僕が小学3年生の頃に、「兄からの本格的な暴力」が始まった。
「身体的暴力」に始まり、やがて「精神的暴力」が加わり、僕は兄に「恐怖による支配」をされる事となる。
が、一旦、兄の事は置いておこう。
「あの家の家庭崩壊」はまだ始まっちゃいないし、そもそも「家庭を壊した」のは「兄だけ」じゃない。
「あの家の家庭崩壊の第一歩を踏んだ」のは、「アルコールに溺れた父」だ。
そして、「父の異変」が始まったのは、僕が小学4年生辺りだった。
目次
「酒好き」から「アル中」へ。
三度の飯より酒が好き。
父はお酒が大好きだ。
文字通り、「三度の飯より酒が好き。」といった感じだ。
僕は「父の食の好み」を知らない。
父の朝は、「お茶だけ」だった。
仕事が終わり、我が家の夕食の時間ですら飯を食わない。
「ツマミ」や、そもそも「固形物」を口にせず、ひたすらに酒を飲み続ける父だった。
さすがに「遅番出勤」で、再び仕事に戻る夕食時は、何か食べていた気もするけど…。
さすがに「お酒は飲んでなかった」と思うけど…。
正直、自信が無い。
とにかく、それくらいの「酒好き」だった父だ。
「休肝日」なんてあったモンじゃない。
と言うか、「シラフの父」の記憶自体が少ない。
「僕の記憶の父」は、大体「アルコールが入った父」だ。
そしてこの「酒好きの父」が「家庭崩壊の大きな要因」だったのは間違いない。
「アル中」の兆し。
あえてここでは「アルコール依存」ではなく「アル中」と書こうと思う。
その理由は、「イメージ」の問題なのだけど、とにかく僕は「父が壊れた。」と感じた。
僕にとっては「アルコール依存」より「アル中」という言葉の方が「壊れた感」が強い。
ただ、それだけだ。
さて、話を戻しまして、幼い僕でも「父の異変」と感じた「父の行動」がある。
それは、父の「夜間のトイレ」だ。
とある時期から、朝、トイレに行くと「床がビッチャビチャになる」という事件に悩む事になった。
初めは「トイレの故障か?」と、修理を頼むモノの、トイレには異常がない。
まぁ、父が「おしっこを全て便器から外していた」だけだとすぐに判明した。
我が家の男性諸君は皆、オシッコは「立ちション派」であった。
汚い話だけど、立ちションは「便器から外れる事」がある。
が、「夜間の父」は、「全てのオシッコ」を便器から外していた事がわかった。
それも「毎晩」だ。
モチロン「以前の父」は、そんな事はなかった。
僕が小学4年生辺りから、父は毎晩「そう」なってしまった。
いや、「トイレでする」分にはまだ良い。
父は「10回中3回」は寝室でオシッコする様になってしまう。
「漏らす」じゃあなく、「寝室でする」んだ。
実はコレ、「アルコール依存症あるある」らしい。
しかし当時、僕達家族は「アルコール依存症」なんて言葉を知らない。
「アル中」に関しても、どこか他人事だった。
僕達は、「父の異変」には気付いたモノの、原因や「何が起きているのか?」も分からず、只々不気味に思うだけだった。
睡眠後、豹変する父。
「父のオシッコ問題」に悩む僕達であったけど、徐々に「父のスイッチ」が分かってきた。
どうやら父は、
- 夜間に寝る(どれだけ短時間でも)。
- 夜間に目を覚ます。
この一連の動作をすると、「夢遊病」の様な状態になる事が分かった。
僕は「父のこの状態」を「ゾンビモード」と呼んでいる。
ゾンビモードになった父の目は虚ろで、焦点も合っていない。
ふらふらと、まるで映画に出てくる「ゾンビ」の様だった。
コチラの呼びかけに応える事も無く、バカでかい音の「歯ぎしり」をしながらトイレに向かったり、向かわなかったり。
ふらふら動き回ったかと思えば、朝になると布団に戻っていた。
僕も母も兄も、皆が「厄介だなぁ。」とは思っていたが、「まぁ、夜の間だけだ。」と、変な納得をしていた。
つまり、「異変」を感じてはいたが、まだ「父が壊れた。」とは思っていなかった訳だ。
しかし実際は、その頃既に「父の状態」は、かなりマズイ事になっていたんだと思う。
すぐにでも病院に通わせていれば、まだ「我が家の家庭崩壊」は免れた可能性があっただろう。
だけど、病院に頼る事はなかった。
今考えると、僕達の「最大の悪手」だったと感じる。
仕事を休みがちになる父。
父の負傷。
「父の異変」を放置していた僕達だけど、その判断が遂にマズイ結果を招いた。
ある日の夜間、父は階段から転落した。
当時、僕達が住んでいた家は、「2階建の一戸建て」だった。
そして、「寝室は2階」にあり、「トイレは1階」にあった。
僕達は、ふらっふらな「ゾンビモードの父」をひとりで「階段の昇り降り」をさせていたんだ。
それは「父の転落」という当然の結果をもたらせた。
「全治1ヶ月」の大怪我。
か、どうかは分からない。
そもそも父は病院に行かなかった。
「階段を転落した父」自身も病院に行こうとしなかったし、母ですらも行かせようとしなかった。
もうね、頭オカシイよね。アイツら。
「アイツら」と言ったけど、当然、僕も「アイツら」のひとりだ。
病院に行かなかったモノの、父は長期間、仕事を休む事になった。
「父が仕事を休む」というのは、僕にとって都合が良かったんだ。
父が家に居れば、「兄の暴力」を回避出来るからね。
兄は「両親の前」では、僕に暴力を振るわなかった。
小突いたり、足を蹴るなんかの「小さな暴力」ですらも激減する。
「精神的暴力」ですらも、いくらか遠慮気味になった。
そんな訳で、初めのうちは僕も喜んだ。
しかし、「父の負傷」を機に、「我が家の経済状況」は悪くなり、父のアルコール依存も加速した。
この時期が「我が家のターニングポイント」だったのだろう。
「適切な処置」をしなかった僕達の進んだ先は「家庭崩壊」だった。
病院に行かなかった理由。
後の、僕が大人になってから、「なぜ父を病院に行かせなかったのか?」と母に聞いた事がある。
実は、「父のゾンビモード」の件に関しては、母は病院に通う事を勧めていたらしい。
しかし、父が頑なに拒んだそうな。
その理由は、「1度ゾンビモードになった父」は、「その日の晩の記憶」が一切無くなるからだ。
母は「父の異変」を父に話し、病院に通う事を勧める。
だけど父には「なんのことやらサッパリ」だ。
「あの状況」を目の当たりしていない父は、まともに聞いてくれなかったらしい。
そんな状況が続いた先の「転落事故」だ。
もう、母は呆れ返ったんだと。
しかし、さすがに「呆れたから、病院には行かせません。」という理由で病院に行かせなかった訳じゃない。
「ガチでお金が無かった。」と、後に母は語った。
父は「転落事故」以前から、度々仕事をサボっては「ひとり小旅行」を楽しんでいたらしい。
母からその話を聞くまでは、「父が職場に勤めていた時期」だけは経済的安定していたモノだとばかり思っていた。
しかし、その頃には「我が家の家計」は火の車だったそうな。
ただでさえ「仕事をサボりがちな父」の給料が減り、お構いなしに出費を増やす父。
そこに来ての「父の負傷」によって、更に「我が家の家計」は圧迫された。
もはや「病院ドコロではなかった。」と、母は語った。
父の異動。
悪い事はまだまだ続いた。
なんとか父は職場復帰した。
しかしまぁ、「サボる」というか、「カラダが効かなかった」為に、欠勤も多かった。
そんな父に「職場の異動」が決まった様だ。
父の働く飲食店は、「父の友人が社長」であり、「父が店長」という形だった。
そして、「父の友人より上の立場の人」というのがいたらしい。
この「父の友人より上の立場の人」を「会長」と呼ぼう。(役職の上下関係とか意味合いとかよく分かりません。)
父は、「会長直々の別店舗」に異動する事になった訳だ。
そして困った事に、父と会長はウマが合わなかった。
そりゃあ当然だろう。
父が職場で「どんな人間だったか」は知らないけど、少なくとも父には「サボり癖、休み癖」がある。
どの職種でも同じだろうけど、飲食店に人手が必要なのは、未経験の僕でも分かる。
父の「サボり癖、休み癖」が許され、しかも「店長」なんて立場にいれたのは、「父の友人の店」だからだろう。
「会長から見た父」なんてのは「休み癖のある不真面目な従業員」といったトコロだろう。
しかも、「父の友人の頼み」で、「会長の店舗」でも「それなりの給料」を約束してもらったらしい。
そんな「父の友人の顔」に、父は泥を塗るんだよなぁ。
異動したての頃の父は、負傷したカラダにムチを打って頑張っていた様だ。
だけど、長くは続かない。
徐々に欠勤が増え、それに比例して会長からの圧力もあったんだろう。
父は疲弊し、どんどん欠勤が増えた。
そしていつの間にか、父は「会長の店舗」を辞職した。
「家庭崩壊」の始まり。
「依存体質」な父。
「会長の店舗」を辞職した父は、再び「父の友人の店舗」で雇ってもらえる様に掛け合った。
しかし、結果は「NO」だ。
そもそも「父の異動」の理由は、「父の友人店舗の経営難」だったんだ。
「父の友人」からすれば、父に「店長としての給料」が払えなくなったが為の放出な訳だ。
おそらく父も「給料が減っても良いから。」と頼んだ事だろう。
しかし、「父の友人」だって他の従業員を抱えている。
経営難なんだ。
人経費を削減したいのは当然だろう。
しかも、父は「サボり癖、休み癖」持ちだ。
「父の友人」といっても、その判断が正しいのが、今ならよく分かる。
父もとっとと別の職場を探せば良いんだ。
「そうしなきゃいけない」のに、「そう出来なかった」のは、父が「依存体質」だったからだと思う。
父は友人が極端に少ない。
この「父の友人」以外にも友人がいたのか疑問なくらいだ。
父は「父の友人」にどっぷりと依存していた。
「自分は友人の店舗でなくては働けない。」とでも考えていた様にも思う。
その証拠に、父は「職探し」を一切しなかった。
そして「父のアルコール依存」も、ますます加速する。
僕は父が嫌いになっていった。
僕が小学5年生辺りか。
我が家は、「全く働かない父」というお荷物を抱える事となる。
「お荷物」は言葉が悪い。
仮にも、以前は家族の為に働き、更には「僕を溺愛してくれた父」に対して使うべき言葉じゃあない。
それは分かっている。
でもね、アイツ、とんでもねえのよ。
働きもせず、昼間っから酒を煽り、夜になったら「ゾンビモードの父の介護」が待っている。
散々、「酒を飲むな!」と言ったトコロで、「ゾンビモード時の記憶を失くす父」は理解なんてしてくれない。
そもそも、もう父には「アルコール」しか頼れるモノが無いんだ。
アルコールを手放すなんて事は無かった。
が、しかし、「父が家にいてくれる。」というのは、僕にとっては利点なはずだった。
働かなくても、「兄からの暴力」を避ける為の「ボディガード」になってくれれば良い。
が、父は肝心な時に家にいねえ!!
父は、「父の友人の店舗」に通っていたんだ。
父はバイトのつもりで「店を手伝いに通った」つもりらしい。
だけど経営難の「父の友人」は、父に給料を払えない。
「父の友人」も、「もう来るな!」と言っていた様だけど、父は通う事をやめない。
「ただ手伝ってもらうだけでは…。」と、戦利品として父が受け取ったのは、「大量のもやし」だった。
「そんなモンもらってくるくらいなら、家にいろよ!使えねえな!!」
そんな事を言語化出来ぬまま、ドス黒い感情だけが僕の心に溜まった。
「あの家」には昼も夜も安息は無い。
父が働かない事で、「我が家の経済難」は深刻なモノになる。
「大量のもやし」では、家計の足しにはならない。
僕の放課後に家に居てさえしてくれたら、せめて「兄の暴力」は回避出来ただろう。
しかし、それすらも無い。
あの時期に「父が僕にくれたモノ」というのは、「ゾンビモードの父の介護」だけだった。
放課後は「兄の暴力」、夜は「父の介護」に挟まれた僕の心労や不満は溜まっていく。
以前までは、「夜だけ」は僕の安息の時間だった。
父は「夜の安息」すらも僕から奪ったんだ。
僕は静かに、ゆっくりと、着実に父が嫌いになっていく。
おっと、じゃあ、「母は何をしていたのか?」を話し忘れていた。
母はその頃から「スナック経営」を始めていて、僕の放課後も夜も不在だ。
あの頃の、というか、母はずっと「我が家を支える為」に頑張ってきた。
僕が父の介護をしていたのも、母に「助けてくれてありがとうね。」と褒めてもらえるのが嬉しかったからだ。
まぁ、今思えば、「呪いの言葉」以外のナニモノでもないんだけどね。
アルコールに溺れた父。
「家庭崩壊」は「家族全員」の作品。
父は昔っから、大の「酒好き」だった。
「酒好き」で済んでいた頃は良かったのだけど、アルコールは徐々に父を壊した。
アルコールは、「父の異変」として、「夜間の夢遊病」の様な症状を父にもたらせた。
その結果、父は「階段転落」という事故を起こし、負傷する。
父が持つ「仕事のサボり癖、休み癖」は、元々の性分だろう。
しかし父の負傷は、少なからず「父のカラダ」に後遺症を残した。
それが直接の原因かは微妙なトコロではあるけれど、父は職を失う事となった。
あの当時、僕には「3つの負荷」がかかっていた。
- 兄からの虐待。
- 父の介護。
- 母からのコントロール。
なんと見事な「機能不全家族」だろう。
なんと素敵な「家庭崩壊」だろう。
僕は、「あの家の家庭崩壊」を、「家族全員で作り上げた作品」だと思っている。
誰かひとりでも欠けていたら、あそこまで見事に「家庭崩壊」していなかっただろう。
しかし、「あの家の家庭崩壊」は、まだ「未完成」である。
この先、まだまだ「父」も「母」も「兄」も「僕」すらもやらかす。
まだまだ「家庭崩壊」の序章に過ぎない。
アルコールは怖い。
父は間違いなく「アルコール依存症」だった。
後に、母も兄もアルコールに依存する。
僕にも「アルコールに頼っていた時期」ってのがあった。
つまり、「あの家の人間」は、全員アルコール溺れた。
特に僕と兄は、「父がアルコールに溺れた姿」を間近で見ている。
「あぁはなりたくない。」そう思っていたはずだ。
それでも手を出しちゃうんだから、アルコールってヤツは本当に怖い。
更に、兄は病院で「鬱病診断」されていて、父も母も、診察を受けていれば「鬱病診断」されていただろう。
「アルコール依存」と「鬱病」の相性は最悪だ。
「アルコールが鬱病を」「鬱病がアルコール依存」を高めてしまう。
それだけが原因ではないけれど、僕には「父も母も兄も」人生をブッ壊していた様に見えた。
少なくとも、「父と母と兄」の人生がブッ壊れた大きな要因が、アルコールである事は間違いない。
幸いな事に、僕は「アルコール依存症」でも「鬱病」でもない。
「アルコールに頼っていた時期」に、とある理解で「この状況はヤバい!」と感じ、アルコールに頼るのをやめた。
今でもお酒は飲むけど、「お酒を飲む日」は限定している。
「鬱病」にしたって、油断は出来ない。
昔、兄に「お前は鬱病にはならん。」と言われた事があるけど、僕は全く間に受けていない。
鬱病は「心の風邪」と言うけれど、その通りなのかもしれないと思う。
心が疲れた時に、少しだけ「お酒に頼る」のは良いと思う。
だけど、「用量を間違えれば、アルコールは牙を剥いてくる」事を忘れないでいようと思う。
ゴリリッやめなさい笑
こう読むと完全に施設に保護されるべき人だったよねあなた😅
あの歯ぎしりの音はゾンビモードに変身した合図だからね。忘れられませんよ。
保護されるべき案件だったのかもしれないけど、当時のチッタ君は、おそらく保護を拒否したでしょうね。
言い方が難しいのだけど、「我が家がオカシイのは分かるけど、普通だよね我が家は。」って感覚だったから。