エゴサ。

ワタクシなんと、取材を受けました!

このブログに辿り着いてくださった「旦木瑞穂さん」より、「家庭問題、毒親問題」についての取材の依頼をくださったんです。

いやー、最初は詐欺かなんかだと思いましたねw

だって、人様の目に入る様なブログじゃねえと思ってたんだもん。

そんなこんなで取材が進み、無事に掲載されることとなりました。

「PRESIDENT Online」にて掲載されていますので、興味があればご観覧ください。

前編https://president.jp/articles/-/82251

後編https://president.jp/articles/-/82249

さてさて、掲載された記事は、Yahoo!ニュースにも反映されていまして。

いわゆる「ヤフコメ」で読者さんのコメントが直で読める訳です。

もの凄く興味深い。

これが「エゴサ」ってヤツかとw

今回は「ヤフコメ」に寄せられたコメントについて、僕が感じたことなんかを書いていこうと思います。

コメント内容の内訳。

  • この程度普通、不幸でもなんでもない 5割
  • 同情、家庭問題への関心 3割
  • 作り話 2割

パッと見でこんな感じでしたね。

今、この記事を書いている時点で、ですが。

予想外でしたね。

「この程度普通。」「こんなの不幸でもなんでもない。」「もっとつらい目にあった人は沢山いる。」

こんな意見がほとんどだと思っていました。

意外と温かい意見もありましたね。

結構嬉しいモノでした。

その中でも特に嬉しかったコメントがこちら。

「父親観察日記」は僕のお気に入りエピソードなので、期待通りのリアクションですw

と、色々と感じる中で、僕が1番注目したのが「作り話」という類のコメントです。

この手のコメントをした人の心理というモノに、とても興味が湧きました。

なぜ「作り話」だと決めてかかるのか?

掲載された記事について「作り話」だとコメントする心理を僕なりに考えてみました。

  • 家庭に問題を抱えたケースが身近にない。
  • 「ライター」という職業を攻撃したい。

こんな感じかと考えました。

「家庭に問題を抱えたケースが身近にない。」という仮定で考えると、僕が育った家庭の話を信じられない気持ちがわかります。

だって僕自身、「家族大好き!」みたいな「幸せな家庭」ってモノを信じられなかったので。

今でこそ「幸せな家庭」というモノを「まぁ、あるんでしょうね。」と、捉えることが出来ます。

ですが、昔は「そんな家庭なんて存在しない。リップサービスでしょ?」と、本気で思っていました。

この感覚と同じなのかな?と思いました。

実際に身近にあったり、そういう話に触れてこないと中々信じるのは難しいのかなと。

ですが、僕としては「この仮説」は少し違うかな?と感じます。

僕の本命の考えは「[ライター]という職業を攻撃したい。」の方です。

「潔癖」なのかな?

仮に、「問題を抱えた家庭を信じられない人」が「こんなん作り話っしょ。」とコメントした場合、その意図は何だろうと考えました。

それは「攻撃」なのだろうと考えます。

 

僕自身ブログを書いている訳ですので、少なからず「文章にする難しさ」をわかっているつもりです。

テーマに沿った構成を考え。

エピソードを引っ張り出し。

エピソードの取捨選択。

エピソードの繋ぎ。

読み易さの為の言葉選び。

出来ているかはともかく、ザッと挙げるだけでも、こんなことを考えて文章を書く訳です。

僕のブログは「趣味」なので、かかる時間や文字数の制限なんかもありません。

ですが、ライターという「職業」は、時間制限も文字数制限もあります。

更に言えば、今回は僕に「取材」をした訳です。

「取材によって得た素材」を、自分が書くテーマにどう沿わせていくのか。

僕に取材に来てくださった旦木さんの原稿を読み、その技術力に驚かされました。

今回、メールでの取材だったのですが、僕の返信は「記載された記事の数倍」程度の量ですからねw

よくあそこまでまとめ切れたモノだと思いましたよ。

僕にはライターという職業は…興味がない訳じゃないですが、しんどいですねw

 

さて、そんな「ライターという職業を攻撃したい人(仮)」は、どんな心理なのかな?という話です。

おそらくは、その大変さを理解していないのかな。と思います。

多分、「ひとつの記事の作成までの過程」が意識から抜けているんじゃないかと思います。

敢えて悪い言い方をしますが「人の不幸話で[楽に]飯を食ってる人」と、短絡的に捉えているんじゃないかと想像しています。

「人の不幸話を並べるだけで飯が食えるズルい行為だ!」みたいな。

「自分はもっと大変な思いで頑張っても薄給なのに!」みたいな。

そういう不平不満の様なモノが「攻撃」という欲求になり、「作り話だ!」と陥れようとしたのかな?と。

もしかしたら、「文章にする難しさ」は理解しているのかもしれませんね。

だからこそ「創作」やら「作り話」やら「話の寄せ集め」という発想になるのかな?

 

それはさて置いて、僕が注目したのは「不幸話」という部分。

世の中、いわゆる「不幸話」に嫌悪を示す人がそこそこな数いると感じます。

ましてや、「そこ」にお金が絡むと怒りを露わにする人というのもいるのでしょう。

実際、過去の職場に「弁護士なんて、人の不幸で飯を食うゲス野郎。」と言い放つ人がいました。

「彼には何があったのだろう…。」と思いましたが、めんどいので深掘りしなかったんですがw

何というか、「潔癖」なのかな?と。

言葉が正しいかわかりませんが、そう感じます。

まぁ、全部僕の妄想なんですけどねw

「生い立ちの壮絶さ」なんて比べるモノじゃない。

最後に、今回の取材、エゴサしてみて、僕が思うことを少し。

僕自身、自分の生い立ちについて、そこまで壮絶だとは思っていません。

ヤフコメにもありました。

「こんなんヌルい。」「昭和の家庭なら当たり前。」

旦木さんの手がけた他記事を拝見させて頂いたのですが、僕でも引く様な壮絶な生い立ちの方がいました。

ですが、どれだけ「壮絶な生い立ちなのか」は、然程重要ではないと考えています。

重要なのは、「自分がどんな傷を負ったのか」「自分がどんな傷を抱えているのか」の把握だと考えます。

トラックに撥ねられようが、転んだ擦り傷だろうが、痛いモンは痛えんですよ。

「あの人はもっと痛いんだから我慢しなきゃ。」

こんな考えが浸透している気がします。

体の傷は見えやすいです。

しかし、心の傷は見えにくいと思います。

 

家庭の問題は、もっともっと見えにくいモノです。

それこそ、当事者ですら気付かない、気付けないモノだと思います。

ちゃんと自分と向き合って、自分が負った傷を見つけ。

「うわぁ…。こんな生い立ちの人もいるんだ。」

「つらかったろうな…。」

「でも、僕も痛いもん!」

これで良いんじゃないでしょうか?

「生い立ちの壮絶さ」なんて比べるモンじゃないです。

 

もしかしたら、批判的なコメントをする人の中には「本当はつらい。だけど、世の中もっとつらい人がいる…。」と、自分の傷を過小評価している人がいるかもしれません。

そんな人には「知多翔平(仮名)は、この程度で痛いと喚いている。」

「自分も痛がって良いのでは?」とでも捉えて欲しいです。

まぁ、こんなブログ読みに来るとは思えませんがw

感謝。

今回、取材という貴重な体験を与えて頂きました。

僕の生い立ちを他者の手で記事になった様子は、とても興味深く思いました。

「この話を採用するのか。」

「ここを繋げるのか。」

などなど、とても勉強になりました。

 

そして、読者さんの感想というモノも、とても興味深かったです。

やはり、生の声というのは良いですね。

批判的な意見は、僕の知り合いからは中々聞けませんから。

同情的な意見で、「あぁ、ここの理解はありがてぇ…。」と感じる意見がありました。

過去の自分にも見せてやりたいです。

 

今回、貴重な体験を与えてくださった、旦木瑞穂さん。

世間へ声を届ける場を提供くださった「PRESIDENT Online」関係者皆様。

コメントで生の声を聞かせてくださった読者皆さん。

僕が感謝するのはオカシイのかな?

ですが、ありがたい体験でした。

ありがとうございました。

2 COMMENTS

しもけん

もしかしたら、攻撃にする人には、自分もライターになりたいけどなれなかった人や、文章で飯を食ったり、脚光を浴びたかった人もいたかもね。それが自分はうまくいかなくて、負の感情がたまってしまってるのかも。

俺も昔音楽で成功したいと思いつつうまくいかない時に、路上ライブをやっているシンガーや、見ず知らずのバンドに、羨ましいという感覚と嫉妬が混じり、その人をジャッジして文句を言ったりしていた。「頑張っている人に文句を言うその姿勢なんなの?」と当時付き合っていた彼女に注意されたこともあったよ。

例えるなら、高校球児で頑張っていたプロを目指していたが、才覚がなく挫折。同世代でプロ入りした選手の文句いっちゃうみたいなw

またそういう夢とか大それた事でなくても、チッタみたいに自らの体験や経験を他者に評価してもらって、それを取り上げてもらえる。それ自体に嫉妬を感じる人もいると思うのよ。

あんな奴よりも俺の体験はすごい!あいつよりも俺は知ってる!あいつはまだまだだ!
だから俺を見てくれ!
そんな風に、暗に自分の方がすごいと言いたい、誰かに自分を見て評価してほしい、そんな心の叫びがヤフコメの批判コメントに現れている気もするな〜。

まぁ心で思ってても評価しようがないから、だったら自己表現して他者の目のつくところに発信しろよって話だと思うんだけどね。

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titta31@

そういう人もいたのかもね。
成功したい分野で成果が出なくて、だけど、目の前で自分が欲した成果を手に入れている人の姿を見たら、攻撃的になる気持ちもわかるね。

勝手にジャッジするってのは正に攻撃性の現れだよね。
「何とか陥れる箇所を見つけてやろう。」みたいなw
よく探してたなー。

「自己表現して〜」っていうのは難しいかもね。
だって、自分が酷評ばかりして、世界が悪い感情になってるんだから、自分が出した(出す)自己表現が、望む評価を得られる想像出来なくない?
酷評をする良い見本が自分なのだから、「アラ探しされるのでは?」って不安になって、自己表現なんて出来ない気がするな。

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