家という聖域。

僕が幼い頃に住んでいた実家は、それはそれは安心とは程遠いモノでした。

家の構造がどうのって話じゃなくて、まぁ、家族的なアレです。

その反動からか、一人暮らしを始めてからの僕は、自宅が唯一安心できる場所になります。

「ここは僕ひとりだ。」

「ここには母も父も兄もいない。」

そんな安心感を得ることが出来ました。

しかし、自宅は僕に、安心感と共に不安も与えます。

「唯一安らげるこの場所に、誰かが入ってくるのではないか?」

そんな不安です。

 

実際僕は、信頼する幼馴染や、当時付き合っていた彼女でさえも、僕の自宅に居る場面でストレスを感じていました。

更にいえば、「家族が来るのではないか?」という、まだ起きてもいない事に怯え、不安を抱え、本当の意味での安らぎはありません。

「誰かが家に入ってくる夢」を見ては不快な気分になる日々です。

僕にとって「誰かが家に入ってくる夢」は悪夢です。

おそらく僕は自宅を「聖域」の様に神格化してしまったのだと思います。

「唯一安らげる場所」から「僕以外の誰も入れてはいけない場所」。

自宅に入る(かもしれない)僕以外の誰かを「不浄なモノ」と感じていた様に思います。

 

しかし僕は、家族と事実上の縁を切り、今の家に家族が来る心配を断ちました。

僕の自宅に家族が来る可能性は、ほぼ無くなりました。

その甲斐あってか、「聖域の様な神格化」は薄れていった様に感じます。

「僕の中での最大の不浄なモノ(家族)が僕の聖域を脅かすことはもう無い。」

そんな安心感を得たことによって、わざわざ「誰も入れてはいけない場所だ!」と心を尖らせる必要がなくなったのだと思います。

 

つい先程、僕の自宅にネット回線の工事が入りました。

遂に我が家も光回線です。

当然、自宅に業者さんが入る訳です。

メチャクチャ疲れた!!

やっぱ自宅に他人が入るの嫌ですわ!!

もう、聖域でいいよ!!

光回線速えw

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