「あなたはずっと不幸のままでいて。」
僕にはそう願う相手がいます。
まぁ、兄のことです。
僕は幼少期の頃、兄からの日常的な暴力やらを受け、兄を恐れ、恐れは憎しみに変わりました。
ですが大人になり、兄を含めた家族と離れ、自分と向き合い、色んなことに気付くことで兄の憎しみも薄れていきました。
が、僕の「兄への憎しみ」は、まだまだ根深く残っているみたいですね。
そんなことを感じた話です。
兄がイタイと僕も嬉しい!
「イタイ」というのは、痛覚の話ではありません。
誰かの行動に対して「アイツ、イタイ奴だな…。」みたいな、「アイタタタタぁ…。恥ずかしい奴だなw」みたいな「人の羞恥をバカにする表現」のことです。
僕は兄をバカにしています。
そして、「兄が恥ずかしい行動をしている(僕から見て)」と、僕の脳内には快楽物質がドバドバ噴出します。
要は、「兄が生きにくそうにしている姿」は、僕の最高の嗜好品なのです。
これは「復讐」に近いモノなのだと思います。
僕は自身の人生を「右肩上がり」だと感じています。
ですが、僕の知る限りでの兄の人生は「右肩下がり」です。
僕の「ドン底だった頃」という時期を作った大きな要因のひとつが「兄の行い」です。
そんな「僕のドン底を作った兄」の人生がドンドン堕ちていく様子というのは、僕には美味でありました。
「他人の不幸は蜜の味」という言葉を聞いたことがあるのではなでしょうか?
自分が憎んでいる相手の不幸は、それはそれは美味えですよ。
まぁ、とても「精神衛生的に良いモノ」とは言えないですね。
兄のアイコン。
僕と兄はLINEで繋がっています。
まぁ、ブロックしてるんですけどね。
相手がアイコンを変更した際、ブロックしていても僕のアカウントには反映される様です。
僕の兄は、まぁーーーーアイコンをコロコロ変えます。
しかも、全部自撮り。
「旅行に行きましたー!」とかって自撮りではなくて、ただのキメ顔の自撮り。
兄は「自分の見た目」というモノを異常なまでに気にします。
昔、20代前半の頃かな?
兄とふたりでスノーボードに行きました。(そういう時期もあったのです。)
兄は更衣室の鏡の前から30分強動きませんでした。
それくらい「自分の見た目」を気にする人です。
今考えると、「兄の生きにくさ」の一因ですね。
そんな兄がアイコン画像を一枚撮るのに、どれほどの時間を使うのか。
考えただけで口角が上がります。
とは言え、僕の憎しみも薄れてきた訳で。
実を言うと、僕は「自撮りをする人全般」に対して嫌悪感を抱いていました。
家族や友人達との記念写真ではなく、ただ「自分単体の自撮り」がSNSのアイコンだったりすると「うわぁ…。」ってなりました。
これは、兄の影響です。
兄はSNSが普及する以前から自撮りが大好きでした。
昔、僕の幼馴染のお母さんの葬儀に僕と兄は出席しました。
兄は、幼馴染が持っていたカメラを自分の自撮りで使い切りました。
それくらい異常なまでに自撮り大好きな人でした。
誰かの自撮り画像を見る度に、その陰に兄を感じていたのです。
僕は自分と向き合うことにより、そのことに気付きました。
そのことに気付いた僕は、誰かの自撮り画像を見ても何とも思わなくなっていきました。
兄の自撮り画像についても、少しずつ捉え方が変わっていきます。
兄の「何故こんな行動をしたのだろう?」「その時、彼はどんなことを感じていたのだろう?」を考えた結果です。
兄の行動原理は「愛情飢餓」なのだと考えました。
兄の異常な自撮りは「もっと俺を見てくれ!」「もっと俺を愛してくれ!」の現れだと感じる様になりました。
今では僕だけではなく、兄も「あの家の被害者」だと思います。
兄が僕にしたことで許していない部分も多々あります。
ですが、兄が僕にしたことを切り離し、「兄単体の人生」を考えた時。
改めて兄の自撮り画像を見ると、哀れで不憫に感じる部分も出てきました。
それからは兄のアイコンが変わっていても、「あ、生きてるんだ。」くらいに感じる様になりました。
まぁ、イタさを感じる自撮りアイコンだったら、幼馴染に画像を送ってバカにしてたんですけどね。
あなたはずっと不幸のままでいて。
今の僕は、母とも兄とも出来る限りの縁切りをしています。
兄の生存くらいの情報しか入りません。
ふたりがどんな暮らしをしているのか。
知らないし、割とどうでも良いです。
まぁ、「幸せになっていたら、それに越したことはないんじゃね?」くらいに考えていました。
ですが、それは「表面上」だった様です。
僕は今だに兄に対して、「あなたはずっと不幸のままでいて。」と心の奥底で思っていた様です。
ここ最近、兄の生存確認すらもしなくなっていました。
ですが、ついこの間ですね。
久々に兄のアイコンを見ました。
兄は資格を取っていました。
パッと見でよくわからない画像だったので、プロフィール画面を開いてみたんですよ。
そしたら「ITパスポート」の合格証?みたいのがデカデカと張ってありました。
兄はガッツリと心を病んでいます。
僕が知る兄は「10年前の兄」が最後なのですが、とても働ける状態ではありません。
「え?あの状態で資格の勉強なんて出来るモンなの!?」
まず初めに感じたのは「驚き」でした。
素直に「凄い!」と感じました。
ですが、何だろう…。
心がザワつく…。
僕は「ITパスポート」という資格をよく知りません。
とりあえず、ネット検索で調べてみることにしました。
その間も、僕の心はずっとザワついたままです。
一通り調べた後に気付いたことがあります。
「この資格って、どのくらい頑張れば合格出来るモノなんだろう?」
「この資格を持つことで、どんな仕事に就けるんだろう?」
僕がした「兄の取得した資格の検索」の行動原理は、そんな前向きなモノではありませんでした。
「頼む!収入が増える類いのモノではない資格であってくれ!」
僕は、兄が取った資格が「兄の生活を豊かにしない確証」が欲しかったのです。
見苦しいですね。
何だかんだ言って、僕はまだ「兄の不幸」を望んでいたのです。
僕の心の傷や呪いを癒す為に。
僕は今だに「兄が不幸であって欲しい」と願っている様です。
「僕の人生は右肩上がり。」
「兄の人生はこのまま堕ち続けて欲しい。」
今でも僕は「苦しんでいる兄」によって、自身を慰めているのでしょう。
僕の人生が充実していない現れなのかもしれません。
兄の資格取得を知った「僕の心のザワつき」を言語化してみましょう。
「やめて。あなたはずっと不幸のままでいて。」
僕は「嫌いな人」を減らしたいが為に呪いを解こうともがいています。
兄はモチロン、父や母がしてきたこと。
僕が負った心の傷や、かけられた呪い。
それらは「僕の家族を、本当の意味で許すこと」で癒えに繋がると考えています。
「本当の意味」とは、「許せない部分は許さなくて良い。」「許せる部分まで許さないのは違うよね?」という意味です。
昔の僕なら、「兄の資格取得」を全否定していたでしょう。
「あんなヤツ(兄)が取れる資格なんて、大した資格じゃないんだ!」と、事実を認めず、僕の都合が良い様に歪めていたでしょう。
今回の僕は「あなたはずっと不幸のままでいて。」とは思いました。
しかし、「明らかにハンディキャップを背負った兄」が何らかの資格を取る努力をしたことについては認めることが出来ました。
「あなたはずっと不幸のままでいて。」と思う僕を認め、「兄の頑張り」も認める。
余計な雑音に惑わされずに、ありのままを受け入れるのが大切だと思います。
まだまだ道のりは長いですが、少しずつ歩みを進めて行ければと思います。
葬儀の日の自撮りwあったなー。
資格を調べてる間、心がざわついてたのウケるねwwそんな感覚だったんだね。
ウチの兄がすみませんねw
まぁ、心がザワつくのはしょうがないよね。
湧いてくる気持ちなんだから、どうしようもない。
クソみたいな気持ちでも、湧いてきた事実を変えることは出来ない。
ただ、湧いてきた気持ちを否定してしまうと拗れちゃうのよね。
今回の件は「まだ憎んでるのね」って、個人的に笑い話として受け取った。
だからブログ書くことも出来た。
もし、「いや、俺にはもう憎しみは無い!」って否定してたら、嫌なモヤモヤになって、気持ちがしんどくなったと思う。
やっぱ、自分の気持ちを素直の受け入れるのは大事。
だよね。怖いとか、憎いとか、そういうネガティブな気持ちって、もっている事そのものを否定しがちだもんね。
いじめとかもそれで楽になる事多いかもね。「自分は怖がってる」「弱い」「相手が憎い」そういう物を抱えていることを認めた上で、素直にヘルプを出せると、けっこう良き方向に行くこと多い気もするんだよね。
俺と兄のいざこざを「いじめ」と定義するのかはわかんないけど、ヘルプを出すには自分の心構えだけでは足りないかなって思うかな。
勿論、自分の抱えてるものを素直に受け止めるのは大事。
だけど、ヘルプを出すには、絶対的に信頼出来る人が必要だったな。
「この人に頼れば、間違いなく良い方向に向かう。」「絶対に自分を守ってくれる。」って確信がないと、怖くてヘルプなんて出せんよ。
もし助けを求めた相手が「あんまりチッタをいじめちゃダメだよ!」で済ます様な人だったら…。
ひぃ〜。
後が怖いよぅ。
それな。今の職場、まさにそれですわw