番外編 「あの日の暴力」の考察。

僕が小学3年生の頃、「兄からの本格的な暴力」が始まった。

その事は、「兄からの支配の土台」になり、僕の心を歪める大きな要因になった。

しかし、「前年までの兄の状態」は落ち着いていたんだ。

「なんで急に?」

当時の僕は首を傾げるばかりだ。

まぁ、実際には「落ち着いていた様に見えた」だけで、兄にも「積み重なっていったモノ」があったって事だ。

そして、兄が中学生になったトコロで、ある種の爆発が起きたんだろう。

今回は番外編として、「兄からの本格的な暴力」の考察をしてみようと思います。

ロールレタリング。

兄の視点で考えてみよう。

皆さんは「ロールレタリング」というモノをご存知でしょうか。

「手紙療法」とも言うらしい。

やり方は

  1. 誰かに向けて手紙を書く。
  2. 実際には相手に「渡さない」。
  3. 「相手を演じた自分」が手紙を読む。
  4. 「相手を演じた自分」が「自分宛の返信」を書く。

要するに、手紙を媒体に、「自己の理解」と「他者(相手)の理解」を試みようって話だ。

僕も最近知ったのだけど、かなり興味深い。

僕が感じていた「なぜ?」に対して、また1歩踏み込めそうだ。

今回は兄に「手紙」を書こうと思う。

「なぜ、僕を憎んでいたの?」「あの日の暴力はなんだったの?」と。

そして、「幼馴染からの情報」を元に、「兄の視点」からの考察をしてみようと思う。

兄の視点 自分の居場所が無い家。

不平等な兄弟。

俺には3歳下の弟がいる。

ブクブクと太った、清潔感のカケラも無い弟だ。

「チッタ」というんだが、アイツが使ったトイレも、風呂も、居間でさえも汚染されてしまう。

あんな「汚物」と一緒に住まなきゃいけないなんて、本当に嫌になる。

正直、死んでほしい。

 

そして両親は、なぜ「あんなチッタ」ばかりに愛情を与えるのだろう。

俺が赤ん坊の頃は、母親は怒ってばかりだった。

だけど、チッタが怒られているトコロなんて、見た事が無い。

父親だって、チッタにベッタリだ。

仕事から帰って来れば「チッタ、チッタ」とアイツばかり。

 

そんな両親は俺にゲームを買い与え、2階に追いやり、チッタとの時間を確保したいんだろう。

その証拠に、「アイツら」は楽しそうだ。

本当に不平等だ。

チッタが居場所を奪った。

「この家」の食事は気が滅入る。

「両親からの愛情を貰い受けたチッタ」を強制的に見させられるのはムカつく。

 

チッタは美味そうに飯を貪る。

そりゃあそうだろう。

それだけ親からの愛情を貰っていれば、飯だって美味いはずだ。

さぞ幸せそうで、ブン殴りたくなる。

口を開けたまま「クチャクチャ」と汚らしく咀嚼する姿にも腹が立つ。

なんで両親は注意しないんだろう。

俺が何度も何度も「不快だ!」と訴えても、何の注意もしてはくれない。

 

食事が終われば、父親は再びチッタにベッタリだ。

「この居間」は居心地が悪い。

とっとと2階に上がって、ゲームの続きをしよう。

あぁ、そうか。

チッタは「分かって」やってるんだな。

「こう」すれば、俺の居心地が悪くなる事を「分かって」やってるんだな。

本当に性格が腐った弟だ。

 

チッタが俺に付き纏うのも、俺をイラつかせて、ワザと殴られて、「両親からの印象を悪くさせよう」としているんだろう。

バカな両親も、早く気付いて欲しい。

チッタが「この家」の、「俺の居場所を奪っている」事に。

兄の視点 中学生になって。

クソ教師との出会い。

俺は中学校で、全てをブチ壊された。

「あの家」には、俺の居場所は無い。

だから、中学校入学から「部活動」という「新しい居場所を手に入れる事」を期待した。

俺は野球に興味があった。

唯一と言える、父親との共通の話題だ。

チッタは「野球の話」には興味無さそうだし、「プロ野球の話をする時間」だけが、父親を独占出来る時間だった。

俺が「野球部」に入部したのも、「父親と話す機会が欲しかった」からなのかもしれない。

だけど、「あのクソ教師」が、俺から「野球部」すらも奪いやがった。

 

運動神経には自信があった。

だけど、野球は始めたてで、「キャッチボールでミスをする」くらいのレベルだ。

そんな初心者に対して、あの「クソ教師」は、「下手くそ!」だの「邪魔だ!辞めちまえ!」だのと無能な発言ばかりする。

俺と同じ「新入部員」の中に、リトルリーグ出身のヤツがいたから、扱いの差も酷いモノだった。

「出来る人間」には「歯が浮く様な褒め言葉」を並べ、「出来ない人間」には「容赦なく、みんなの前でコケ落とす発言」をする。

野球、本気でやりたかったんだけどなぁ…。

 

家に居場所は無い。

野球部にも居場所を作れそうに無い。

更に厄介な事に、「クソ教師」は「俺の担任」だった。

学校にすらも居場所を作れる気がしない。

学校に行く気を失くした。

俺は勉強をしてこなかった。

そもそも、勉強に意義を見出せなかったし、小学校までは何もしなくても授業について行けた。

だけど、中学の授業になると、全くついて行く事が出来なくなる。

 

まぁ、それは別に構わない。

正直、「勉強ばっかしてるヤツ」はつまらない人間しかいない。

事実、俺と同じく「勉強していないヤツ」は面白い人間ばかりだ。

ソイツらと話しているだけで十分だった。

 

だけど、あの「クソ教師」が邪魔をする。

あの「クソ教師」は、「野球部」だけじゃなく、「授業」でさえも俺をコケ落とす。

俺だけじゃなくて、「勉強出来ないヤツ全員」をだ。

クラスメイトの前で、バカにされ、ネタにされ、比較対象にされ、コケにされた。

「勉強出来るヤツ」に対しては、まるで「媚を売る」かの様な気持ち悪い態度をする。

弟のチッタの様な「頭の悪い低脳じみた態度」は、不愉快この上無い。

 

もう限界だ。

野球部は辞めよう。

「クソ教師」の授業なんて、頭が悪くなるだけだ。

あんな学校には行く意義が無い。

兄の視点 結局、家だってクソだ。

〜ZANKOKU〜

俺はbaby。

母は俺を怒った。

「叱った」ではなく「怒った」んだ。

幼く、よく泣き、言い付けを守る事は出来なかった。

そんな俺が気に入らなかったんだろう。

そんな俺には愛情を抱かなかったんだろう。

俺はただ、産まれただけなのに。

母に「愛されたい」だけなのに。

 

チッタはbaby。

母はヤツを褒めた。

「怒った」ではなく、「褒めた」んだ。

愛され、笑い、母の機嫌を損ねる事をしなかった。

そんなチッタを気に入ったんだろう。

チッタだけしか愛情を抱かなかったんだろう。

ヤツはただ、産まれただけなのに。

母親に「愛された」だけなのに。

俺と何がそんなに違うんだ。

この世界は残酷(ZANKOKU)だ。

怒りが爆発した日。

俺が中学1年生の秋頃だろう。

夏休みが終わり、再び登校してみたモノの、やはり「クソ教師」とは合わない。

あんな学校には行く気が湧かず、「学校に行く事」を拒否した。

 

何もかもが上手くいかない。

あのまま東京にいれば、こんな思いをしないで済んだ。

親の勝手な都合で、俺の人生は壊された。

 

しかも、学校に行かなくとも、「この家」には不愉快な事しかない。

チッタは相変わらず、不潔で、臭くて、汚染しかしない。

両親も相変わらずだ。

全くもって「責任を取らない親」だ。

あぁ、「チッタが視界に入るだけ」で、頭がワレそうに痛む。

当のチッタは、「幸せそう」に笑ってやがる。

あの「クソ野郎」の顔面をグチャグチャにしてやりたい。

 

ある日の午後、「帰宅したチッタ」の顔を見た瞬間、抑えが効かなくなった。

思わず、全力で腹を殴ってしまった。

かろうじて顔面は避けた。

しかし、「このクソ野郎」は両親にチクるだろう。

まぁ、良いか。

だったら、思う存分、今までの恨みを晴そう。

悪いのはチッタだからな。


以上が「あの日の暴力」に至るまでの、僕なりの考察だ。

ロールレタリングを終えて。

考察の裏付け。

兄が中学生になり、不調になり、登校拒否をする様になったのは、当時から薄々勘付いていた。

その時期、兄が母に、兄が言う「クソ教師」の名前を挙げ、まぁ色々と呪詛を並べていたのも耳にした事がある。

しかし正直なトコロ、「兄の対人スキルの問題」だと、僕は最近まで考えていた。

つまり、「クソ教師」が悪いのではなく、「兄がヘタレだっただけだろう。」と考えていた訳だ。

僕が中学生になる頃には、「クソ教師」は他校へ赴任した為に、「クソ教師」の事を僕は知らない。

そもそも僕は、「残念な教師」というモノに遭遇した経験が無い。

まぁ、兄は「問題アリな人間」だと思っているし、僕の経験の無さから、「兄が悪い。」と決め付けていたんだ。

 

そんな僕も、「家族の事を知ろう。」「兄の事知ろう。」と、かれこれ10年近く模索している。

兄の「病気の事」や「事情」なんかを考え、調べて来た。

だけど、「クソ教師の事」、「兄の中学時代の事」についてはノータッチだった。

 

その「ノータッチの部分」に触れたのは、このブログがキッカケになった。

「兄の本格的な暴力」の話を書くに当たって、僕は「時系列の整理」をしていたんだ。

そんな時にブチ当たったのが「クソ教師」の存在だった。

兄の中学校入学。

つまり、「クソ教師」に関わった辺りから、兄の不調が始まってんだ。

知りたい。

そう思うモノの、兄に直接聞くのは難しい。そもそも生きてるのかな?

その思いを解決してくれたのは、幼馴染だった。

ピースがハマる感覚。

チッタ「ニーさんの急激な不調の原因は、中学時代の教師ではないだろうか?」

「兄の同級生」でもある幼馴染に、「兄の中学校生活の事」というか、「クソ教師」について尋ねみたんだ。

そんな僕の問いに対し、幼馴染は「ちょっと納得。」と答えた。

そして、「クソ教師」が「どんな教師だったのか」を教えてくれた。

その話は、「今回書いた様な内容」であり、「兄の不調」も納得がいくモノだった。

 

当時の兄は「3つの負荷」がかかっていたんだ。

「親子関係」の負荷。

そこへ繋がる「チッタとの関係」の負荷。

この2つは、ずっと前から考察済みであった。

だけど、それだけでは「あの日の暴力」の説明には足りないと感じていた。

「家での負荷」は、言わば「爆弾」だと思う。

それまでの僕は、兄が抱えていた爆弾が「単純に許容を超えて爆発しただけ。」と考えていたんだ。

しかし、「本当にそうだろうか?」と。

「何か起爆装置が作動する出来事があったんじゃないか?」と。

 

そこに「中学校生活(クソ教師)の負荷」という情報によって、僕にとっては納得が出来る答えになった。

おそらく兄は、「チッタ」と「クソ教師」を重ね、混合し、2人分の怒りや恨みを僕にぶつけたのだろう。

「兄とクソ教師」のイザコザは、「爆弾の起爆装置」として十分に納得出来る話だった。

まさに「ピースがハマる感覚」だった。

ロールレタリングをやってみて。

今回は「兄への手紙」として、「2つの問いかけ」をしてみた。

「なぜ、僕を憎んでいたの?」

「あの日の暴力はなんだったの?」と。

その返信を、「兄の視点」としてロールレタリングしてみた訳だけども。

いやー、面白かった!

「兄に対しての考察」も「兄の状況」についても、以前からずっと考えて来た。

案外、「ロールレタリングに近い事」をして来ていたのかな?と思う。

だけど、「考える事」と「演じる事」は、別モノなんだなぁ。と。

「兄はこう感じたんだ。」

「だからこうしたんだ。」

「これ」で僕は納得していた。

満足していた。

だけど、「兄を演じる」事で、より見えて来たモノがあった。

「あぁ、チッタのこの部分、確かに腹立つなぁw」って。

モチロン、これは「情報の寄せ集め」による考察であり、想像、妄想である事を忘れない様にしようと思う。

とにかく僕は楽しめた。

その内、「母の」「父の」ロールレタリングもやってみようかなぁ。

※補足

「結局、家だってクソだ」の項にある「〜ZANKOKU〜」という話。

意味がわからなかったと思います。

ぶっちゃけ、悪ふざけです。

兄は20歳過ぎの頃、「〜ZANKOKU〜」という曲を作りました。

どんな曲かは全く覚えていませんが、タイトルだけで「僕の厨二心」にはビンビンに響きました。

なんか、「歌詞」っぽく、それっぽい事出来ねえかなってw

「誰かの創作」をバカにする行為は、クソでゲスでクズな行為だと思います。

はい。

僕はクズでクソでゲスな人間です。

でも、僕はずっと「これ」をやってみたかった!

満足です。

 

 

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