中学2年生の夏休み。
この年の夏休みのことは「ひとつの大イベント」だけが記憶に残っています。
その「大イベント」とは、「家庭裁判所へ出向いた」というもの。
まぁ、「家庭裁判所がどうのー。」ってより、「我が家の変化が始まった」って意味合いが強いです。
とにかく「あの中学2年生の夏休み」から生活に変化が現れました。
言ってみれば、「嵐の前の静けさ」とでも言いましょう。
そんな谷間の時期の話です。
- 虐待を受けていた子供時代。
- 谷間の時期。←イマココ
- 家族に振り回された20代。
- 生きづらさにもがき苦しんだ20代後半から30代前半。
- 割とへらへら生きられている今。
目次
家庭裁判所へ行こう!
苗字を変えるために
僕の両親が離婚した。
僕の大好きだった父と母。
そのふたりが離婚をし、僕と兄は「どちらか」に引き取られ、「どちらか」とは離れて暮らさなければならない。
そのことで当時の僕は暗く、沈みがちに…
なってないんだな!
テンション爆上げ⤴︎⤴︎
いやっふぅぅぅーーーー!!
まぁ、母のことは置いておいて、当時の僕は父のことが大っっっっっっ嫌いでしたからw
そんな「父と離れて暮らせる」という状況。
「父の姓を名乗らなくていい」という状況に胸が高鳴っていました
しかし、「僕が母の姓を名乗る」ためには、色々と手続きが必要です。
そんなわけで、僕達は「家庭裁判所」に出向くことになります。(地方自治体への手続きは母がやりました)
たしか、離婚自体は夏休み前に成立していたと思います。
「学校とかあるし、家庭裁判所に行くのは夏休みにねー。」みたいな感じだったんですね。
僕としては1日でも早く「父方の姓」とはオサラバしたかったのですが…。
まぁ、母の言い分も理解できました。
我慢ガマン。
そんなわけで、僕は夏休みが待ち遠しい日々を過ごしたわけです。
なんかね、「苗字が変わる」って、ワクワクしたんですよ。
その頃は「夜に暴れる父」もいません。
「僕に対する兄の当たり」もかなり弱まっていました。
夜、ワクワクしながら眠りにつく。
それは幸せな日々でしたよ。
いざ、家庭裁判所!!
待ちに待った夏休み。
僕達は最寄りの家庭裁判所に出向きました。
なんか、「裁判所」って聞くと「怖いイメージ」があったりすると思います。
僕も当時は少しビビっていた記憶があります。
しかし、いざ着いてみると、市役所なんかと変わらない感じでしたね。
家庭裁判所には、僕と同じ様な「母親と子供(中高生)」らしき人達が多くいました。
なんか、だいたい「イカつい見た目」な中高生が多かった。
「あの見た目だ。ヤツらは何かをやらかして来たのだろう。」
そんな偏見で眺めていました。
そんな僕の髪の毛も「真っ黄色」でしたけどね。
当時の僕は「相手の見下し」+「自分の棚上げ」が備わっていましたので。
それはさて置き、待ちに待った「苗字を変える手続き」です。
「やっと今日、父方の姓とオサラバ出来るんだ。」
そんな期待で踊り出しそうです。
職員さん「では、お子さんふたりとも籍を移すということですね?」
職員さん「えぇと…。今日はお子さんは揃っていないのですか?」
職員さん「あぁ、籍を移すお子さんが揃っていないと、今日は手続き出来ませんね。」
これには心底ガッカリした。
(記憶違いがあるかもですが、そんな理由で手続き出来なかったと記憶しています)
そう。
その日、兄は「一緒に家庭裁判所へ出向くこと」を拒んだ。
「手続きして来い。」
母と僕に「それだけ」を言い放ち、兄は自宅にこもっていた。
結局、その日は「苗字を変える(籍を移す)」ことは出来なかった。
(´・ω・`)ションボリしながら帰宅する。
家にいた兄は、僕と同様に苗字が変わることを期待していました。
当然、「家庭裁判所での経緯」を知った兄は激怒。
この頃辺りからだろうか。
僕は兄に対して「恐怖による支配」とは別の、「兄の人間性の疑問」が湧き始めていました。
他人を利用し、自分だけが美味しい部分を掻っ攫う。
自分は身を削っていないのに、思い通りにならない事象を責める。
僕の中で、兄に対しするものは「恐怖」「(歪んだ)崇拝」の他に、「軽蔑」が芽生え始めたのだと考えています。
なお、後日の郵送手続きによって、夏休み明けには無事「母方姓」を名乗ることとなりました。
余談 大人を困らせるクソガキ
中学2年の夏休み明け。
僕は新しい苗字で学校へ登校することとなった。
そして、担任教師から「とある選択」迫られました。
親の離婚を「隠す」か「公表する」かという選択。
要は「登録名」を「以前の苗字のままにする」のか、「新しい苗字にするのか」という選択です。
「新しい苗字」1択ですね。
ただ、これにはひとつ問題がありまして。
それは、「出席番号(あいうえお順)は変えられない」ということ。
なんかね、不可解な並びになるんですわ。
- 加藤聡太
- 山本チッタ
- 佐藤雅
みたいな。
「山本チッタくん」が異質なオーラを放つですわw
違和感バリバリな並びになるんですわw
正直ね、これはコレで面白いから良いんです。
ただね、「風」を吹き込みたくなるじゃないw
僕は事あるごとに担任に「この出席番号順だと、家庭に問題がある子だと思われちゃうよぅ…(;ω;)」と訴えた。
担任の先生は、そりゃあ苦笑いよ!
まぁね、担任も「僕のキャラ」を理解してました。
でも、ツッコミ難いデリケートな問題というのもありますよね。
とても困ってましたねぇ。
いやぁ、楽しくて楽しくてw
そんなクソガキでしたね。
もうひとつ、学校とは無関係な話しなのですが。
当時、自宅に「訪問セールス」か何かがよく来てまして。
「お母様いらっしゃいますか?」と。
んで、「カーさんは仕事です。」と。
「じゃあ、お父様はいらっしゃいますか?」と。
「ウチ、トーさん、いないんです…(;ω;)」と。
「あ…。」ってなんのw
すごくたのしかった。
そんなクソガキでしたね。
歳上の友人と遊ぶ日々(再び)
当時の幼馴染との関係
両親が離婚し、僕と兄が母方の姓を名乗り始めてから少し時間が経ちます。
僕は高校生になり、兄は大学生へ進学し…。
いつの間にか兄は大学を辞めていました。
まぁ、一旦、兄のことは置いておいて。
僕の高校1年の秋くらいからですかね?
僕と兄は、幼馴染とその友達と遊ぶ時間が多くなりました。
以前にも書きましたが、この「幼馴染」という人物は、「僕の人生の超重要人物」です。
少し彼について話していこうと思います。
幼馴染とはかなり長い付き合いになるのですが、チョイチョイ空白期間がありまして。
例えば、兄の高校時代は中々充実した時間だったみたいでして。(兄のメンタルが安定していた大きな要因だと思われます)
幼馴染はといいますと、早い段階で高校を辞め、専門学校やアルバイトに勤しんでいた様でした。
兄から見ても「幼馴染」は近所に住む同級生であり、幼馴染でした。
ですが、それぞれの道を進むふたりには自然と別の時間が流れていきます。
そうなると、自然と「僕と幼馴染」も疎遠になっていきます。
当時はまだ「幼馴染=友人」という関係ではなく、「幼馴染=近所の兄ちゃん」に近かったと思います。
幼馴染からすれば「チッタ=同級生の弟」ですね。
そして、当時の幼馴染は「僕より兄の方と仲が良かった時期」だったと思います。
その解釈に間違いはないと思うのですが…。
幼馴染と兄が「友人」だったかというと、少し微妙なトコロでした。
ちょっとゴチャゴチャしてきましたねw
ちょっとまとめましょう。
- 兄と幼馴染は同級生。
- ふたりは高校時代を機に疎遠になる。(僕も幼馴染とは疎遠になります)
- 兄と幼馴染は18歳辺りから再び関わる様になる。
- が、ふたりが「友人」であったか?というと微妙。
といった感じです。
傷の舐め合い
「幼馴染と兄」の関係は「友人」というよりも「傷を負ったもの同士の傷の舐め合い」に近かったのではないかと思います。
すんげえ悪い言い方ですね。
ただ、当時の状態を思い返し、1番素直な言い方をすると「傷の舐め合い」がしっくり来ちゃうんですよね。
どういうことかと言いますと…。
「幼馴染が育った家庭」も「歪な家庭」であったのです。
僕の両親は、いわゆる「毒親」でした。
父はわかり易いですね。
母は…。
もう少しお待ちください。
あの人も凄えから。
そんでもって、幼馴染の両親もまた「毒親」でした。
まぁね。
あんま人の親をどーこー言うの良くないよね。
でも、幼馴染の話を聞く限り、あの人の親父も凄えのよ。
お母さんの方は「毒親」とまで言うかはわかんないですけど、要は「夫婦の不仲を子供に与えちまった」って感じみたいです。
とまぁ、幼馴染も傷を抱え、バリバリの「アダルトチルドレン」でして。
「家庭環境がもたらした傷」を可視化するために、敢えて「物差し」を出しますと…
幼馴染の姉は、彼女の高校時代辺りからガッツリ引きこもり状態です。(付き添いがいても外出が難しいレベル)
これはね、幼馴染も僕も「なるべくしてなった」と話しています。
育った環境を考えれば、「幼馴染の姉が心を病んだのは不思議でも何でもない」といった感じです。
幼馴染はお姉さんほど心を病みませんでした。
しかし、「同じ家で育った人間」が、全くの無傷なわきゃあないですよ。
そんな、「傷を抱えた青年であった幼馴染」には、当時の兄が「自分と同じ様に傷を抱えた人」と映ったんだと思います。
幼馴染も当時、「兄の人間性」には疑問を抱いていました。
しかし、「友人」であるかは置いて、「自分と同じ世界が見えている人」というのは貴重であり、時には癒しになると考えます。
そんなこんなで、幼馴染と兄は18歳くらい?から一緒に遊ぶ時間が多くなります。
まだ当時、「幼馴染=近所の兄ちゃん」だったり「チッタ=同級生の弟」に近い関係だった僕も、一緒に遊ぶ時間が多くなっていきました。
因みに、そんな幼馴染も自分と向き合い、学び、実行し、今では子供にも恵まれて楽しそうに過ごしています。
楽しい夜遊び!
当時、母はスナックの経営をしていました。
ですので、母が家にいることは稀です。
つまり、「家」は「子供達の支配下」でありまして。
そんなワクワクを「10代後半」が利用しないわけがない!
なんかね、夜中ぶっ通しで「マリオカート」とか「ドカポン(知ってるかな?)」やってたのとかスッゲー覚えてる!
楽しかった!!
そんで、18歳とかになると「免許」取れますでしょ?
車とかバイクとか。
行動範囲広がるわけです。
僕は当時、何の免許もなかったので、幼馴染や、その友人の車に乗せてもらいました。
幼馴染のバイクにも、後ろに乗っけてもらいましたねー。
余談ですが、当時の幼馴染は「中性寄りの顔」をしていたり、髪が長かったり。
乗っていたバイクが「カワサキZ-II(いわゆるヤン車)」だったりしていました。
「その後ろに乗ってるチッタ」が高校の同級生に目撃され、「チッタはレディースの総長と付き合っている」とかいう噂が流れたりしましたw
話を戻しまして、そんな青春じみた時期を過ごしていたわけです。
僕はモチロン、兄も同様に楽しかった様です。
しかし、僕が視えていなかっただけで、「兄の大学中退」は、兄にとって大きな挫折だった様です。
この時期の兄は「安定」している様子でした。(当社比)
僕に対して「圧」をかけるわけでもなく。(当社比)
暴力もなく、むしろ「友達」に近い感じで接して来ていました。
やはり、こういう「楽しい時間」が兄を穏やかにさせていたのでしょう。
まぁ、今思い返すと、「その頃」から既に「母への金銭の要求」は始まっていましたね。
余談 垣間見えた何か
多分、この「夜遊びに勤しんでいた頃」だったと思います。
幼馴染が運転する車内で、突然、兄が僕に命令しました。
「おい、親(母)に電話しろ。」と。
ナニゴトカ?と。
特に理由も見当たらなく、困惑していたチッタです。
兄は続けて言います。
「お前に姉がいるか聞け。」と。
もちろん、僕には姉なんていません。
が、僕は納得しました。
「いつものアレね。」と。
兄はよく、「支離滅裂な発言」で周囲を困惑させ、その反応を楽しんでいました。
僕を使ってね。
僕は気乗りしませんでした。
純粋にめんどくせえし、面白くも何ともないし。
まぁ、兄は兄で、僕の「その反応」で満足することもあったので、僕は愚図ることにしました。
「早く電話しろ!!!」
…突然のブチ切れ。
何これ?
イツモト チガウ…。
僕はすぐさま母に電話します。
「ニーさんが俺に姉がいるって言うんだけど?」と。
母は笑っていました。
母も僕同様に「ニーちゃんのいつものアレだよ。」みたいに。
ですが、兄は違いました。
僕から電話をふんだくり(あぁ、僕の携帯乱暴に扱わないで…。)、母にゆっくりと、憎悪を込めるかの様に言います。
「何で隠す?」
電話を代わり、再び母と話すと、母の声は酷く沈んでいました。
母の話を要約すると、僕と兄の間に「もうひとりの兄弟」がいたそうです。
兄が産まれ、僕が産まれる前に、「生きて産まれてくることが出来なかった兄弟」がいたと。
かなり早い段階での流産だったそうです。(性別がわかる前の流産なので、なぜ姉なのか謎です。)
あぁ、そうなんだ。
キョトン。です。
そりゃあね、「会ったことがない兄弟が、今もどこかで生きている」なら話は別ですよ?
でもさ、別にもう会えないし。
そもそも、母が「あえて話題にするのを避ける気持ち」もなんとなくわかるし。
因みに、母は「隠していた」わけではありませんでした。
我が家にあった「仏壇モドキ」には、ちゃんと「水子供養」のお札?みたいなのが子供の頃からありました。
「避けていた」だけです。
アホな僕らが「水子」の意味を知らなかっただけです。
正直、僕には興味が湧かない話でした。
「話自体」は本当に「ふーん。」ってな感じ。
「それ」とは別の部分で掻き立てられるものがありました。
なんなのコイツ(兄)。
なんでわざわざこんな話をほじくり返す?
母の反応で、母の「蓋をしておきたい部分」であったことは丸わかりでした。
「蓋をしておきたい部分」を謎に蒸し返され、母が傷付いたことは丸わかりでした。
兄への軽蔑。
今だからこそわかる当時の気持ちです。
兄はどうも、僕は母に「嘘を吐くな」という強要をする性質が過剰にありました。
まぁね、「嘘を吐かない誠実な人間でありなさい。」という教育が悪いものとは思いません。
しかし、「兄の性質」は、「俺を騙すな!」「隠し事をするな!」「潔癖でいろ!」という意味合いが強い印象があります。
それもまぁわかりますよ。
誰だって騙されたくなんてないもんね。
しかし、当の兄は「誠実」とはかけ離れた人間でしてね。
そうなんですよ。
兄はね、「嘘つき」です。
兄の発言の9割は嘘でした。
兄はね、「自分が他者にしていること。」を完全に棚に上げていました。
その上で、「俺にはするな。」です。
「その頃以前」は特に気にしていませんでした。
「兄への恐怖」というデバフがかかっていたという要因がありましたし。
ですが、「この頃の安定した時期」というのが、僕にかかったデバフを弱めていたのでしょう。
徐々に僕は、「等身大の兄」としての兄を見始めたのだと思います。
「コイツ(兄)、クソ野郎だわ。」と。
もちろん、この頃はまだ「等身大の兄」を見てはいませんでした。
まだまだ僕には「見えていない部分」というものも多数ありました。
まぁ、「0が1になった感覚」とでも言いましょうか。
そんなわけで、僕は徐々に「兄を人間として」、「兄の人間性」を嫌いになっていきます。
まとめ
嵐の前の静けさ
両親の離婚を機に、僕の生活は穏やかなものに変わりつつあった。
「両親の離婚」となると、子供にとっては「大きな衝撃」になるケースが多いと思います。
幸いなことに我が家には、というか少なくとも「僕にとっては」ですね。
僕にとっては「両親の離婚」は良い影響しかありませんでした。
まぁね、「離婚直前」が悪すぎたしね。
僕はむしろ「両親の離婚」を「ブラックジョーク」や、「一般家庭とは違うんだぞ!」みたいな感じで楽しむ?遊ぶ?
まぁ、「気にいる」が1番しっくり来ますかね。
「父がいなくなったこと」は、僕にとって良いことずくめでありました。
しかもこの時期辺りから、少し疎遠になっていた幼馴染との関わりも出始めます。
あの「夜遊び」は、僕の(兄もかな?)数少ない「青春」みたいな感じでしたね。
そりゃあもう、楽しい時間でした。
そんな「安定した時期」の中で、僕にも少し余裕が出たのでしょう。
僕は徐々に、「兄の人間性自体」に疑問を持ち始めていきます。
そして、兄の方はと言うと…
両親が離婚し、父が「父の実家に強制送還された」ことは、兄にとっても良い影響をもたらしたのだと思います。
幼い僕にとっては「鬼畜」という言葉が相応しい兄でした。
ですが兄とて「人の子」です。
やはり「離婚直前」の環境は害悪でしかなかった。
しかし、ずっと先に知ることなのですが、兄は僕ほど「楽観的ではなかった」様です。
「同じ家で育った兄弟」と言えど、僕と兄は「別の人間」です。
僕とは違う捉え方をし、僕とは別のものを受け取った様です。
同時に、この頃既に、兄は「母の毒」に気付いていた様にも思います。
僕には見えていない場所で、「兄の母に対する憎悪」は膨れ上がっていたんだと思います。
僕には見えていなかっただけで、既に嵐は吹き始めていました。
短い「静けさ」でしたね。