家庭崩壊時代の終わり。

「あの家の家庭崩壊」は順調に進行していた。

「母の不倫」からの「父のアルコール依存の加速」により、「両親の不仲」までもが加わった。

そして、その後の「父の自殺未遂」によって、ようやく僕は「我が家の家庭崩壊」を認識した。

「家庭が壊れた…。」

そう感じた僕だった。

だけど終わらない。

「あの家の家庭崩壊」は、それだけでは終わらないんだ。

遂に兄は、父に牙を剥いた。

そして皮肉な事に、「兄が父に牙を剥いた事」で、我が家の家庭崩壊が終わった。

家庭内暴力。

父親に暴力を振るう兄弟。

家庭崩壊が続く中、僕は中学生になった。

相変わらず父は酒に溺れ、両親は不仲なままだ。

少し変わったのは「兄からの暴力が減った事」だった。

とは言っても、暴力が減ったのは「チッタに対する暴力」ってだけだ。

兄は「暴力の矛先」を父に変えたのだった。

 

兄が「暴力の矛先を父に変えた」のには、様々な理由があったんだろう。

僕はその理由について、兄に直接聞いた事がない。

多分、大きな理由としては「父への怒りが募った。」ってトコロでしょう。

そんなこんなで兄は、父に暴力を振るう様になった。

そして、「父に暴力を振るった」のは、僕も同じだった。

 

僕は父に暴力を振るう様になった。

あの頃の父と母は、お互いに関わらない様に距離を置く様になっていた。

だけど、稀に「両親が取っ組み合っている場面」に出くわす事もあったんだ。

そんな時、僕は迷わず「母の味方」をした。

僕は父を引き離し、「黙らす為の暴力」を父に振るった。

「酒に溺れた父」相手には、「中学生の僕」でも完封可能だった。

 

しかし、「母を守る為」と言えば聞こえが良いけど、実際は僕も「暴力で支配する事」を覚えてしまっていたんだろう。

事実、僕は「ひとりで酔って暴れていただけの父」に対しても、暴力で父を大人しくさせていた。

ロクなモンじゃない。

「あの家」は暴力ばかりだった。

父の事が憎くて堪らない。

僕は父を殴った。

まぁ、「殴る」だけじゃなかったけどね。

僕は「身勝手な父」が憎くて堪らなかった。

母が昼も夜も働く中、父は昼も夜も酒を煽る。

夜中になれば、父は騒ぎ、暴れ出す。

トーさん「ふざけんじゃあねーよぉ。」

お前がふざけるな。

 

そして僕は「父を大人しくさせる為」に父を殴る。

殴れば、父は大人しくなった。

僕はあっさりと「暴力による支配」を覚えてしまった。

「酒を飲まないでくれ。」

「学校だってあるんだ。寝させてくれ。」

言葉で伝えてたって、父は何も変わってくれない。

「暴力で父を大人しくさせる」のは、早く、楽で、確実な方法だった。

 

しかし、僕が暴力を振るったのは、「効率化」だけが目的ではなかった。

父は身勝手でやりたい放題だ。

貧乏なのも、母が大変なのも、夜に静かに眠れないのも、全部「身勝手でやりたい放題な父」のせいだと僕は思った。

父の事が憎くて堪らなかった。

だから僕は父を殴り、大人しくさせた。

「兄が僕にしてた事」と、然程変わりはなかったんだと思う。

暴力の正当化。

気持ちは晴れなかった。

たまにある表現で「相手を殴れば、殴った方の心も傷付き、痛む。」みたいな話があるけれど、そういうモンなのかもしれない。

僕の場合は父を憎めば憎むほど、「父に溺愛された事や、父を好きだった自分」が思い返され、罪悪感に苦しんだ。

「あんなに愛され、好きだった相手に、僕はなんて酷い事をしているんだろう。」

そういう想いがあったはずだけど、当時の僕は「その気持ちを言語化出来ず」にいた。

ただ、「気持ち悪いモヤモヤ」を抱えて、スッキリしない日々だ。

だから僕は、「父は僕に、もっと酷い事をしているんだ!」と、父をより憎む事で正当化していた。

いずれにしても碌なモンじゃない。

 

だけど幸いな事に、僕は父に暴力を振るう事を早期に止める事が出来た。

僕は中学生になった辺りから、全くの別件でカラダを鍛えて始めていた。

その頃の僕は、「父と同等の身長」になった上に筋力も付いた。

体格でいえば、父に勝っていたはずだ。

そんなある日の暴力の「僕が放ったカス当たり」に、父は呆気なく崩れ落ちた。

僕は驚いた。

「全く手応えの無い一撃」だったはずなのに、父は「崩れ落ちた」んだ。

「人ってのは、こんなに簡単に壊れてしまうのか。」

そう感じた僕は、暴力を振るうのが怖くなった。

だからそれ以降、父に暴力を振るう事はなくなった。

激しさを増した兄の暴力。

僕が「父への暴力」を止めたのは、もうひとつ理由があった。

それは、「兄による父への暴力」にドン引いたからだ。

「兄による父への暴力」だって、初めは「両親の仲裁」の様なモノだった。

兄も僕と同じく、「父の醜態」に怒りや、もしかしたら、その他の想いを抱いていたんじゃないだろうか。

兄の「父を止める暴力」に関していえば、僕は何も思わなかった。

だけど「兄による父への暴力」は、徐々にオカシナ方向に向かっていく。

兄は、「父が何もしていなくても」暴力を振るう様になった。

 

元々、「兄による父への暴力」は激しいモノだった。

父を「頭から地面に叩きつけ(要はパワーボムだ。)」たり、倒れた父に執拗に「殴る蹴る」の追い討ちを与えたりする。

側から見てると、それはヒヤヒヤするモノだったのを覚えている。

「そんな兄」に変化を感じた事件があった。

時間は夜中なのか明け方なのか。

その時は珍しく母も家にいた。

僕は寝ていたんだけど、「居間から鳴り響いたエグい破壊音」で目が覚めた。

「またトーさんが暴れてんのか…。」

そう思いながら居間に行ってみると、そこには凄惨な光景が広がっていた。

布団の上で「鼻血をダラダラ流す父」の側に転がっていた「へし折れた木製の踏み台」。

そして、「無表情で立っている兄」がいた。

 

状況はよくわからなかった。

父は「泣くとか叫ぶ」ではなく、「うめく」というか、とにかく混乱していたのだろう。

「息を吐く音」と「声」の中間の様な音を発しているだけだった。

そりゃあ混乱もするだろう。

後でわかった事なのだけど、兄は「寝ている父の顔面」に「木製の踏み台」をぶん投げたらしい。

 

おそらく、父の鼻は折れていたんだろう。

それ程の衝撃を、しかも睡眠中の全くの無謀な状態で受けた父だ。

想像したくもない。

母は父を手当していた。

「手当」とは言っても、せいぜい鼻血を拭くくらいのモノだけど。

兄は無言で自室に戻る。

僕はただ、ドン引きしているだけだった。

案の定と言うか、父は病院に行かなかった(行かせてもらえなかった?)。

色々と「狂っている」なと。

このままでは、「我が家」に死人が出る。

そう思ったのは、僕だけではなかった様だ。

「離婚」と「家庭崩壊」の終わり。

父の強制送還。

「父のアルコール依存」が酷くなった頃、僕と兄は、母に離婚をすすめていた。

「すすめる」は少し上品だな。

正確には、「強要」に近かったと思う。

 

「アイツとは暮らせない。」

「なんでアイツを好き放題させておく。」

「もう、アイツの苗字は名乗りたくない。」

「とっとと離婚しろ!!」

そんな事を僕と兄は母に申し立てた。

まぁ、母は「聞く耳持たず」といった感じだった。

 

「父のアルコール依存」にも、「母が父に強く出れない事」にも、それぞれの事情がある。

「その事情」は、僕が「家族と決別」し、「平穏の中で自分や過去と向き合った」からこそ冷静に捉える事が出来る。

しかし、当時の兄は高校生そこそこだ。

「その家庭環境」は、兄を歪め、ストレスを与え、その先の結果が「僕もドン引く様な家庭内暴力」になったんだろう。

 

母は兄に甘い。

母は、兄が幼い頃から「兄の行い」を止めようとはしてこなかった。

言い換えれば、「しつけをしてこなかった」とも言えるだろう。

さすがの母も、兄の「父を殺しかねない暴力」には「止める姿勢」を見せた。

だが、「時すでに遅し」とも言うべきか、兄は母の言う事など聞きはしない。

「あの家」で、「兄を止められる人間」はいなかった。

このままでは、兄は父を殺しかねない。

「険悪になった」とは言え、「父が殺される」のは母も忍びなかったはずだ。

そして何よりも、「ニーちゃんを人殺しにしたくない。」という、母の「兄を想う気持ち」が働いたんだと思う。

ようやく母は「動いて」くれた。

父の「父の実家へ」の強制送還が決定した。

父がいなくなった「あの家」。

僕は「静かな夜」を手に入れる事が出来た。

毎晩毎晩、「酔っ払っては暴れる父」がいないというのは、それはそれは心に平穏を保たらせてくれた。

そして、驚く事に「兄からの日常的な暴力」が無くなった。

「兄からの暴力」が全く無くなった訳じゃない。

だけど、「兄からの暴力」は「日常」ではなくなった。

兄は「理不尽な暴君」のままではあった。

相変わらず僕は、「兄の理不尽な命令」に背く事は出来ないままだった。

それでも、「暴力が日常ではなくなったあの家」は、僕にとっての平穏になった。

 

「あの家」に平穏を感じたのは、僕だけじゃなかったと思う。

兄の精神状態も安定していた様に思う。

母も、「父と離れて暮らす」事で、考えが変わったのか、そもそも「考えてこなかった事を考える様になった」のか、大きな一歩を踏み出した。

僕が中学2年生の夏、両親は離婚した。

家庭崩壊の終わり。

僕が中学生になった頃、「あの家」の家庭崩壊はクライマックスを迎えた。

両親の不仲は相変わらず。

「父のアルコール依存」による被害も相変わらず。

だけど僕と兄は、父へ暴力を振るう様になった。

しかも、「兄から父への暴力」は、「度が過ぎている」というか、「このままでは父を殺しかねない。」と思わせる程に激しく、異常なモノになった。

改めて思い返すと、ここでようやく「兄の暴力が異常だ。」と思う辺り、やはり「あの家」は狂っていたんだろう。

だけど、皮肉にも「兄の異常な暴力」が「あの家の家庭崩壊を終わらせた」大きな要因になった。

正直、「円満」とは程遠い終わらせ方ではあった。

それでも、あれ位の強行手段を取らなければ、崩壊した家庭のまま、又は「もっと悲惨な結末」だったかもしれない。

 

やっと迎えた平穏だった。

まだまだ「平穏」とは程遠い平穏だったけれど、僕は「ホッ」としたのをよく覚えている。

因みになのだけど、僕の生き方のモットーというか、「目指すモノ」は「平穏」だ。

「ヘラヘラ」と、「外部からの要因」に慌てる事なく、「上にも下にも」ブレの少ない「平穏な人生」を目指している。

この「平穏を求める」というのは、「家庭崩壊を経験したからこそなんだろうな」と思ったりする。

 

しかし、兄は「そう」はいかなかった様に思う。

僕から見て、「兄の人生」は壊れてしまった様に思う。

モチロン、「兄の自業自得」な部分もかなりあると思っている。

だけど、「兄の異常な暴力」を目にして、どこか「アタマのネジが飛んでしまった」様な兄もまた被害者なんだろうなと思う。

僕は「父への暴力」を止める事が出来た。

しかし兄は「父への暴力」が過激化した。

「この差」が、「僕と兄の人生の差」に大きく繋がっている気がする。

モチロン「そこに至るまでの経緯」こそが重要なのだけれど。

いずれにせよ、「あの家」はロクでもねえ家だった。

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