「毒」が抜けていく実感。

この春、「とある知人」が東大に合格しました!

おめでとうございます!!

東大とかすげえ!!

め で た い!!

僕も嬉しいです。

そう、「僕も嬉しい」んですよ。

昔の僕だったら、考えられない事です。

昔の僕だったら、何か要らん事でも言っちゃうんだと思うんですよ。

いやー、僕も「丸くなった」というか、「毒が抜けていってるんだなー。」と感じます。

「知人の東大合格」をエサに、僕の毒の抜け具合でも語ろうかと思います。

毒が抜けた実感。

妬みと自己防衛。

多分、昔の僕が「このめでたい知らせ」を聞いたら、こう思った(言った?)でしょう。

「ふーん、東大ね。凄いんじゃない?でもまぁ、学歴だけで人生が決まる訳じゃないし、10代には10代でしか出来ない貴重な経験ってモノがあるし、その貴重な時間を勉強だけで潰したってのは勿体無いよね。大学卒業後に社会に出る事を考えたら、アルバイトで働く経験を持っていた方が有利だと思うんだよね。大学に進学出来る様な家庭で良かったね。親に感謝しなよ。」(早口)

こんな風に批判から入り、聞かれてもいない持論を語る様な嫌なヤツでした。

黙っててほしいですねw

 

まぁ、妬みですよ。

「理屈自体」は「もっともッポイ事」を並べてるけど、色々とツッコミ所満載な意見です。

僕には

  • まともに勉強出来る家庭環境がなかった。
  • 勉強が出来ても、進学出来る経済力がなかった。
  • 高校を中退し、アルバイトで生きていくしかなかった。
  • 今歩んでいる人生を、「正しい」と思いたかった。
  • 「初めから手にしているモノの差」で、「人生にまで差が出る」のに我慢出来なかった。

こんな「ひとつひとつの思い」を明確にする事が出来なかった為、思いが混在し、イライラの様に不快感に襲われ、まるで「自分が攻撃されたかの様な意識」になっていたんです。

そして根底には、「自身の無価値感」「何でも良いから価値を手に入れたい焦燥感」「自分だけが持っていないという不平等感」があった様に思います。

 

僕は持っていない。

アイツは持っている。(決め付け)

持っていない僕は、もっと頑張らなくてはいけない。(勝手な焦燥感)

持っているアイツが、更に手にしたモノを自慢してきた。(被害妄想)

多分僕自身、当時の「自分の考え方や生き方」を、心のどこかでは「何か違う、しっくり来ない、不快感がある」と感じていたはずです。

でも、どうにも出来なかったし、どうにかする余裕もなかった。

だから「自分は正しい」と思い込もうとしたし、「他人の功績は敵だ(攻撃だ)」と感じたんだと思います。

僕は自身の正しさを守る為に、アイツの功績を否定しなくてはいけない。

勝手に攻撃されたと感じ、誰が脅かすでもない自身の正しさを守る為の「自己防衛手段」が、「批判する事」でした。

 

今回の「めでたい知らせ」を聞いて、知らせ自体も嬉しかったのですが、「他人の成功を素直に喜べる僕」という現状にも嬉しさを感じます。

危うさを感じる「彼」。

「東大に合格した知人」なのですが、実はまだ、それほど親しい仲ではありません。

正確な年齢を知らなければ、名前も性別も見た目だって知りません。

多分、男性なのかな?って事で「彼」と呼ばせてもらいます。

 

彼と僕は「複数人が集まるチャットみたいなモノ」での付き合いです。

個人的で直接的な会話はした事がないのですが、なんか可愛いヤツです。

「末っ子っぽさ」みたいな感じですかね。

みんなで「とある話題」で盛り上がってる時、「突拍子もない事」を「突拍子もないタイミング」で言い放ったりします。

ただ、「突拍子もないタイミング」というのが絶妙で、「突拍子もないんだけど、不快にはならないタイミング」なんですよねw

不思議な子です。

 

多分、物凄く「気を使うタイプ」で人をよく観察しているんだと思います。

「空気が読めない人」の様な動きをしていますが、実は物凄く「空気を読むタイプ」なんだと感じます。

「優しく、寂しがりや」な可愛い人なんだと感じます。

反面、「危うい発言」をする子でもあります。

彼の事をよく知らないので、具体的な事は伏せますが、要は「ギリギリの精神状態を思わせる発言」をします。

沢山のツラさを抱えた子なのかと感じます。

 

昔の僕なら「説教っぽく」なっていたと思います。

本人が話したそうにしていなくても、「ツラん?お兄さんに話してみ?」みたいな。

ウゼえですw

多分、優位に立ちたかったり、支配したかったんでしょうね。

「ツラいの?僕はこうして克服したぜ?」みたく。

それで相手を誘導して、自分が正しかったと証明したかったんですね。

まぁ、昔の僕はそんな感じで、多分嫌われてましたね。

 

今でも口出しする事はありますが、「相手がツラさを口に出した時」に限定する様に心がけています。

僕自身の考え方が変わったのもモチロンあります。

ですが、何より「支配欲」が薄れ、「承認欲求」が正常になってきたのではないかと考えています。

僕から抜けていった毒。

「支配」という毒の連鎖。

僕は、「幼い頃からの家庭環境」により、「自分らしく生きる事を許されなかった」生き方をしていました。

例えば、「鳥の唐揚げと鳥の照り焼きのどちらを食べるか?」という選択をするとしましょう。

食べたいですね。

この「選択をする」というのが「自分らしく、自分が生きたい様に生きる」という事だと思います。

僕は「コレが食べたい!」と自分の気持ちを出す事を許されなかった訳です。

 

あくまで例え話ですが、僕は「食べたい物を選ぶ事」を許されませんでした。

一歩的に「コレを食べなさい。」と出された物を食すだけです。

選択権が無かった僕には「自分らしく生きる」なんて事が出来ず、「自分がどう生きたいのか?」すらわからない大人になります。

いわゆる「毒親の無自覚な支配」みたいなモンです。

僕には「直接的ではない支配をする親」と、更に「直接的な支配をする兄」という「ややこしい家庭」で育った経緯があります。

そんな僕は、「支配する方法」でしか人間関係を構築出来ない「毒」を抱えました。

 

昔の僕は「自身に支配欲がある自覚がない、無自覚な支配者」の様な人間だったと思います。

今では、「自身に支配欲がある」という自覚があります。

そして、「他者を支配する事」が僕の正義ではないと考えられる様になりました。

今の僕は「自身に支配欲がある。」と自覚し、その上で「自覚と制御」をバランスよく持てているのだと感じます。

自分が抱える毒を知り、自分の価値観を明確に出来た事で、僕の毒は抜けていったんだと考えています。

毒による不平等。

僕の「不平等感」は、僕が幼い頃から積み重なったモノです。

主に「兄弟間での不平等」ですね。

昔の僕の視点では、「兄が欲しい物は与えられ、僕は我慢ばかりしている。」と映ります。

そして、母は僕に「毒キノコ」を食わすのです。

 

母は僕に「お願い」をします。

僕は「それ」に応えます。

母はご褒美として「毒キノコ」をくれます。

「チッタが居てくれて、よかったよ。」と。

 

一見、微笑ましい光景に見えますが、僕は「お願いに応える為」には自分を殺す必要があります。

「母のお願い」は、結局のトコロは「僕が憎む兄の尻拭い」な訳です。

僕は「兄の尻拭い」なんぞに時間も労力も使いたくありません。

ですが、母がくれる「毒キノコ」には中毒性や依存性がありました。

僕は「チッタが居てくれて、良かったよ。」という「母からの毒キノコ」を求め、自分の意思を殺し続けました。

 

「母がくれる毒キノコ」は、巧みに姿を変え、僕に「母からの愛情」だと誤認させました。

そして「毒キノコによる中毒性」は、僕の心を蝕み、歪ませます。

そんな僕は、「妬みや不平等感」を周囲に撒き散らす様になりました。

 

今では、「母がくれたモノが毒キノコである」と認識出来ています。

「そんなモンの為に。」と、自分の価値を渇望し、焦燥感に駆られることもなくなりました。

「自分を守る必要がないし、そもそも攻撃なんてされていない。」

そう思える様になりました。

そして、「兄ばかりが…。」と映っていた記憶が勘違いだという事にも気付きました。

「兄が母にもらっていたモノ」もまた、「毒キノコ」だと気付いたからです。

「コレら」に気付いた事により、僕は冷静に「不平等は当たり前」と考えられる様になりました。

 

他者と自分のスタートが違うのは当たり前なんです。

他者が何を手にしようと、他者には他者の事情や過程があります。

僕は僕のペースで進めばいい。

「他者には絶対に手に入れられないモノ」を僕は手に入れたと思える様になりました。

その事で「僕の毒」は抜けていき、誰かの成功を喜べる様になったのだと感じます。

 

上手に付き合えば「武器」になる。

やっぱり心配な彼。

話を「東大合格の彼」に戻します。

何度も言う様に、僕は彼の事を詳しくは知りません。

完全に僕の推測での話になります。

 

僕は彼に「危うさ」を感じます。

「東大合格の目標を達成出来た今でも」です。

「彼の要所要所の発言から」思うに、「彼は本当に東大に行きたかったのか?」という疑問が湧きます。

「東大に合格したい気持ち」は間違いないと思うのですが、では、「その気持ちはどこから来たの?」と。

彼は「東大受かったら〇〇。」「東大受からなかったら〇〇。」とは、よく口に出します。

ですが、「〇〇の為に東大に受かりたい!」とは聞いた事がないんですよね。

だから僕は「危うさ」を感じるんだと思います。

まだ付き合いの浅い僕の推測ですし、その事で僕が動くつもりも無いのですが、どうにも「危うさ」が拭えないんですよね。

 

「東大合格」は、「過程」でしかないんですよ。

この先、もっともっと「課題」がのしかかって来ます。

大学での生活や勉強。

その先の就職。

その先、その先と、人生には「課題」が尽きません。

 

「どこかでガス欠が起きるのでは?」というのが、僕の考えです。

あくまで僕の推測ですし、他人が口を出して解決する問題ではないと考えています。

何より、彼自身が「助けて。」と言って来た訳じゃないですしね。

ここで動いても、それはまた「支配」だと思うんです。

 

でもねぇ、アイツ、可愛いんですよw

報われて欲しいですよ。

彼、絶対頑張ったもん。

まぁ、僕の妄想である事を願って、見守っていきます。

僕には「糧」になった。

僕が幼い頃。

家族を憎んで過ごした20代前半。

そりゃあ、ツレえ日々でしたわ。

 

僕は「普通の家庭」で育ちたかったんだと思います。

今だって、選べるなら「普通の家庭」を選びます。

ですが、「自分の生い立ちを捨てたいか?」と聞かれれば、答えは「NO」です。

僕は結構、「自分の生い立ち」を気に入っています。

だって、「武器」になるもんw

 

僕が「自分の生い立ちを気に入っている」のは、「今の僕は、あの家庭で育ったから」こその存在だと思うからです。

僕ね、自分が大好きなんすよw

「普通の家庭で育ってたらなー。」なんて考える時もありますが、やっぱり「今の自分」を失うのが怖くなります。

「僕の生い立ち」には、「毒」がありました。

むしろ、「毒まみれな生い立ち」です。

だけど、上手に付き合えば、「誰も経験していない武器」になると考えられる様になりました。

 

推測の域を出ない、ただの僕の妄想ですが、「彼」がもし、「自分は無駄な時間を過ごした。」と感じる時が来た場合。

まずは「その思い」を否定せず、受け入れて欲しいと思います。

やりたい事を我慢したのかもしれない。

本当はもっと、「別の形」で自分を見て欲しかったのかもしれない。

その上で、「自分が成し遂げた事」を、素直の褒めてあげて欲しいと思います。

「東大合格」ですよ?

仮に、「本当の自分の意思」ではなかったとしても、「強制された頑張り」だったとしても、「東大合格まで成し遂げた」事には変わりありません。

僕は素直に「凄い」と思うし、「頑張った」と思います。

 

世の中、「人は学歴じゃないよ。」と言う人もいます。

僕も確かに「人は学歴だけでは計れない」とは思います。

ですが、「学歴には、それ相応の過程」があると思っています。

「過程」は、良くも悪くも嘘を吐かないと考えています。

自分の人生に虚しさを感じたとしても、自分が「積み重ねた過程」を有効に使い、「自分の生い立ち」を武器に歩んでいって欲しいですね。

 

最後に改めて。

東大合格おめでとうございます!!

2 COMMENTS

しもけん

この記事は、本当にチッタが凄いと思った。俺もやってしまっている事や、思考が及んでいないことも多く、これだけ近い友人なのにリスペクトの念が湧いたわ。ちょっと自分の課題をカウンセリングしてほしいとすら思ったわw

東大合格の彼の原動力が、承認欲求だったら確かに心配にはなるね。
俺も少し似たような話があってね。昔東大生の知り合いA君がいて、短い間だったけど少し話をしたら、A君は東大生なのに自分の事を「存在価値がない」と言っており、自身の価値を最底辺に位置付けて生きていた。

当時心配になったが、数年後に噂で聞いたのは、医者になって人を助けていると聞いた。

また社会人スクールで、東大院生の知り合いB君と出会った。話を聞くとB君は俺とは違いすぎる学力だったし、結婚してお子さんの子育てをされているという事で尊敬の念を覚えたし、俺は勝手にB君を、人生の成功者だと思い、自分とは違う世界の人だという位置付けをしてしまったが、数年後にB君は離婚されていた。

離婚がダメとか、医者が良いという話ではないんだが、一見心配そうに見えてもその後、何か生きがいや目標を見つけることもあるし、順風満帆そうに見えても、本人からしてみたら何かしら問題を抱えていたりするな〜と。

ただ東大に受かるくらいだから、その過程で培われた、結果を積み上げる力や忍耐力とか、先を見通して行動する力とか、どんな道に行っても人生の財産になるスキルは沢山持っていそうだし、あとは本人次第だよね〜な〜んて思ったり。

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titta31@

なんと言うか、得意分野みたいなものが別れていったよね。
ふたり共、初めは「問題アリアリな家庭で育った故の生きにくさ」みたいなものから始まったんだけどね。
俺も見習う所が沢山あるし、今回そう言ってもらえたりもする。
家庭問題やら精神医療(?)なんかの本でも、少しずつ好みの違いもあるし、不思議なものです。

結局は、自分が何を好きで何を求めて、どんな事を考えてどんな選択をするかなのよね。
自分で考えて納得出来る選択であるなら、医者であろうが離婚だろうが良いことなんだと思う。

確かに、「東大合格の彼」にも俺の知らない生きがいやら目標やらを持ってる可能性は十分にある。
そもそもが俺の妄想の可能性も。
今の俺がどうこう出来る、どうこうしてなんとかなる問題じゃないからね。
下手な妄想は程々にして、現実の方を見ますよ。

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