らずか、受け入れてくれる人がそれなりにいたんです。

本当にありがたいことです。

大人になり、自分と向き合う作業をして初めて「その人達の優しさ」がわかりました。

ブラックジョーク大好き!

小学生の頃からなのですが、僕は「自信が抱える家庭問題」を周囲に「ネタ」として喋りまくっていました。

純粋に「面白いだろ!」って思ってたんですねw

今考えると、ただの「気持ち悪いヤツ」ですね。

 

とは言っても、主に話していたのは「父のアルコール依存症エピソード」です。

「兄からの暴力」については話さなかったですね。

面白くないから。

とにかく、「父親が階段から転げ落ちた」だの、「水槽を頭突きでブチ破った」だのと、笑いながら話していました。

まぁ、クラスメイトは引いていたんだと思いますw

ですが僕は「ウケた!」「やっぱ僕(の話術)は面白いんだ!」と勘違いして楽しんでいました。

 

今思えば、「この環境」というのは、僕にとって「救い」であったと思います。

某ひろゆきさんが「こんな話」をしていました。

「嫌なことがあっても、それを笑い話として話せる相手がいる場合、メンタルは安定する。」みたいなことを。

僕に「家庭問題話を聞いてくれる(ドン引いていたとしても)人がいた」という環境が、僕が兄ほどメンタルを壊さなかった大きな要因だと思います。

「ガス抜き」になっていたんでしょう。

当時は「あの家庭環境を笑い話に出来る僕の話術!」と、勘違いしていたのですが、結果としては良い行動だったのだと思います。

まぁ、「反応に困る…。」と思われていたでしょうね。

部活動

交友関係か?は疑問ですが、僕は中学時代にハンドボール部に所属していました。

当時の「人気部活」はバスケ部でしたね。

少し時期はズレますが、「スラムダンク」の影響です。

僕もバスケ部には興味がありました。

ですが、「バスケ部はガチ勢の集まり」という噂を耳にして選択肢から除外しました。

そこで出てきた選択肢が「ハンドボール部」です。

 

今では「ルールは知らないけど、あのスポーツね。」くらいの認知度があると思いますが、当時はほとんど認知されていなかった様に思います。

部活説明会で「バスケとサッカー合わせた様なスポーツ」と聞いて、なんとなく入部しました。

それなりに楽しかったです。

が、先輩の卒業と同時に活動がほぼ停止しました。

「問題が起きた!」とかじゃなくて、部員全体のやる気がなかったんですw

 

中学3年の時。

我がハンドボール部は翌年に廃部が決定していました。

1年生の募集はかけず、2年生は他の部活に移りました。

「お前ら、最後の大会どうする?」

ロクに活動していなかった僕たち部員に顧問が聞いてきました。

「あぁー。出ますぅ?」

どこまでもやる気のない部員たちです。

 

今考えると「ルール的にどうなんだろう?」と思うのですが、運動神経の良い人間を助っ人に呼び、我がハンドボール部は大会に出ました。(本部員だけでは人数が足りなかったんです)

結果、地区大会を突破し、まさかの「県大会出場」を決めます!

まぁ、県大会の第一試合で「二軍選手」相手にボロっカスにやられましたがw

因みに、部員たちとの絆なんてチリ程も培わなかったです。

学業

中学1年で挫折

勉強は全くついていけなかったですね。

今でも覚えているのですが、初めての英語の授業。

僕は「アルファベットを覚えていること前提の授業」に不服でした。

 

僕は英語の授業で、「アルファベットを覚える」ことから始まると勝手に考えて臨んだんですね。

しかし、初手が「I have a pen」でした。

酷くやる気を失ったのを覚えています。

当時の僕は「I=アイ」と読むことすら知りませんでしたから。

まぁね、そこから覚えて、食らいついていけば良いだけの話なのですよ。

しかし、僕はやる気を失った。

 

小学校までは授業聞いてるだけで問題ありませんでした。

「数学」や「国語」に関しても、初めはついていけましたが、徐々についていくことが出来なくなります。

予習復習や、わからないなら自分で勉強するという考えもありません。

「家庭が荒れていて、勉強どころではなかったのでは?」というのもあるとは思います。

ですが、1番の要因は「そもそも勉強する気がない」というものでしたね。

「夢や希望がない」とか「未来のビジョンがない」とかって理由ではなかった。

単純に「僕に勉強の意思がなくて」どんどん落ちぶれていくこととなります。

テストの苦痛

ひま。

この一言に尽きるw

テストの時間って50分とかですっけ?

あんま覚えてないけど、とにかく暇でした。

だって、わかんねーもん。

 

第一問!はい!わかんね!

第二問!次!

だいさn…わがんね!!!

こんな進め方してりゃあ、5分あれば十分よ!

 

もーーーー暇で暇で。

ペン回しだけは上手くなったぜ!

成績

「勉強が出来ない人あるある」らしいのですが、僕はテストの点数で遊び始めました。

トランプの「ポーカー」ってあるじゃないですか?

絵柄や数字を組み合わせて役を作るゲーム。

あれをテストの点数でやってました。

 

当時のテストは50点満点。

僕の頭では1桁の点数、良くて10点とかです。

「国 数 英 社 理」の5科目で「5カード」を作ることを目指す。

そんなことをしていた僕の成績は酷いもの…。

でもなかった。

僕は授業をサボらず、提出物だけは出す生徒だったため、意外と「評価3(5段階評価)」も多かったです。

テストの点数が酷くても、ちゃんと出席して、黒板をノートに丸写ししてりゃあ何とかなるもんですね。

 

あと、「保健体育」の点数はやたら高かった。

僕は中学1年の時、ダイエットに成功しました。

ダイエット中、カラダのことを調べまくったんです。

当時は今の様にインターネットが気軽に出来る時代ではなかった。

だから図書室で「カラダ」に関する本を読んでました。

その結果が「保健体育の点数」に繋がることとなりました。

が、周囲の認識は「チッタはスケベ」ですw

保健体育って「性」の話も多いですからね。

というか、中学生の頭の中なんて「保健体育=エロ」ですよw

 

因みに、「栄養」についても個人的に調べていたので、「家庭科」の理解は出来ました。

が、「家庭科」は大っ嫌いでした。

家庭科って、「栄養」の他にも「家族とは?」みたいな話があったんですよね。

「家族の団欒」とか「家族は助け合うもの」みたいな。

クソ食らえ。

って感じでした。

だって、ウチとは別世界の話をしてんだもん。

当時のウチは「団欒」も「助け合い」もありませんでした。

なんか、「お前ん家は知らんけど、家族ってのはこういうもんだから。ごちゃごちゃ言わんと覚えろ。」って言われてる気がしたんです。

「僕なりに頑張っている。」「だけど、あの家はどうにもならない。」という思いが僕にはあった。

だけど、「まぁまぁ、それは良いからさw」と、全否定された気がしたのを言語化出来ず、モヤモヤしていました。

だから、「そんな間違った知識(ウチとは違う常識)なんて覚えてたまるか!」みたいに、あえて悪い点数取ってましたね。

高校受験

番外編 バク転

僕が志望校を決めるキッカケとなる話なのですが、僕は「バク転」が出来ました。

説明は不要かと思いますが、「後方倒立回転跳び」のことです。

一度は憧れるアレです。

 

中学2年生の頃ですね。

その頃の「僕と兄の関係」は、それ以前と少し変化が出ていました。

なんと言うか、「味方に引き入れよう」みたいな雰囲気を兄から感じ始めた頃です。

僕から観ると「味方に引き入れよう」でしたが、もしかすると兄の中では「チッタも自分と同じく、あの家の被害者」という思いがあったのかも知れません。

もしかすると、兄の中では「コイツ(チッタ)は敵じゃない」という思いが芽生えたのかも知れません。

まぁ、あの頃は両親が正式に離婚し、家を荒らしたアル中(父)がいなくなった時期です。

少し平和になり、兄なりに心情の変化があったのかもですね。

 

それはさておき、バク転の話です。

兄は当時、高校の器械体操部に所属していました。

当然、バク転もバク宙も出来ます。(何だったら、公園の鉄棒で「車輪」をかましたりしてました)

そんな兄が、急に僕にバク転を教えると言い出したんです。

僕はわけがわからないまま、「形上」バク転が出来るようになります。

 

「うん。バク転にはなってるよね。」というバク転を習得した僕です。

初めは「汚い」バク転でした。

ただ、0が1になったことで、より綺麗に、1を5にも6にもレベルアップさせたくなります。

学校が終わると、色んな場所でバク転の練習をひとりで行いました。

「この感覚で跳ぶと、こうなるのか。」

「今のは綺麗だった。どんな感覚で跳んだっけ?」

みたいに。

そのうち、「もっとちゃんと練習したい。」という気持ちが湧き、高校の志望校を決める要因となります。

 

あと、やはりと言うか、やっぱバク転が出来るとチヤホヤされました。

受験シーズン

僕が通った中学校というか、僕が住んでいた地域は、志の高い?中学生が多い地域でした。

もちろん、そうでない人もいましたが、大体の同級生は偏差値の高い学校を志望していました。

仲が良かった友達(仮)は、みんな受験勉強に大忙しです。

 

僕はと言うと。

ひま。

僕が志望する高校は、「名前書けば受かる学校」で有名な、いわゆる「底辺校」でした。

僕は授業の出席、提出物、更には「明確な志望動機」があったため、志望校への推薦入学がほぼ決まりの状態だったんです。

志望動機は「器械体操部」への入部です。

その高校は器械体操で使う機材が全て揃った高校でした。

そのため「器械体操部の大会は、その高校で行うのが当たり前」という高校だったんです。

だから「その高校」に進学しようと考えました。

因みに、兄も幼馴染も同じ高校です。(年齢的に被ることはないですが)

 

しかし、そこまで思い入れがあったわけでもないです。

器械体操部の入部も、「学校を選ぶなら」くらいの要因でした。

「ちゃんと練習したい。」という気持ち自体は確かにありました。

ですが、「どうせ高校に行くのなら。」くらいのもんです。

正直、高校に行くこと自体にはあまり関心がなかったように思います。

 

僕は「真面目に受験勉強をし、偏差値の高い高校を目指す友達(仮)」が理解出来なかったんです。

言ってみれば、「何を高校受験でそんなにマジになってんのw」みたいな。

こんな時期でも「見下し」は顕在でした。

友達(仮)たちは、「高校進学」「大学(専門学校)進学」その先の「就職」なんかまでを視野に入れ、そこに向かう努力をしていたんだと思います。

そこまで明確じゃないにしても、「将来、食うための最低限」くらいは漠然と考えていた様に思います。

しかし、当時の僕は、せいぜい「翌週のこと」くらいまでしか考えていませんでした。

 

そんな僕は暇を持て余し、ひとりあそびのも飽き、友達(仮)が受験勉強でピリピリしていることも感じず、ちょっかいかけて遊んでいました。

ガチでキレられたこともあります。

と言うか、それが原因で僕から離れた人もいました。

僕には「その人たち」の気持ちが理解出来ず、暇で暇で、バク転してました。

まとめ

僕の中学校生活

幼い頃から兄に怯えていた僕。

荒れた家庭環境の中で育った僕。

中学2年生の時、両親の離婚により、少し平和な生活を送れる様になった僕。

そんな僕は、「他人の気持ちも、自分の気持ちすらも、よくわからない中学生」になりました。

 

僕はクラスメイト(同い年や年下)を無意識に見下す様になりました。

「相手を見下す」という感性は、意識しなくても相手に伝わってしまうものの様に思います。

それが「形」になったのが中学1年生の頃の「いじめ(仮)」でした。

 

しかしながら、そんな僕をも周りの人達は受け入れてくれました。

そんな「周りの人達の優しさ」に気付かず、僕は独りよがりに反応に困る様な話をベラベラとします。

そして、「周りの優しさ」ではなく、「僕の面白さ」だと勘違いします。

挙句、その人達を「友達(仮)」などと名称しました。

 

学業に対しても、どんどん自堕落になっていきます。

今思えば、「ついていく、合わせる」という考えがなかった様に思います。

ただ、「成功体験」の様なものはあり、そこを追求する気持ちはあった様です。

その証拠に、学業には繋がりませんでしたが、「カラダや栄養」の知識は身に付きました。

「バク転の練習」の楽しさもありました。

 

そして、「相手の状況や気持ち」を一切考慮せず、実に自分本位な中学生でした。

なんと言うか、「心のブレーキ」とでもいうものがなかったんですね。

「これをしたらどうなるだろう?」

「これをしたらどう思われるだろう?」

みたいなものが欠けていた様に思います。

「他人の気持ち」も「自分の気持ち」すらもわからない中学生

あの頃の僕は、「他人を観察し、気持ちを探る」ということが出来ませんでした。

「相手の気持ちがわからない。」

僕の場合は、「相手の気持ちをわかろうとしない。そもそも興味がない。」という状態でしたね。

そもそも、「相手の気持ち」どころか「自分の気持ち」すらもわからない状態でした。

 

「自分がされて嫌なことは相手にしてはいけないよ。」

よく言う謳い文句です。

「心のブレーキ」の土台みたいなもんですね。

相手の気持ちなんて、100%を理解することは出来ません。

相手の「5%、10%」を理解をするために、「自分がされて嫌なこと」は良い物差しになると思います。

ですが、その「物差し」が僕にはなかった。

 

「当時の気持ち」は僕が大人になり、「過去の自分と向き合うこと」で初めてわかった気持ちです。

当時は「脊髄反射」に近い感じでした。

「カーッとなる」「どんよりする」「虚無」みたいな。

「いじめ(仮)」を受け、僕が反撃したのも「うぜえ!」という気持ちを感じたからではなかった様に思います。

「何か爆発する様な感覚」

それを尤もらしく、「怒りだろう。」とか「[怒り]は強すぎるかな?じゃあ[うぜえ!]だな。」とか自分で翻訳して気付いた気持ちです。

もっと細かく考えていき、「構ってもらえて嬉しかったんじゃないか?」「でもまぁ、しつこくされて面倒だったのかな?」と考えていきました。

そうしてようやく「自分の気持ち」がわかる様になり、「その物差し」で「相手の気持ち」を考えることが出来ました。

 

まぁ、アレコレ言いましたが、要は「中学生チッタはクソ野郎」でした。

 

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