父は僕の事を溺愛した。
それはもう、溺愛した。
多分父は、亡くなる寸前まで僕の事を愛していてくれたと思う。
しかし残念なことに、僕は「そんな父」の事を憎む様になる。
父の愛情表現。
一生懸命に働いてきた父の手。
僕の中の「父に溺愛されたと感じる記憶」は、「東京からの引っ越し後」から始まる。
正直、僕の中には「東京時代の父の記憶」というモノが殆ど残っていない。
それは、父が「ずっと飲食業で働いてきた」からだろう。
多分、朝から晩まで働いて、「家族との時間が取れていなかった」んじゃないかと思う。
東京から引っ越した後、父は「父の友人」と一緒に「新しく飲食店」を開いた。
その「新しいお店」では、早番遅番の「交代制」を採用したらしく、時間の余裕が出てきた様だ。
しかも、飲食業ながらに、夜は「家族との時間を取れる様に」配慮した働き方をさせてもらった様だ。
「我が家」は、比較的「父の職場に近い場所」にあった。
その為父は、「お店が暇な時間」でもあれば、チョイチョイ帰宅した。
「晩御飯の時間(父は食わない)だけ帰宅して、晩御飯が終わったら仕事に戻る」なんて事もあった。
そんな時の僕は、必死で父を止めたモノだった。
この頃の父は、「数年後」では考えられない程の働き者だったと思う。
父は飲食業で、一日中鍋を振り続けたんだろう。
そんな父の左手の指は固まり、「伸ばしきる事」も「曲げきる事」も出来なくなっていた。
僕は、「そんな父の事」も、「そんな父の手」も大好きだった。
ワンコの様な父。
夕方、父が帰宅すると、父は僕を「揉みくちゃ」にする。
それはもう、「大好きなご主人が帰宅した時のワンコ」の様に。
それはもう、鬱陶しいくらいに。
確かに僕は、そんな「ワンコの様な父」を鬱陶しく思う事があった。
だけど、やっぱり「嬉しく思う気持ちが強かった。
「父の愛情」は、見返りや裏返しの無い、「疑いようが無い愛情」だったと感じている。
しかし「父の愛情表現」を、「兄にしている姿」を見た事はなかった。
兄の事も愛していたが、「兄の性格を考慮して」の事なのか。
単純に「僕と兄への愛情の大きさの差」なのかはわからない。
父がどう考えてもいたかはわからないけど、「この差」は、兄を深く傷付けていたんじゃないかと思う。
休日の父。
父は基本「平日休み」だった。
まぁ、飲食業だしね。
そんな訳で、「学校の夏休み」なんかじゃない限り、父と休日が重なる事は稀だった。
父には「友人」と呼べる人が少ない。
そんな父の休日は、「飲んでいる」か「本を読んでる」くらいのモノだったんだろう。
が、しかし、「チッタの放課後」になると、父は起動する。
父の休日には、僕を学校まで迎えに来てくれる事が度々あったんだ。
まぁ、嬉しくはあったんだけど、父は「学校から少し離れた場所」で待機していた。
今なら、通報されていただろう。
そして少し酒臭い。
だけど、当時は「酒臭さ」なんてのは気にならず、僕は純粋に嬉しかった。
そして僕達は家にランドセルを置き、「散歩」と称して「ふたりで遊びに行く」のがお決まりコースだった。
チッタを溺愛する父。
僕も父が大好きだった。
父は本当に僕の事を、それこそ「目に入れても痛くない程」に溺愛してくれた。
そして僕も、「父に負けないくらい」に父の事が大好きだった。
母も多分、僕を愛してくれていたと思う。
しかし、「多分」と言ってしまう辺り、僕と母の間には、「見返り的な愛情」を感じてしまっているんだと思う。
僕が「兄程壊れてしまわなかった」のは、「父からは確実に愛されている」という確信があったからだと思う。
「大好きだった」からこその苦しみ。
今考えると、僕が小学2年辺りが「我が家のピーク」なんだと思う。
兄も落ち着いてきた(当社比)し、父も母も頑張って「家」を支えてくれた。
しかし、父は壊れた。
「壊れた」という表現はあまり綺麗じゃないと思うけど、僕にとっては「この表現」しか思い付かない。
僕が小学3年生辺りから、父は徐々に仕事を休みがちになる。
それと並行して、お酒の量も増え、色々とやらかす様になった。
そして最終的にには、「朝から晩まで酒を煽り」「夜中は家の中で暴れ回り」「働く事もせず」僕達を疲弊させた。
過去に「どれだけの愛情をもらった相手」とは言えど、「毎晩毎晩」「毎度毎度」問題行動をされては、やはり僕にも不満が募る。
父の問題行動は、母にも兄にも悪影響を及ぼす。
その悪影響は、僕にも巡り、更に不満が加速する。
蓄積された不満は、やがて「父への憎しみ」になった。
大人になった僕は、当然父に悪態をつくし、父を心底嫌った。
そして、父を嫌う度に、僕は苦しんだ。
父の事を嫌いになったけど、「父が大好きだった過去」が邪魔をしたんだと思う。
「こんなやつを好きだったとか。」
「いや、好きだったはずがない(混乱)」
「コイツはクソだ。昔もクソだったんだ(理論崩壊)」
「でも、愛されていたのは確かだ(冷静になる)」
「あれだけ愛情をもらったのに、俺は酷い奴だな(急な罪悪感)」
そうやって、僕は自分の事が嫌いになっていった。
そうやって、僕は「憎しみ」と「罪悪感」の間でもがき苦しむ事となった。
好きと憎しみの間で、皆苦しむんだよね〜。気持ちはとても分かります。
まずそもそも、認めたくないしね。この記事、書くの苦労したんじゃない?
てか、親父さん、兄にはわしゃわしゃなかったんだね。そこまでじゃないせよ、兄もそれなりに可愛がってもらってたんだと思ってた。
兄が壊れた理由は色々あるだろうが、父に溺愛されていたチッタに嫉妬からの憎悪が加速していったってのは、もしかしたらあったかもね。
認知行動療法みたいな事をしてた時はしんどかった。
ノートに書いてはノートを投げ、1週間も2週間もノートを開けない状態が続いて、そんでまたノートを開いてみて、ゲロ吐きそうになって、またノートを投げて。の繰り返しだった。
今は然程かな。「誰かに読んでもらう為に」って苦労はあったけど。
俺がカーさんに不平等を感じた様に、ニーさんもトーさんに不平等を感じただろうね。
嫉妬も憎悪も確実にあったと思う。
トーさんのやり方もマズかったよ。
ただ、ニーさんも「人に懐かない猫」みたいな雰囲気があったからね。素直じゃなかったのよ彼は。
家にいる時はひとりでゲームばっかしてたしね。
あれじゃあトーさんも「人懐っこい猫」の方を可愛がりたいよね。
ニーさんも素直にトーさんに近寄っていけば、ちゃんと可愛がられたんじゃないかな?
実際、プロ野球の話はふたりでしてたみたいだし。
ニーさんが中学で野球部に入ったのはトーさんの影響だしね。
まぁ、おかげで闇が加速しますが。