僕にとって兄は、「恐怖の対象」でしかなかった。
兄からの暴力は、僕の記憶以前から始まっていたらしい。
成長に連れて、「暴力の支配」に加えて「精神的な支配」にまで発展していった。
僕の人生を語るにあたって、「兄からされたこと」つまり、暴力と支配の話は外すことの出来ない重要な部分だ。
僕の話を「よりリアル」に感じてもらう為に、僕のドス黒い過去を晒していこうと思います。
年齢差
僕と兄は「3歳」ほど離れている。
「たかが3歳違い。大したことはないだろ?」
そう思う人の為に、もう少し細かく話そう。
兄は早生まれの為、学年で言えば「4学年」離れている。
- 僕が幼稚園年長の時、兄は小学4年。
- 僕が小学3年の時、兄は中学1年。
- 僕が中学1年の時、兄は高校1年。
こう見れば分かりやすいかと思う。
特に、僕が小学3年生のときは兄は中学生になり、成長期に入っている。
僕が巨漢な小学生であっても、中学生相手に一方的に殴られるのは恐怖そのものだった。
大人になってしまえば「3歳差」なんてものは、ハンデになりもしない。
しかしその差は、幼ければ幼い程、「強大な差」であった。
兄のデビュー戦。
兄が幼い頃は、「暴力」というよりも「かんしゃく」という言葉が近いだろう。
気に入らない事に「イライラ」して、その「イライラ」を僕にぶつける。
おそらく、「コレ」が初めであろう兄の暴力の話がある。
母から聞いた話だ。
僕がまだベビーベッドに寝ている頃のことだ。
まだベッドで「ばぶばぶ」言っている僕と幼い兄を家に「ふたりだけ」にして、母は買い物に行ったらしい。
母に対してツッコミたい気持ちはわかるけど、ぐっと堪えてほしい。
母が帰宅すると、ベッドで僕が「ギャン泣き」していたらしい。
当時の僕は、病院で検査してもらうレベルで「泣かない子」だったらしい。
普段「泣かない子」の僕がギャン泣きしている事に、母はとても慌てたと言う。
熱はない。
オムツを汚した形跡もない。
が、服を脱がすと、カラダ中につねったであろう爪痕がビッシリとあったらしい。
兄はテレビを観ていたらしい。
コレが僕(母)が記憶する、兄のデビュー戦である。
子供の発育をよく知らないんだけど、ベビーベッドで寝ているってことは、僕が0歳から1歳頃かな?
兄が3歳から4歳の頃なんだろう。
そんな頃から抱いていた兄の「僕に対する憎しみの深さ」と、それを「ちょっとした笑い話」かの様に話す母に、僕は引いた。
引っ越して。
僕が小学1年生。兄が小学5年生の頃。
僕たち家族は県外へ引っ越した。
この引っ越しは、兄へ多大なストレスを与えた。
僕は小学校に入りたてだった為、まだ、そんなに交友関係が固まっていなかった時期だ。
僕は割と早く新しい環境に適応できた。
しかし兄は小学5年生。
仲の良かった友人とも離れ、タダでさえ人付き合いが苦手な兄だ。
新しい環境に上手く適応できなかった。
そんな兄に、母は遊びに連れて行ったり、ゲームを買い与えたりと手を尽くした。
今思うと、結果的に「悪い甘やかし」になった部分が多いと思う。
そんな母の努力も虚しく兄は不登校がちになった様だった。
やがて母はパートで働き始める。
そこから僕に対する兄の暴力は激化した。
それまでは母や父だったり、人目につかない場面で「こづいたり」「つねったり」する程度だった。
母と父が確実にいない「ゴールデンタイム」を手に入れた兄は、僕へ明確な暴力を振るう様になった。
明確な暴力。
僕が小学3年生の頃だろうか。
僕はある日、学校から帰宅した。
居間に兄がいた。
そして、いきなり全力パンチだ!!
ボディだった。
兄は顔を絶対に殴らない。
傷が目立つから。
どこかで聞いた事のあるセリフを素の状態でやる男だ。
僕は訳も分からずにうずくまり、泣いていたと思う。
しかし、兄からの暴力は止まない。
「立て。」
痛みで立てない。
立たなければ蹴られた。
立てば殴られた。
この日から、僕の日常は地獄と化した。
兄の「機嫌」を探り、適度に殴られ、ヤバい日は徹底して逃げる。
そうして僕なりにリスクヘッジする地獄の日々。
初めは理由もなく、ただ暴力を振るわれるだけだった。
それが徐々に「睨んだ」だの「チクった」だのと、根の葉もない事を言い出す様になっていった。
僕は殴られれば痛みで疼くまる。
ニーさん「立て!!」
立てば殴られ、立たねば蹴られる。
どちらもツラい選択。
そこに新たな一手が加えられた。
ニーさん「10…9…8…7…。」
恐怖のカウントダウン!!
これは本当に怖かった。
「0になったらどうなってしまうんだろう…。」
タダでさえ、暴力の恐怖に支配され始めていたが、新たに未知の恐怖が加わった。
別に「0」になっても、される事は同じだろう。
しかし僕は「0」まで聞いたことはなかった。
僕は兄に暴力と恐怖で支配された。
ペナルティ。
兄は僕を暴力と恐怖で支配した。
しかし、兄は満足しなかった。
兄は「理由付け」を徹底し始めた。
兄は「暴力」ではなく「体罰」という形で正当化したのだ。
兄の気に入らない「僕の行動」は、全て「ペナルティ」と称され、僕は罰を与えられた。
「チッタの行動が目に余るほどのモノだったんじゃないの?」
そう思う人の為に、ザッと一覧にしてみよう。
ペナルティ一覧。
- 口で息をした。
- 口の中が見えた。
- 聞き返した。
- 太った。
意味がわからないでしょう?
僕も書いていて意味がわからない。
少し説明しよう。
- 口で息をした。
僕は幼い頃(太っていた頃)、慢性鼻炎だった。
常に鼻がツマっていたのだ。
当然、「鼻呼吸」ができない為、必然的に「口呼吸」になる。
それを兄は許してくれなかった。
- 口の中が見えた。
1の亜種。
僕は鼻呼吸が出来ないのは、食事でも同じだった。
「呼吸する為に、口を開けながら物を噛むな。」という言い分だそうだ。
しかしこれは、食品を口に入れる際にも適用される。
とにかく口の中を見られてはいけないのだ。
どないせいっちゅうねん!!
- 聞き返した。
僕は生まれつき、耳が悪い。
「聴力検査」。あれが聞こえた試しがない。
検査する人に「聞こえたらボタン押して下さいね!!」と怒られる始末だ。
こっちは聞こえねえから押さねえんだっつの!!
数年前、改めて耳鼻科で検査してもらったところ、「聴力レベル70歳」の称号をいただいた。
そんな僕は、何かを言われても聞き取れない事がほとんどだ。
兄からの命令もそう。
命令を聞き取れなければ、その命令に従うこともできない。
しかし、「聞き返す」とペナルティが加算される。
- 太った。
太ったらダメらしい。
体重計で量ることはしない。
兄の目分量で決まる。
兄が「太った」と言えばペナルティが加算される。
こんなところだろうか。
意味がわからないでしょう?
僕も書いてい(略
しかし、兄はこれらの「ペナルティ」をメモに取る。
そして、僕に暴力を振るう際にズラリと並ぶ「正の字」を僕に見せるのだ。
「お前はこれだけ悪い事をした。だから殴られるのは当然だ。」
そういう「形式」を取りたかったのだと思う。
この「形式」を使って、僕に「殴られて当然」という「罪悪感」を植え付けたかったのだと僕は考えている。
しかも恐ろしいのが、「これらペナルティ」は、定番メニューだということ。
兄は、チッタというお客様の罪悪感に「飽き」や「慣れ」が生じない様に「期間限定メニュー」を用意してくれた。
「チッタの後にトイレに入ったら臭かった」なんて「ペナルティ」を突きつけられた時は、さすがにギャグかと思った。
そしてこの「正の字」
「正の字」の1本につき、ワン暴力。
間違ってはいけない。
「ワンパンチ」ではなく「ワン暴力」だ。
要するに「一回、兄が満足するまで殴る権利。」なのだ。
つまり、「正の字」がひとつ完成する毎に、兄の権利は「5回」与えられるわけだ。
そんなモン、「ペナルティ」が払い終わるわけがない。
まさに終わらない悪夢。
笑うしかないw
支配されて。
僕が小学5年、6年生になる頃には、「兄からの支配」は完成していた。
痛みと恐怖に、「罪悪感」による支配が加わった。
ここまでくると、「チッタからの反逆」は無いモノと考えて良いだろう。
「主人と奴隷」「捕食者と被食者」
僕と兄の関係は、まさに「従属関係」といったところだった。
「従属関係」に浸った僕は、感覚がマヒする。
「感覚がマヒした」僕は、兄からの「理不尽なモノ」に対して、「理不尽」だとも「オカシイ」とも感じなくなった。
兄に見せられるメモには、「ペナルティの正の字」がズラリと並ぶ。
兄は「俺の前で口呼吸した回数だ。」と言ってくるが、ちゃんとカウントしているかもアヤシイ。
兄は理解できなかった様だけど、僕は「鼻呼吸をしない」のではなく、「鼻呼吸が出来なかった」わけだ。
つまり、四六時中「口呼吸」をしているわけで、ちゃんとカウントしているとしたら、逆に「ペナルティの正の字」が少なすぎるのだ。
「ちゃんとカウントしてるの?」「常に口呼吸しているけど、一回の定義は?」
今となってはツッコミどころが多数ある。
そもそも、そんなモンを「ペナルティ」と呼ぶ事自体がオカシイ。
しかし、当時の僕はそれを「オカシイ」とも「理不尽」とも思えなくなった。
そのうち兄は「ペナルティ」を僕に売りつける様になった。
「正の字、ひとつにつき1000円」みたいに。
つまり、1000円払えば「ファイブ暴力」がチャラになるわけだ。
ニーさん「お前、今月〇〇回殴られるけど、どうする?」
僕が「本当に悪い事」をしたのなら、この申し出は願ったり叶ったりだろう。
こんな「申し出」はオカシイし、狂っている。
しかし、当時の僕は、とても喜んだ。
願ったり叶ったりだった。
お金払って殴られないなら、喜んでお金を払った。
僕は自分に「課せられたペナルティ」を買う為に、お小遣いを節約した。
欲しい物も我慢して、お金がかかる遊びの誘いは全て断った。
その頃の僕にとって、お金は殴られない権利を買うためのモノだった。
何度も言うけれど、「それ」をオカシイとは思わなかった。
ニュースなんかで「イジメを受けていた子が、結構な金額をイジメ主犯者に渡していた」なんてのを見る。
「なんでそんな金額渡しちゃうかな」とか「なんで相談しなかったかなあ」てな意見を聞く。
僕にはその「イジメられ、お金を渡す子」の気持ちがわかる気がする。
お金を「渡す渡さない」相談を「するしない」という話ではないんだと思う。
「出来ない」とも少し違う。
選択肢そのものが無いんだと思う。
他の人のことはわからないけど、少なくとも僕はそうだった。
ハタから見れば、思考がマヒして正常な判断が出来なくなっている様に見えるだろう。
今の僕もそう思う。
だけど、当時の僕からすれば「殴られない為にお金を払う」というのは、正常な判断だった様にも思う。
他の家族はアテにならなかったしね。
今だから思うこと。
狂ってるw
どこからツッコメば良いのだろうか。
誰か教えて!!
僕が中学生2年か3年生の頃になると、兄からの暴力は無くなった。
痛みや恐怖、罪悪感による支配もなくなった。
僕が高校生になる頃には、兄を前にしても「恐怖ですくむ」こともなくなった。
兄からの支配はなくなったと思っていた。
モチロン、そんなことはない。
確かに、「兄が怖い」などといった表面的な支配はなくなった。
だけど、僕の心や人生は兄に支配されたままだった。
僕の人生には、常に兄や家族がチラついた。
それは、僕の中で家族から受けた傷が癒えないまま「問題」として残っていたからだろう。
僕はそんな人生が嫌で、自分と向き合い、見たくない過去を掘り返し、自分の傷の深さを知って、「問題」に向き合ってきた。
それでも、まだ足りなかった。
だから僕は、「家族を許そう」と思った。
でも、そんなモン、簡単に出来る訳がない。
兄の事に関して言えば、やはり憎しみが強い。
それも当然。
僕はあの家で、満足に呼吸をする事さえ許されていなかった。
思い返す度に、ハラワタが煮えくり変えそうになった。
だけど、そのままでは僕は前に進めない。
だから、兄の事を知ろうと思った。
「兄のデビュー戦」でも書いたけど、兄は3、4歳の時点から僕に対してとんでもない憎しみを抱えていた。
僕自身、アダルトチルドレンや愛着障害といったモノの苦しんでいた。
兄も「そう」なのだと、「兄の目線を想像して」考えてみる。
すると、兄の僕へ対する憎しみが少し理解できた気がした。
兄は精神を患っている。
僕は母から兄の病気を聞いていた。
その「病気」を調べ、勉強した。
その「病気」が与える影響。
どういった経緯で「患う」のか。
「兄のこと」意外にも、沢山の事を知ることができた。
こうやって、兄のことを知ろうと僕なりに努力した結果、兄もまた被害者であると思える様になった。
この変化は、僕自身とても驚いている。
モチロン、兄のことはまだ許しちゃいない。
だけど、僕の生活の中で「兄がチラつく」ことは格段に減った。
多分、僕が少しずつ「兄の支配」から抜け出せた結果だと思う。
兄のことを許せる日が来るかはわからない。
だけど、「兄がチラつく」せいで嫌いになる人というのが、僕の中で減っていく実感がある。
僕はずいぶんと「生きやすく」なった。
これからも「兄にされたこと」と向き合って、より「生きやすい」人生にしていきたいと思う。
まさに暴君ですねよく耐えましたね
家の兄も何かしでかす怖さがあるんでビクビクしてます
あの家庭で育っていた僕の「悪手」は、耐えていた事だと思っています。
あの頃はインターネットも今程に普及していなかった時代です。
だったら、学校の先生達に真剣に相談して回っていれば、ひとりくらい突破口を開いてくれる人がいたかもしれないと思っています。
まぁ、当時は「ツラい」と認識も出来ていなかったし、子供の僕にそこまで要求するのは酷な話ですが。
まぁ、「たられば」の話です。
今はインターネットも普及して、調べれば情報が出てくる時代。
家庭内の問題も世間なんかに浸透していますし、本当にツラくなったら、周りのチカラを借りるのも良いと思います。