家庭崩壊時代 殴られるのは、チッタが悪いから。

僕が小学校中学年から高学年の辺りには、本当に色んなツラい出来事があった。

いや、「ツラい出来事があった。」とは少し違うかな。

あの頃は「日常そのもの」がツラかった。

 

父のアルコール依存。

兄からの暴力。

僕を助けてはくれない母。

この中の「最もツラかった日常」は「兄からの暴力」で間違いない。

だけど僕は、「兄からの暴力」を「ツラい」とは思っても、「兄の悪行」だとは思わなかった。

なぜなら、「悪いのはチッタだ。」と思わせられていたからだ。

正当化された暴力。

日常化した暴力。

兄から暴行を受けた「あの日」から、「兄からの暴力」は僕の日常になった。

「それ以前」から、殴る蹴るといった暴力はあったのだけど、「あの日」を境に変化が出た。

あの日「以前」の暴力は、「チッタという人間に対する暴力」だったんだと感じる。

なんというか、「遠慮や手加減」の様なモノがあったんだ。

 

兄にも「チッタへの暴力が悪い事である。」という認識があったんだろう。

要するに「両親に自分の悪行がバレたくない」という恐怖や罪悪感を持っていたんだろう。

だから「両親にバレない様に」「チッタが両親にチクらない様に」手加減をしていたんだと僕は考えている。

 

「あの日の暴行」ってのは、兄にとっても「事故の様なモノ」だったんじゃないかな。

兄の「抑えきれない鬱憤」が爆発して、遠慮のない暴行になってしまったんだと思う。

兄も、自分がやらかした「事故」に絶望したハズだ。

必死で「両親への言い訳」を考えていたハズだ。

しかし、幸か不幸か「あの日の暴行」が両親にバレる事はなかった。

兄が思うより「チッタは丈夫」で、「チッタは既に洗脳済み」だったんだ。

 

「チッタの怪我」を、両親は重要視しなかった。

「被害者のチッタ」も、両親にチクる事をしなかった。

きっと兄は、「あれくらいなら、やっても大丈夫なんだ。」と思ってしまったんだろう。

「あの日以降の兄の暴力」は、「チッタという人間に対する暴力」ではなく、「チッタというサンドバッグを殴っているだけ」になったんだと、僕は思っている。

そんなこんなで「タガが外れた兄」は、僕を日常的に暴行した。

「俺は悪くない。」

兄は基本的に「謝罪」をしない。

それは「小さな事」でも「大きな事」でも同じで、僕以外にも「幼馴染や兄の友人」に対しても同じだ。

実際、兄の「謝罪しない、自分の非を認めない」性分がキッカケのトラブルってのを、いくつか耳にした事がある。

 

さてさて、そんな「謝罪をしない兄」な訳だけども、人間が生きていて「過ちを犯さない」はずがない。

兄だって腐るほど過ちを犯している。

そんな時の兄は「言い訳」を言ったり、「冗談だ」と無理矢理済ませようとする。

こうやって兄は、どんな時でも「自分は悪くない。」という体裁を無理矢理作ろうとする。

それはつまり「相手が悪いという状況を作る」という事でもある。

 

兄は以前から、僕を「理由付け」して殴った。

おそらく兄の中にも「ただ、チッタを殴る」ってのは、少なからず「悪い事をしている」という意識があったんだろう。

更に言えば「チッタが両親にチクらない様に」というリスクヘッジの意味も兼ねていたはずだ。

兄にとっての「理由付け」ってのは、「俺は悪くない。」と、「自分を守る盾の様なモノ」なんだろう。

 

「あの日以降の兄」は「理由付け」をより強固なモノにした。

兄は僕の「粗探し」をして、それをカウントし始めたんだ。

そして、「カウントした正の字」を僕に見せて、「チッタが悪いんだ。」という状況を無理矢理作りだした。

 

ニーさん「チッタはこんなに悪い事をした。」

ニーさん「コレはお仕置きだ。」

ニーさん「悪いのは俺じゃない。」

ニーさん「殴られるのは、チッタが悪いんだからな。」

こうやって兄は、「日常的な暴力」を正当化した。

「痛みと恐怖」による洗脳。

従順に殴られるチッタ。

「あの日」以降、「兄からの暴力に形式」に変化が生じた。

まず兄は、僕に「正の字がズラリと書き並ぶ紙」を見せる。

僕の「罪状が並ぶ紙」だ。

 

その「告発状」を初めて目にした時は、「なにがなんだかサッパリ」といった感じだった。

しかしながら、幼い頃から「理由付けの暴力」による英才教育を受けていた僕は、兄の「心づもり」を読み取った。

簡単な話だ。

僕は、兄が言う「罪」を犯したんだ。

そして、「罪状の横に並ぶ正の字」ってのは、懲役みたいなモンだ。

罰ってのは、モチロン「体罰」だよね!

OK!悪い事をしたら、罰は受けなきゃね!

僕は甘んじて「兄が言う罪状」を受け入れた。

 

チッタに「告発状」を見せ、「罪」を理解させたトコロから「兄からの暴行」が始まる。

「兄から暴行を受ける時の姿勢」は、いわゆる「気を付け!」の姿勢だ。

手でカラダを守ってはいけない。

僕が求められるのは「背筋を伸ばした姿勢」で、ただ、暴力を待つ事だった。

倒れ込んだり、背筋が曲がっていると、「姿勢を正す為の暴力」が飛んで来る。

「姿勢を正す為の暴力」では、「僕の罪」は消えない。

 

僕はただ「僕が犯した罪」の贖罪の為に、「兄が殴り易い姿勢」を維持し続けなくてはならない。

逆に、「兄が殴り易い姿勢を維持して」いれば、比較的、兄からの暴行は早く終わる。

ニーさん「立て!」

チッタ「はい!」

ニーさん「後ろを向け!」

チッタ「はい!」

ニーさん「痛いか!?」

チッタ「はい!」

ニーさん「誰が悪いんだ?」

チッタ「はい!チッタであります!!」

さすがに「話を盛っている」けれど、「言い回しを変えただけ」で、「事実関係」はあまりイジっていない。

僕はひたすら従順に殴られた。

チッタの罪。

ここで、「チッタが犯した罪」ってやつを紹介しよう。

  1. 口で息をした。
  2. 口の中が見えた。
  3. 聞き返した。
  4. 太った。

以前、別記事でも書いた話なのだけど、改めて見ても、やはり意味がわからない。

もう少し説明を入れよう。

  1. 口で息をした。(そのままの意味。僕は慢性鼻炎だった為、鼻呼吸が出来なかった。)
  2. 口の中が見えた。(1の亜種。食事時にも適用される。)
  3. 聞き返した。(そのままの意味。僕は耳が悪い。)
  4. 太った。(そのままの意味。僕は太っていた。尚、兄の目測だ。)

まぁ、説明を入れても意味がわからないですね。

こんなモンを「初めて見せられた僕の気持ち」を少しでも理解してもらえたら、このブログを書いた甲斐があるってもんだ。

そして、マジで兄は「これら」の回数をカウントしていた。

しかも「これら」は「頻繁に挙げられた罪状」なだけで、他にも「腐るほどの種類の罪状」を兄は提示した。

 

もうね、要するに兄は「何だって良かった」んですわ。

「罪状に対するチッタの納得の有無」なんてのは、どーでもいいの。

ただ、「チッタを殴る理由」を無理矢理作りたかっただけなんだから。

ぶっちゃけ、ちゃんと「カウントしていたか」も怪しい。

 

それでも僕は、「見つかっちゃったか。」と思った。

「トイレが臭かった。」と言われれば、「そっか、じゃあ仕方ないね。」と思った。

「僕が悪いんだもんね。殴られても仕方ないか。」と思った。

「洗脳」というか、「諦め」ていたんでしょうね。

どうせ、異議を申し出たトコロで、殴られる回数が増えるだけだ。

「なら、大人しく、少しでも少なく、短くなる様に、大人しく殴られよう。」

そう考えていたんじゃないかな。

チッタが抵抗出来ない理由。

兄の言う「チッタの罪」を読んで、「なぜ、こんな不当なモノに従うのか?」と感じた人がいるかもしれない。

その理由は、「チッタが洗脳済み」だったからとしか言えない。

 

僕は幼い頃から、それこそ「赤ん坊の頃」から、「兄の恐怖」に晒されて育った。

程度は違えども、その頃から「兄からの暴力」はあった訳だ。

そんな僕にとっての兄は、「恐怖そのもの」だったんだ。

絶対に逆らってはいけない存在。

もっと言えば、「神」の様な「邪神」や「祟り神」の様なモノだ。

 

もうね、「従わない」とか「逆らう」とかって話じゃないの。

対峙するだけでカラダがすくむ様な相手。

「恐怖補正」ってデバフはバカに出来ない。

本当に「意思」が動かなくなる。

カラダだけじゃなくって、「NO!」という選択肢自体が消え失せる。

そこには「体格差」なんてモノは無関係だ。

 

兄は昔から小柄だったし、当時の僕は「わんぱく相撲」さながらの体型をしていた。

身長差こそあったモノの、おそらく「恐怖補正」さえ無ければ、ケンカをすれば勝率5割はあっただろう。

だけど既に僕は「恐怖による洗脳」に、どっぷりと身を沈められていた。

 

「ケンカ出来ないなら、親に助けてもらえば良いじゃない。」

そう思われるかもしれない。

だけど、その頃には「両親に対する信頼」なんてモノは無くなっていた様に思う。

兄に甘い母は、「兄を隔離する」様な強い処置をしてくれるだろうか?

無いな。

アル中の父が解決してくれるだろうか?

アイツは何も出来ない。

あの頃も今も、「両親に助けを求める」という選択肢は「悪手でしかない」と思っている。

 

今でこそ、もっと「別の策」ってのを考える事が出来る。

しかし、「洗脳済みの頭」ってのは、僕の「考える意思」すらも失わせた。

そんな僕は、「1番楽だ。」と思う選択を「脊髄反射的」にするだけだった。

「大人しく殴られる」という選択を。

最も「頭も精神力」も使わない楽な選択。

同時に、最も「愚かでツラい」選択。

恐怖に震え、思考を放棄した頭では、「この選択」しか出来なかった。

そして、「痛みと恐怖による洗脳」は、より強固なモノになる。

兄からの精神的な攻撃。

息苦しい「あの家」。

ここで言う「息苦しい」とは、「息が詰まる」みたいな精神的なモノじゃない。

もっと「物理的な息苦しさ」だ。

 

先程書いた様に、「幼いチッタ」は慢性鼻炎だった。

常に鼻が詰まっていて、鼻呼吸が出来ないんだ。

更に僕は、肥満児でもあった。

デブは呼吸が荒い。

当然、僕の呼吸も荒かった。

 

僕が「はぁはぁ」と口呼吸をする姿を兄が目撃すると、兄は「クチ!」と僕に言う。

この「クチ!」は、「口を閉じろ!」という命令だ。

これで「2暴力」がカウントされた訳だ。

 

しかし、「罪がカウントされた」だけで済む話じゃない。

僕は「口を閉じろ!」と命令を受けた訳だ。

口を閉じない訳にはいかない。

 

だけど僕は「鼻呼吸」が出来ない。

だけど僕は「口を閉じない」訳にはいかない。

だから僕は、「唇の端っこを薄ーーく開けて」口呼吸をしていた。

みなさんも「細っそいストロー」を咥えながら、「口呼吸のみでランニング」してみるといい。

当時の僕の気持ちがわかると思う。

 

「あの家」で、僕が「満足に呼吸する」ってのは、「大きな賭け」の様なモノだった。

「今、ニーさんはいないよね?」

「今なら口呼吸出来るよね?」と。

そんな訳で「慢性鼻炎のチッタ」は、「あの家」で満足に呼吸をする事すらも許されなかった。

常に漂う緊張感。

「あの家」で僕は、満足に呼吸をする事すらも許されない。

しかし、「洗脳されたチッタ」だって、「罪のカウント」は少ない方がいい。

常に「兄の居場所」に注意して、「兄に観察されるチッタ」というモノに細心の注意を向ける。

兄の気配を感じれば、呼吸を落ち着け、「兄にバレない様」に薄く口を開き、酸素を取り込む。

「あの家」では、「呼吸すらも命懸け」だ。

 

呼吸ひとつとっても、神経を張り詰めなくてはならない。

が、残念ながら「チッタの罪状」は呼吸だけではない。

「チッタの存在全て」が罪状になりうる。

正解が無い。

どこに注意を向ければいいのかがわからない。

だから、全てに注意を向ける。

兄の動向を探るため、視覚も聴覚もフル活用。

兄が起こす「微妙な振動」を察するために、触覚だって休めない。

僕は臭いらしいから、嗅覚だって休めない。

使わなかったのは、味覚くらいだろうか?

 

こんな風に、「あの家」にいた僕は、常に「緊張の中」にいた。

休まる時なんて無い。

そりゃあ、ストレスで「夜尿症」になってなるさ。

因みに僕は、小学5年生辺りまで「オムツ着用」で寝ていた。

「お漏らし」が治らんかったのよ。

疲弊と教育。

常に緊張感の中にいた僕は、当然疲弊していった。

疲弊していけば、思考能力も落ちる。

何も考えたくない。

考えられない。

だったら、「理不尽」だって、受け入れた方が楽だ。

 

容赦なく飛んでくる暴力。

それは、痛くて怖くてツラい。

だけど、逆らう事は出来ない。

僕は従順に、兄が満足するまで、ただ、暴力を受け入れるだけだ。

 

そして、兄は言った。

ニーさん「殴られるのは、チッタが悪いんだからな。」

そうなのか。

僕が悪いのか。

正直、「殴られる理由」なんて、どうでも良い。

だけど、「理由がある」のなら、その「理由」に従った方が楽だ。

チッタが全部悪いんだね。

僕は、そう思う事にした。

 

「兄の暴力」は嫌だけど、「悪い事じゃない」んだ。

悪いのは僕だから。

だから、両親も「兄の暴力」を「知っていながら」止めないのだろう。

僕は順調に洗脳され、「事実や考え」も歪めて認識する様になった。

殴られるのは、チッタが悪いから。

「兄からの暴力」は、「僕の日常」になった。

当然、僕だって痛いのは嫌だし、怖いのも嫌だ。

だけど、「兄からの暴力」を「兄の悪行」だとは思わなかった。

それは、兄の「俺は悪くない。」という、「非を認めない性分」からの「正当化」が大きく関わる。

兄は「自分の悪行を正当化する為」に、「チッタの粗探し」に勢力を注ぎ始める。

兄にとっては「チッタの罪状」という形で「数値化、視覚化」しただけなのだけど、後に繋がる程の効果を発揮した。

既に僕は「痛みと恐怖による洗脳」に浸っていたのだけど、兄はその洗脳を、より強固なモノにした。

痛めつけ、疲弊させ、「思考を放棄したチッタ」に対して、「チッタが悪い。」と教育した。

そして僕は、「殴られるのは、チッタが悪いからだ。」と、「楽な選択」をした。

 

しかし、今でも不思議なのだけど、当時の僕は、兄を「怖い」と思っても、「嫌い」だとは思っていなかった様に感じる。

その事の正確な答えは出せていないけど、おそらくは、「兄からの暴力」が「僕にとっての普通」になり過ぎていたんじゃないかと考えている。

今でこそ、兄の事は「明確に」嫌いだ。

それは、暴力云々を抜きにした「兄の人間性」を観た上での僕の気持ちだ。

多分、当時の僕は「暴力の部分」が大き過ぎて、「兄の人間性」に視線が届かなかったんだろう。

兄が僕を「人として」見なかった様に、僕も兄を「人として」見ていなかったんだろう。

僕が兄に傷付けられた様に、僕も兄を傷付けていたんだろう。

今だからこそ、やっと「そう考える余裕」が出来た。

 

2 COMMENTS

しもけん

自分の非を認めなかったね〜。ノリでふざけながら「わりー」くらいはあったかもだけど、真剣に「ごめんなさい」とかも言ってた記憶はないな〜。だから中学生の時には友達とトラブルよく起きてたし、絶交されて交友関係がなくなってしまった人もいたね。
社会に出ても職場の先輩たちにも最後絶望されたりしてたじゃん。

まじで自分の非を認めて、真面目に謝って関係を再構築する事ができない人だったよね。それをすると死ぬと思ってたのかもねマジに。
生きる意味とかそういうものが喪失してしまう、自分の価値が地に落ちる。そんなレベルに感じてた可能性あるね。正しくないと愛してもらえないみたいな。

てか呼吸はやばいね。まじでよく生きてたな。全然知らなかった。

罪悪感って掘り下げるに値するテーマだよね。人を思い通りにコントロールする手段の1つが「相手に罪悪感を抱かせる事」だからね。

俺も奥さんとの喧嘩や親とのトラブルで「あんたが悪い」みたいな罪悪感を投げつけられる事がよくあるから、大人になった今は「なんで俺が悪いんだ。悪くねーだろ」と罪悪感を回避して受け入れない様にしてる(冷静に客観的に考えて本当に悪かったら勿論謝るが)

他者から罪悪感を植え付けられそうになったら回避。だけど「逆にお前が悪いだろ!!」ってなると速攻で喧嘩だから、「自分は悪くないけど、相手も責めない」そんなスタイルを持ちたいものです。

てか、暴力、罪悪感ばりばりの環境ってやっぱやばいよな…
あれ?まさか、これに蹲踞の姿勢とか通電とかなかった?
あったら北九州の事件ですやん。でも知ってたらやってたんじゃない?

なんかさ、色々と考察はあるが、こうやって改めて考えるとシンプルに「兄貴はガチのサイコパスだった」って可能性もあるよね。人類の4%はガチのサイコパスっているらしいし。

北九州の事件から考える、兄貴はサイコパスかもしれないをネタに執筆してください。

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titta31@

彼の行動を見るに、罪悪感まみれの人生だったんだろうと思う。
俺への暴力が、多分、彼が4歳とかそこら辺から始まってる訳だから、その頃からずーーーーっと罪悪感と隣合わせで成長したんでしょう。
そんな罪悪感を「俺は悪くない!」で誤魔化してきたんだと思う。
そりゃあ謝れないよね。
そんな幼子の頃からの習慣なんて、完全に染み付いちゃっただろうし。
罪悪感と向き合ったら、自分も壊れちゃうし、向き合わなくても破滅の道しかない。
地獄だと思うよ。
ただ、やっぱり彼だけのせいじゃないとも思う。
両親(特に母)のやり方にも問題があったと思う。
彼が俺にした行為を許すつもりは今のところ無い。
だけど、今は哀れには思ってる。

サイコパスの定義って、あんま理解出来てないんだよね。
「なんとなくこういう人」ってのはわかるけど、文章に出来るほど理解してないから、そういう記事は書けないかな。
まぁ、もうちょい後で道具使い始めるから、各々で解釈してくださいw

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