僕は兄から身体的に、精神的に虐待を受けていた。
今でこそ、「あれは虐待だった」と明確に思っている。
僕は20代の頃、呪いのノートを作った。
物騒な物言いだけれど、ザックリ言うと過去を書いた日記である。
過去を綴るにあたって、兄から受けたものの名称が欲しかった。
呪物作成時、兄から受けたものを漠然とした認識しかしていなかった。
とにかく酷い事をされていた。とだけ。
モヤがかかったように頭の中にあった。
母は「チッタは小さい頃、ニーちゃんにイジメられてたね」と言う。
そうか、イジメか。
そんなもんか。と思っていた。
10年20年前は、「イジメ」という言葉が今程に深刻な印象で使われていなかったと思う。
「うちの子達、上の子が下の子イジメちゃってー。困っちゃうわー。」なんて小笑いした世間話を聞いた事はあった。
「うちの子達、上の子が下の子虐待しちゃってー。困っちゃうわー。」なんてのは聞いた事がない。
今でこそ、イジメの悲惨さが世間に広まって、「イジメ」という言葉が深刻的な印象になったように思う。
念のため断っておきます。
イジメが深刻ではないなんて、一切思っていません。
話を戻します。
過去の日記を書くということは、記憶の中で過去を追体験する事である。
兄から受けた傷の大きさと深さに、僕は自分の事ながら驚いた。
イジメと虐待の明確な違いはよく分かっていない。
調べてみると、与えた側受けた側の関係の違い。家族か他人か。
みたいな感じだったけれど、「でも、双方で使うことあるくね?」としっくり来なかった。
「まぁ、良いや。より深刻な印象「虐待」を採用しよう」と決めた。
当時の自分が、より強い印象を受ける言葉にしたかっただけ。
当時、虐待よりイジメの方が印象が強ければ、「イジメ」という言葉を採用していただけの話。
別に「イジメ」でも「虐待」でも。
もっと強い言葉があるなら、なんでも良かった。
弱い言葉を使うと、自分の受けた傷が小さかった様に感じるのが嫌だった。
だから、虐待という言葉を使う事に躊躇は無かった。
胸を張って言います。
僕は、虐待を受けていました。
「だから何だ?」と思う人もいるでしょう。
大きく変わりましたよ。
それまで、イケてない自分が好きじゃなかった。
でも、虐待を受けて傷だらけの自分に気づいた時、少し自分を好きになりました。
誇張した言い方をする必要は無いと思います。
しかし。
「自分なんて大した事されていない」
「誰々に比べれば…」
「つまらない事だけど…」
なんて、自分の受けた傷を過小評価してる人が多い印象を受けます。
話を聞くと、「もっと胸張って良いと思うんだけどなー」って感じる事が多いです。
わざわざ他人に自分の傷の深さを話す必要も無いと思います。
自分が自分の傷の深さを知る事が、凄く大事だと思います。
胸張っていきましょ。