家庭崩壊時代 順調に進む崩壊の中で。

「兄からの暴力」は「僕の日常」となった。

そして兄は「暴力を正当化」する様になり、僕は着々と兄に支配されていった。

あぁ、「それだけ」で済んでいたら、どれだけ楽だっただろうか。

「あの家の問題児」は、兄だけじゃない。

父だって、母だって、僕ですらも問題児だ。

「あの家の家庭崩壊」は、まだまだ終わらない。

そして僕は、ようやく「我が家はブッ壊れた。」と認識する。

※ 注意

今回は長いよ!!

母の心労

スナック経営に勤しむ母。

父が働かなくなって、少し経った頃。

時期的には僕が小学5年生辺りだろうか。

それまで母は、近所の工場にパートで働いていた。

しかし、一向に「仕事を探す気配が無い」父と並行して、「我が家の家計」はマズイ事になっていた様だ。

そこで母は、スナック経営を始める事にした。

「経営」とは言っても、「キャパ15人程度の小さな店」を開いたって感じだ。

たまに母の友人に手伝ってもらっていた様だけど、基本的には「母ひとり」での経営だった。

 

正直、あまり繁盛していなかった様で、「お金の問題」の解決には程遠かったと記憶している。

母はお店の準備や営業で、忙しい日々を送っていた。

深夜に帰宅して、昼も夜もお店を開けていた様だ。

 

そんな日々が進むに連れて、徐々に母は、お店に泊まったり、我が家の食事もコンビニ弁当になったりと、「あの家」に居る時間が少なくなっていった。

だけど、そんな母に対して僕は「家の為に頑張ってくれている。」と感じていた。

そして、母への思いとは真逆に、「父への嫌悪」が募っていった。

「カーさんが頑張っているのに、コイツ(父)は何をやってんだか…。」

そう思っていた僕とは裏腹に、母は「スナック経営」をそれなりに楽しんでいた様だ。

学校からの呼び出し。

母がお店の切り盛りで忙しい中、チッタはやらかした。

「夏休みの宿題」ってありますよね?

僕が通っていた小学校の「夏休みの宿題」は、「漢字、算数ドリル」といった「必須の宿題」と、「感想文や工作」といった「選択の宿題」の2つがあった。

この「選択制の宿題」の中から、僕は「観察日記」を選んだ。

僕は「我が家の猫の観察日記」をつけようと考えた訳だ。

が、早々に諦めた。

開始初日で、「ヤツらを追うのは不可能。」と思い知らせたのだ。

 

 

困った。

何か、何か斬新なアイディアはないか?

そう考えた僕は、「父の観察日記」をつける事にした。

独創性、斬新さ、エンターテイメント性の全てに申し分のないアイディアだ!!

 

そして僕は「父の1日」を追った。

酒を飲み始める時間、ペース、量。

全てを細かく記録する。

当の父は、僕が「観察している」とは知ってか知らずか、チッタがついて回る事に喜んでいた。

しかしコイツ(父)、本当に酒飲んでばっかだな!

こうして出来上がった「父の観察日記」は、最高の出来になった。

「ありのままの父の日常」を記録した日記。

モチロン、「父の醜態」も全て記録した。

そして僕は「全くの無編集」で、担任の先生に提出した。

 

今ならわかる。

アホ過ぎる行動だ。

しかし当時は、純粋に「面白い作品」だと思っていたんだ。

当然、担任は「父の観察日記」を問題視し、母は学校に呼び出された。

あの時の母の顔は忘れない。

悲しそうな、申し訳なさそうな顔。

さすがの僕も、「やっちゃダメだった。」と察した。

当時の母の負担は、とても大きな負担だったはずだ。

そこに「チッタの悪ふざけ」で、余計な心労を増やしてしまった。

あの事は、今でも申し訳なく思っている。

 

しかも同時期、兄もやらかしていた。

僕は後に、同時期に「兄が万引きで補導されていた」事を知る。

母のストレスはマッハだったはずだ。

母に頼り過ぎた男達。

あの頃の「父、兄、僕」の、「我が家の男達」は、母に頼りっきりだった。

経済面でも、掃除や家事といったモノも。

更に「男達」は、母の心労を増やす。

父は相変わらず酒浸りだ。

兄やチッタも、先程の通りの有様である。

まぁ、母もツラくなかったはずがないわな。

 

それでも母は頑張ってくれていた。

貧乏ながらにも、僕達に「生活」を提供してくれていたんだ。

だからこそ、母が「(おそらく)この時期にやらかした不倫」を、僕は責める気にはならない。

そうだ。

母は不倫をした。

そして、その「不倫事実」が父と兄にバレてしまったんだ。

後に母に聞いた話だと、お相手はSP(身辺警護)をしている男性だそうだ。カッコイイ!!

どこで出会ったとか、正確な時期とかは聞かなかったけど、「断片的な情報」から、この時期だろうと推測している。

 

いやぁ、「不倫のひとつ」もしたくなるって!この状況じゃあ。

しかし、父と兄は、「母の不倫」を激しく嫌悪した様子だ。

父にとっては「トドメの一撃」になり、兄の心にも「深い不信感」を植え付けた様だ。

確かに「母の不倫」は褒められたモンじゃない。

だけど僕は、寧ろ「母に嫌悪した父と兄」の事を激しく嫌悪した。

再起不能になった父。

母の不倫。

先程書いた通り、母は不倫をした。

そして、「不倫事実」を父と兄は知ってしまう。

 

ある晩のことだ。

我が家の居間で、父と兄が「重苦しい空気」で話していた。

その当時では、「父と兄が話をしている事」自体が珍しくなっていた。

兄は僕以上に、「お酒に溺れた父」を嫌悪していたから。

「父を徹底的に避けていた兄」が、「父とふたりで会話している光景自体」が、雰囲気云々よりも不気味さを感じさせた。

 

何を話していたのかはわからなかった。

が、どうやら、兄が「母の不倫の証拠」となる様な写真を発見して、父に見せていたらしい。

当時、小学6年生の僕は、この話に参加させてもらえなかった。

「後に聞いた話」や「断片的な情報」を整理すると、「この時に母の不倫がバレた」と考えるのが1番しっくりくる。

 

「母の不倫を知らない僕」は、ただ、「ふたりの不気味さ」に戸惑った。

父の「怒り混じり」の絶望した様な顔。

目は笑っていないのに、ニヤニヤと口元を緩ませた兄の顔。

この光景を今でも覚えている。

加速するアルコール依存。

父のアルコール依存は加速した。

これも推測なのだけど、「母の不倫」による影響が強かったんだと思う。

なんというか、「お酒の量や頻度自体には変わりがない」様子なのだけど、「父自体の変化」があった様に感じた。

より「無気力」というか「自暴自棄」というか。

おそらく、この時期の父は「完全な鬱状態」になっていたんじゃないかな。

「父が外に出かける頻度が減った」のは、同時に「兄からの暴力の頻度が減る」事にも繋がるし、僕にとっては良くもあった。

まぁ、「これ」が原因かは知らないけど、後に兄は「ターゲット」を変える事になる。

 

それはさておき、父の「アルコール依存症状」は確実に悪化していった。

具体的にいうと、父は夜中に「ひとり運動会」を開催する様になる。

要するに、夜中に叫んだり暴れたりする様になったんだ。

父の「うらけんらねーーよぉ(ふざけんじゃねーよ!」というシャウトを、何度聞いただろうか。

 

父はもう、「動けなく」なった。

「カラダが動かない」んじゃなくて、「心が動けなくなった」んだ。

「仕事を探す」とか「生活を改善する」とか、そういうのが出来なくなった。

同時に、父の「母への不信感」も激しく、巨大なモノになった様だ。

父は時々、「母の店」に行った。

「お酒を飲みに」とか「母に会いに」とかって理由もあったんだろう。

しかし、本当の理由は「母の監視」だったんじゃないかと僕は考えている。

「ママの旦那が来る店」というのは、「迷惑この上なかった」と、母は後に話していた。

そんは母だったけど、「不倫の罪悪感」からか、父に対し「迷惑だ。」と言う事は出来なかった様だ。

「父のアルコール依存」は、母や兄や僕にとっても「疲弊や不満」を与えた。

両親の不仲に挟まれて。

「父のアルコール依存」は、様々なモノを歪ませた。(モチロン、母の不倫も大きな要因だ。)

父のカラダはモチロン、仕事、親子関係。

そして、「夫婦関係」をも歪ませた。

 

元々の「両親仲」は良好だったと思う。

父が働かなくなった後も、母は父を庇った。

僕と兄は「酒に溺れた父」が嫌で、何度も母に抗議した。

それでも母は、父の味方をしていた。

しかし、「母の不倫騒動後」は、「父のアルコール依存」が加速した事もあり、「父の行動」には母も不満が募っていったのだろう。

徐々に「ふたりの夫婦関係」は悪化し、両親は避け合う様になった。

 

「避け合う」だけなら良かった。

勝手にやってくれ。

だけどなぁ、「チッタを使う」んだよなぁコイツら。

 

初めは「連絡要員」としての「チッタ起用」だった。

お互いに顔を合わせたくない両親は、「連絡事項」の伝達にチッタを使った。

本人同士でやり取りしてくれれば、数秒で済む話だ。

正直、迷惑でしかない。

そして更に、「お互いの攻撃」にもチッタを使う様になる。

僕が「母の不倫事実」を聞いたのは、「父のクチから」だった。

父に「攻撃の意」があったかは知らないけど、なんというか…。

「悲しい」とは違うかな。

「コイツら(両親)、なさけねえなぁ…。」

当時はこの気持ちを明確に捉えられなかったけど、思い返して考えると、「この言葉」がしっくりくる。

 

当時は「両親の不仲」を「ツラい」とか「悲しい」とは思はなかった。

ただ、「メンドイ!」「俺を巻き込むな!」と感じていたと思う。


この「母の不倫から始まった一連の流れ」ってのは、別記事に詳しく書いてあります。

良かったら覗いてみてください。

冷戦状態な両親 不仲な両親に挟まれて

「俺はもうダメだ。」〜父が教えてくれた大切なもの〜

「父のアルコール依存」が進み、「夫婦仲の悪化」を経て、「父の醜態」も更に酷いモノになった。

父は夜な夜な「熱いシャウト」を響きわたらせ、何をしてたんだか「ドタバタ」と家の中で暴れ回った。

まぁ、「暴れ回った」といっても、父が「勝手にすっ転んでるだけ」なんだけどね。

「水槽に頭から突っ込んで破壊した。」なんて事もあったなぁw

それによって、父は色んな物を「物理的に」破壊した。

 

僕の日常には「父が破壊した物の後片付け」も追加された訳だ。

もうね。いい加減にしろと。

「兄の暴力」に晒され、「両親の不仲」に付き合い、「父の醜態の後片付け」までが僕にのしかかる。

そういった経緯があり、「僕の中でのヒエラルキー」で、父は最下層の位置付けをされた。

 

兄は「恐怖の対象」であり、絶対に逆らう事が出来ない存在だ。

当然、ヒエラルキーも最上位に位置付けされる。

母は「我が家の柱」であり、「我が家で唯一頑張ってくれていた人」と僕は捉えていた。

「不倫事実」を知った後でも、その考えに変化は無かった。

ヒエラルキーも、「兄に次ぐ上位」という高い位置付けであった。

しかし父は、僕にとって「邪魔者」でしかなかった。

 

「お前はもう、何もするな。」

働かなくていい。

だから、酒を飲むな。

騒ぐな、暴れるな、物を壊すな。

ただ、大人しくしていろ。

「僕の中での父」は、そんな扱いになった。

 

そんなある日の晩の事。

父の「熱いLIVEのクーリングタイム」に、彼は言った。

トーさん「俺はもうダメだ。」

マジか…。

マジで言ってんのか、コイツ…。

チッタ「オメエ、まだイケると思ってたんかw」

僕は思わず、「ど真ん中ストレート」な言葉を発してしまった。

 

おそらく、父にも「色んな葛藤」があったんだろう。

「働けない自分」「お酒に頼るしかない自分」

そんな中で、もがき苦しんでいたんだろう。

父にも父なりに「まだ頑張れる!頑張らなきゃ!イケる!!」という思いがあったのかもしれない。

しかし、「当時のチッタから見た父」は、「昼間から酒を飲み」、「母の仕事を邪魔し」、「好き放題暴れ回るだけ」の問題児にしか映っていなかった。

客観性ってのは大事だよね!!

父は僕に、「客観性の大切さ」を教えてくれたんだ。

 

僕は「戒め」として、「教訓」として、深く胸に刻んだ。

そして、「父の教え」を忘れない様に、メールアドレスにした。

以前、勤めていた職場で、「メールアドレスの提出」が必要になった。

僕は迷わず「父の教えを刻みこんだメールアドレス」を提出した。

 

事務のお姉さん「えっと…、オ レ ハ…。」

チッタ「俺はもうダメだ です!!」

事務のお姉さん「ダメなの?w」

チッタ「はい!父が!!」

「父の教え」は、今でも「僕の生き方の支え」になっている。

父の自殺未遂。

父のアルコール依存が加速し、両親も不仲になり、経済的にもキツい状況が続いた。

そんな中、遂に「我が家に初めての自殺未遂者」が、出てしまった。

ある日、父が自殺未遂で病院に運ばれた。

 

今でこそ「身内の自殺未遂」に鈍感になってしまった僕だけど、やはりというか、初めての経験には衝撃があった。

ただ「事実に対する衝撃」はあったモノの、「状況」はあんまり覚えてないんだよね。

 

覚えているのは

  1. なんでか知らんけど、父を探しに行った。
  2. 父が砂浜で倒れているとの情報が入る。
  3. 砂浜に行き、救急車で搬送。

こんなトコロ。

多分、「父が家に戻らない」とかってんで、母と一緒に父を探しに行ったんだと思う。

それで、別行動で探してくれた「父の友人」が、砂浜で父を発見してくれたんじゃないかな?

僕も母も、砂浜に駆けつけたんだけど、そこには「横たわった父」と「焼酎の瓶」なんかの大量のお酒が転がっていた。

要するに、「アルコールの過剰摂取による自殺未遂」って訳だ。

そして、「未遂」ではあったモノの、父には明確に「自殺意思があったんだろう」って事を感じ取った覚えがある。

 

事実、父の側に「不法投棄された原付」の「なんらかの液体」を飲んでいた様で、見た目以上に危険な状態だったらしい。

父は「本気で死ぬつもり」だったんだろう。

 

当時の僕は、既に父のことを嫌いになっていた。

「嫌いになっていた」のは事実だけど、「父に愛された事や父を好きだった自分」の間で葛藤していた時期でもあった。

「悪態をつく心」と、何か「罪悪感」の様な「モヤモヤチクチク」した感覚で揺れていた気がする。

 

結局のトコロ、父は無事だった。

発見は早かったおかげか、後遺症も全くなく、数日の入院だけで家に帰って来た。

多分僕は、この辺りで初めて「我が家の家庭崩壊」を認識した。

元々、「オカシイ家」だとは薄々勘付いてはいた。

それでもどこか、「家庭崩壊」を他人事の様に考えていたんだ。

「父の自殺未遂」は、「悲しみやツラさ」よりも、僕に「現実を突き付けた」様に思う。

兄の闇堕ち(当社比)。

悪魔の取り引き。

「既に闇堕ちしてるだろ。」というツッコミは不粋だ!!

さてさて、「母の不倫」や「父のアルコール」は、「兄にも悪影響を及ぼした」様だ。

そして、その影響は「チッタへの暴力」にも変化をもたらせた。

基本的には「以前のまま」だった。

「チッタの粗探し」をして、「罪の正の字」を僕に突きつけるのは変わらなかった。

変わったのは、兄が「チッタへの暴力の代わり」に、「チッタからお金を巻き上げる様になった」という点だ。

そもそも「罪の正の字」ってのは、「1本1暴力」だ。

誤解しないで頂きたいのだけど、「1本1パンチ」ではなくて「1本1暴力」だ。

当然、払い終える日など来ない。

リボ払いもビックリだ。

何度暴行を受けても減る気配がない罪。

そんな「罪深いチッタ」に、優しい兄は「救いの手」を差し伸べてくれた。

 

ニーさん「1本100円で取り引きしてやるよ。」

そして「洗脳済みのチッタ」は歓喜した。

選択肢を提示してくれるなんて、なんて優しい兄なんだろう!!

こうして毎月、「罪の返済日」が追加された。

「悪魔の様に優しい兄」は、毎月、僕にこう言う訳だ。

ニーさん「今月、こんだけ増えたけど、どうする?」

 

元々、「チッタの罪」なんてのは「兄が殴るための大義名分」だ。

なくなる訳がない。

そもそも、ちゃんとカウントしてるかもアヤシイ代物だ。

「兄の気分」で書き足したトコロで、「洗脳されたチッタ」が異議を申し出る事は無いんだ。

笑えない「ビジネススキル」を持ったモノだ。

 

当時の小遣いは微々たるモノで、だけど、母は貧乏ながらに「年俸」という形で支給してくれた。

僕は「無駄遣い」をしなかった。

「チッタの罪」を買い取る為の「命懸けの節約」だ。

「少ない年俸」では、「全ての罪」を買い取る事は出来ない。

だから、考えた。

財布と相談して暴力を回避する日々。

「いつ殴られる」か、「いつ回避する」かを。

おかげで「とんでもねえ金銭感覚」が身に付いたぜ!!

矛先の行方。

兄が「悪魔の取り引き」を持ち掛けたのは、おそらく、「父の状態の悪化」が関係したんだと思う。

「状態が悪化した父」は、昼間に外へ出歩く事が激減した。

兄は「チッタとふたりきり」の状態じゃないと、僕に暴力を振るわない。

つまり、「父が外へ出歩かない状況」というのは、「チッタを思う存分殴れる時間が無くなった」という事だ。

 

とは言え、父は「全く出歩かない訳ではない」為、「父が居ないわずかな時間」を有効活用しようと考えたのだろう。

必然的に、「チッタへの暴行タイム」はコンパクトになる。

それでは兄の欲求不満が募ってしまう。

だから「お金」に焦点を向けたのだろう。

 

「お金のやり取り」であれば、チッタへの暴行よりも、ずっと短時間で済む。

父に発見されるリスクも激減する。

チッタが「今月は買わない。」と、「罪の買い取りを拒否した場合」でも、その時は「コンパクトに暴行」すれば良い。

「お金」と「暴力」で、上手いこと欲求を補うプランだ。

兄にとって、損のない素敵なプランである。

兄はこの時期に「人から金銭を搾取する術」を覚えてしまったのだろう。

兄は後に、母に対して「金銭搾取」を行う様になる。

 

しかしながら、兄は「チッタへの悪魔の取り引き」では満足出来なかった様だ。

「もっと、もっと。」と、要望が肥大したのか。

そもそも、一度「好き放題、殴り放題」な環境を覚えてしまったせいで、この程度じゃ満足出来なくなってしまったのか。

まぁ、兄にも「父のアルコール依存」や「母の不倫」「両親の不仲」によって募っていったモノがあったんだろう。

兄は「暴力の矛先」を父に向ける様になった。

順調に進む家庭崩壊の中で。

「我が家」を支える為、母は頑張っていた。

「経営難のスナック」を切り盛りし、「我が家の経済面や家事」なんかの柱となっていた。

母に頼り切った「我が家の男達」は、遠慮なしに「やらかす日々」だ。

そして母は、「心労」なのか「鬱憤」なのか、不倫をした。(時期は不明だけど、少なくとも不倫がバレた。)

 

父にとって、「母の不倫」はトドメの一撃になったのだろう。

「アルコール依存」は加速し、父の醜態も激しさを増した。

それによる「両親の不仲」は必然だったのだろう。

父にも「思うトコロ」があったんだろうけれど、「その思い」は「ダムの決壊」の様に崩壊してしまったのかもしれない。

遂に父は「自殺未遂」をした。

 

そんな「我が家の状況」は、「兄の暴力」にも変化をもたらせた。

兄は僕に、暴力だけではなく、「金銭搾取」を行うまでになった。

そして、この「金銭搾取」は、「後のあの家」における、「大きな火種」になる。

更に、兄は「暴力の矛先」を父に向け始める事となった。

 

当時の僕は、小学6年生前後だ。

客観的に観ると、もっと以前から「家庭崩壊」は起きていた。

だけど、僕はこの頃になって、ようやく「我が家が家庭崩壊している。」と認識した。

そしてこの後、「我が家の家庭崩壊」はクライマックスを迎える事となる。

 

2 COMMENTS

しもけん

父の観察日記はやばいねw
学校教員が職員室で読んでいて、「これヤバない?!」って、同僚と焦った表情で読んでいた情景が浮かぶわ。

そして、そこ以外はしんどいな〜。読んでるだけでキツくなる。
地獄の様な環境ね。よく生きてたな〜。

兄貴はやっぱりサイコパス気質あるね〜。
罪を買い取る発想は、読んでてなんだよそれって思ったわ。
まじでチッタを人として見ていなかったんだね。
弟に対してそこまで非情になるって、ちょっと想像つかないなー。

ただこれは兄貴にとっても不運といえば不運だね。
一度覚えた金銭搾取と暴力での支配、力で物事を動かす思考や行動力。
それらを行使し、自分の思い通りの現実が変わる事によって発生する、自己有能感と快楽。

当時はそれで良かったかもだが、その後の事を考えると…
ここで暴力に染まってしまったのは、兄貴視点で見ても不運といえば不運だなと。
暴力の魅力に染まってしまって、その魅力を手放す事が出来なくなってしまったのかな。まぁ自業自得ではあるんだけどね。

風俗嬢が、夜の仕事で稼ぎまくった結果、金銭感覚がぶっ壊れてしまい、安月給の昼の仕事に戻れなくなってしまい、沼化して昼生活に戻れなくなるみたいなのと少し似てるかもね。

まぁこの例は、本人がそれで良ければいいって話だけど、兄貴の場合はちょっとね‥
きっと彼が思っていた生活とは大きくズレてしまったんだろうなとは思うね。

アルコール依存、暴力、不倫、その他諸々、色々と問題が出てきてるね。

なんというか、1つの問題を個別に考える事はあっても、こうやって一旦破綻してくると、いろんな要素が関連して噴出しだす。

まるでぷよぷよの連鎖みたいに問題が繋がってくる発生してくる。
世間では不倫した芸能人とか、めちゃバッシング受けるけど、その人たちにも他にいろんな問題があって、不倫になった可能性もある。なんか物事の関連性を感じるので、良いブログだなと思ったよ。

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titta31@

あの「父の観察日記」は、惜しい事をした。
手元に残すべきだった。
アルコール依存症の実態というか危険性や恐怖はモチロンの事、「その子供への影響」なんかも詰まってる。
今でいうヤングケアラーの生の声だったね。
あれはマジで文献レベルだよ。

暴力による支配やら金銭搾取を覚えてしまったってのは、間違いなく兄の不運だね。
ぜーんぶ、彼の人生が崩壊してしまった布石になってる。
兄の気質の地盤を作ったのは両親だし、その気質を育てた?のはチッタで、修正しようとしなかったのは兄の自己責任って事で。
ただ、今考えると、やっぱ兄も加害者であり被害者だと思うよ。

「あの家」の崩壊も、兄の人生の崩壊も、単純な話じゃないんだよね。
コメントしてくれた様に、色んな問題が繋がってる。
「破綻」って言葉良いね。ピッタリだ。
仮に「母の不倫」が無かったとしても、「父のアルコール依存」は無くってないと思う。
仮に「父のアルコール依存」が無かったとしても、後の「兄の金銭搾取」で、やはり家計は破綻するはず。
「兄が暴力による支配やら金銭搾取」を覚えない、「チッタが存在しない世界線」でも、兄は両親と不仲になったんじゃないかな。
「チッタが存在しない」だけでは、兄の人生は救われてないと思う。
逆に「兄が存在しない世界線」だったら、俺が兄と同じ様な人生歩んでたかもね。
「どれか1つの要素が無くなった」程度で問題解決する様な家庭じゃなかったんだって思うよ。

色んな問題が複雑に絡み合って、問題が大きくなり過ぎたんだよ。
「一つ一つの問題」が別の問題の布石だったし、「別々の問題」のはずなのに問題同士が作用して、より大きくなってた。
負の相乗効果ってのはおっかないね。
大きくなり過ぎて、諦めというか、どこから手を付けていいかわからない。
「こっちの問題に集中してんのに、あっちでも問題が〜。」ってねw
それでも、一つ一つ、地道に問題着手していかない事には、悪い環境から抜け出せないね。

でも、とんでもねえ家だったけど、俺は「あの家で生き残った」んだよね。
変わり者になったけど、アルコール依存でもなければ自殺(未遂)もしてない。
生き残っただけだけど、十分な成功体験になったよ。

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