家庭崩壊前 平穏だった我が家。

「我が家」が東京から引っ越して、1年程度が経過した頃。

小学2年生になった僕は、新しい土地での生活に慣れる事が出来た。

それは父も母も同じだった様で、「あの兄」ですらも生活に慣れ、落ち着いた雰囲気が出てきた(当社比)。

今思えば、この頃が「あの家」の「最も平穏な時期」だったと思う。

しかし同時に、その後「家庭崩壊」が起きる事を知っている僕としては、「嵐の前の静けさ」だった様にも思う。

兄との関係。

兄の友達。

引越しから1年程度が経過した。

僕と兄は「転校先の学校」にも慣れ、兄にも「友達が出来た」様だった。

その事は、「僕の友人」であり、「兄の同級生」でもある「近所の兄ちゃん」の助けが大きいと思う。


※補足

この「僕の友人」こと「近所の兄ちゃん」こと「兄の同級生」は、「僕の人生においての重要人物」なので、度々登場します。

今まで彼の事を「友人」と書いていたのですが、なんかもう、ややこしい!!

と、言うわけで、今後は「友人」の事を「幼馴染」と呼ぶことにしました。

すみません、混乱するかもですが、宜しくお願いします。


さて、話しを戻しましょう。

「兄に出来た友達」ってのは元々は「幼馴染の友達」だ。

「幼馴染の友達の輪」に「兄が入れてもらった」って形だ。

 

そんな訳で、「幼馴染」+「兄の友達」が遊びに来る訳だ。

そして、遊びに来た「幼馴染」+「兄の友達」は、僕も仲間に入れてくれた。

 

その頃兄が付き合っていた友達は、みんな優しく、僕を「弟の様に」可愛がってくれた。

東京時代もそうだったのだけど、「友達と一緒の時の兄」は、比較的、僕への当たりが弱くなる。

僕が「友達と一緒の時の兄」の側にいる事が多かったのも、この時期が「家庭崩壊前の平穏だった時期」だと記憶に残った要因だろう。

「家」での兄。

引越し当初の「えらく荒れていた兄」は、言ってみれば「僕に対して攻撃的」だった。

僕が「視界に入るだけ」で「言葉による精神攻撃」を仕掛けて来る。

当時の僕は、「メッチャ豊満」だった為、特に「その辺」を攻められる事が多い。

まぁ、僕は「デブってた事」を気にしてなかったんだけどね。

他にも、「僕がコタツに入っている事」が気に入らなかったのか、「コタツ内での激烈な足蹴」なんかもあった。

つまり、僕が「存在するだけ」で、兄は僕を攻撃してきた。

 

それが少し変化して、兄のスタンスは「守り」に変わった様に思えた。

言い換えるなら、「凄えワガママ」になったってトコロだろう。

兄が

  • トイレに入る。
  • 風呂場を使う。
  • 洗面台を使う。
  • 遊んだゲームを片付ける。
  • セーブデータのレベル上げ。
  • などなど。

これらを「譲り」「こなせ」さえすれば、兄は僕を攻撃しなくなった。

この変化はかなり大きい。

それまで、「何をしても、しなくても攻撃されていた」のに対し、「ヘマをしなければ攻撃されない」に変化したのだ。

まぁ、しょっちゅうヘマして殴られたんだけどね。

 

「その後の家庭崩壊」は、やはりというか、僕を深く傷付けた。

しかし、一時的とは言えど、この変化は僕にとっての「幸せな平穏」だった。

余談 兄のゲーム愛。

兄は、いわゆる「テレビゲーム」が大好きだ。

「アクション」も好きだけど、特に「RPG」を好んだ。

なんかもう、ずぅーーーっとやってる。

もしも兄が生きているなら、今でもそうなんじゃないかな。

 

兄は「同じゲーム」を何周もプレイする人間だった。

今でこそ「縛りプレイ」なんてのは珍しくないけれど、1990年代当時、兄は小学生ながらに「自ら制限を掛けたプレイ」なんてのを好んでいた。

そんな兄でも、僕に「ゲームのレベル上げ」を命じる事があった。

僕はその「命令」で、度々ヘマをする。

 

ファミコンを「実機でプレイした事がある人」ならわかると思う。

ファミコンは、「ちょっとした振動」で、すぐにバグる。

画面が固まり、プレイ続行が不可能な状態になってしまうんだ。

そして「プレイ再開する」と、「高確率でセーブデータが消える」

名作「ドラクエ3」なんてモノは、僕のトラウマでしかない。

 

そして僕は、何度も「兄のセーブデータ」を消した。

兄の「独占欲」というか、「所有物への執着」は凄まじい。

「オワタ…。」

チッタ「仕方ない…。」

チッタ「ニーさん、レベル上げ終わったから、ファミコン片付けたよ。」

僕は、「自分の命を守る為」に「隠蔽工作」する事にした。

それしか出来なかった。

 

後日、兄は「データが消えたゲーム」をプレイする。

僕は「死刑台に上がる思い」で、その姿を見ていた。

しかし、兄は「セーブデータ」には執着しなかった。

ニーさん「チッタ、またレベル上げしろ!」

チッタ「…。」

僕はゲームが少し怖い…。

「家庭崩壊前」の家族。

「家庭崩壊前」の夏休み。

その当時、「母は専業主婦」だったけど、「父は飲食業」だった。

父は平日休みだった為、みんなの休みが重なる日は稀だった。

しかし、学校が長期休暇に入れば、父の休日と重なる。

その年の夏休みは、家族4人で出掛ける事が多かった。

父と母は、漁村?出身で、海とは馴染み深い人間だ。

母の実家なんて、「海まで徒歩5秒」だ。

家の目の前が海だった母は、特に海が好きだったらしい。

そんな理由もあってか、父の休日には「家族4人」で海へ出掛けていた。

 

僕達の行った海ってのは、いわゆる「海水浴場」ではない。

その為か、人も多くない。

「貸切」とまではいかないけれど、それこそ「家族水入らず」といった時間を過ごす事が出来た。

 

海に向かう道中、両親は酒屋さんでお酒を買い、僕と兄はジュースやお菓子を買ってもらった。

海に着けば、僕と兄は波際で遊び、父とキャッチボールしたりした。

母は、「そんな僕達」を眺めつつ、絵を描いたりと楽しんでいた様だ。

なんだコレは!?まるで「家族」じゃないかw

その後、「家庭崩壊」するなんて思えない様な時間である。

新しい家族。

少しだけ話を遡る事になるのだけど、「我が家」では、猫を飼う事になった。

「引越した年の終わり」辺りの頃だろうか。

母が突然、「近所の酒屋さん」から貰って来たのだ。

 

兄は猫が好きだ。

前々から、「猫を飼いたい」様な事をほのめかしていたらしい。

「ニーちゃんの気持ちが紛れるなら。」

と、いう事で、母は「猫を譲ってくれる人」を近所で探していたらしい。

 

そんな訳で、「我が家の新しい家族」が誕生した。

これがまた、かわいいの!!

気難しい女の子!!

それまで「動物との接点」なんて無かった僕は、「心を鷲掴み」にされた。

そして、「呼吸気管も鷲掴み」にされた!

「猫を飼う」事で判明した事実。

僕は「猫アレルギー」だった!!

「喘息」と「猫アレルギー」のハイブリッドである。

「彼女」に触るとカラダに異変が出る。

特に「軽く喘息の発作起きた」様に「呼吸気管の腫れ」を感じた。

撫でたいのに!抱っこしたいのに!!

心も呼吸も苦しい!!

僕は前世で大罪でも犯したのか!?

 

しかし、「彼女が来た事」による「良い影響」は確実にあった。

家の中で、両親の前で「笑顔になっている兄」というのは、久々だった。

あの「平穏な時期」というのは、「彼女」もまた、大きな働きをしてくれたんだと思う。

だけど、その後には「家庭崩壊」が待っている。

「彼女達」の事を「幸せにしてやれなかった」という思いが今も残っている。

「彼女達」の事を思い出すと、「良い思い出」がある分、とてもしんどい。

平穏だった我が家。

僕が小学2年生辺りからの1年程度。

この時期ってのが、「我が家の最も平穏な時期」だろう。

 

兄には友達が出来たし、僕に対する当たりも幾分かマシになった。

あの頃の夏休みや冬休みには、父の休日に合わせて「家族で出掛ける事」も多かった。

更には「新しい家族」を迎え、「正に今がピーク」と言った感じだろう。

実際、幼馴染は後に「チッタの家の家族は、仲が良さそうでホント羨ましかった。」と言っていた。(僕と兄の関係は除く。)

 

でもなぁ。

「家庭崩壊」しちゃうんだよなぁ。

今の僕が、「彼らに何かアドバイスするとしたら?」と、考える事がある。

けど、「家庭崩壊を回避出来る」様なアドバイスは、残念ながら思いつかない。

「せめて、その平穏な時間を大切にしてください。」とアドバイスするのが精一杯だ。

 

2 COMMENTS

しもけん

リアルタイムで見てきたので、色々と思い出して切なくなるわ。

確かにあの頃は、幸せそうに見えたんだよー。崩壊がウチの方が少し早く始まっていたから、羨ましく感じたのをよく覚えているな〜。

ゴウちゃん。思い出すとしんどくなるんだね。

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titta31@

もし、あの状態がずっと続いていたなら、心を病んだ(もしくは歪みに歪んだ)のは俺だけだったかも知れないね。

ゴウ猫の事と言うか、彼女の子供も含めてだね。
あの子達には、本当に申し訳ないと思ってる。
思い返すのはしんどいけど、別口で「あの子達」の話も書き始めてる。
出来上がった時は読んでやって下さい。

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