僕が20代半ばの頃だろうか。
その頃の僕はひとり暮らしをしていて、実家には母と兄がふたりで暮らしていた。
僕が母にお金を出す事を完全にやめていたか、少なくとも催促を断る頻度が多くなっていた頃だと思う。
母にとっては「チッタというスポンサー」からの金回りが悪くなり、経済的にも精神的にもシンドイ時期だっただろう。
遂に母は「兄との生活」に耐えられなくなった。
その頃の話。
時系列やら細かい状況については記憶が曖昧なんで、多少の矛盾が発生するかも。
その辺をご容赦頂けると助かります。
目次
母からの連絡は、相変わらずの「厄介事」だった。
ある日、母からの連絡が入った。
「母から」だったのか「母の店の常連客」だったのかは覚えていないけど、「母の周辺から」の連絡だった。
要約すると、母は自殺未遂をしたらしい。
「今後について相談したい。」との事で、僕は母の店に呼び出された。
休業中の母の店に到着すると、母と「常連客その1」が僕を待っていた。
因みに、この「常連客その1」は、後の「兄の暴力事件の被害者」である。
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そんなこんなで、「母の今後について会議」が開かれた。
僕の到着時、ふたりとも既に酒を飲んでいた点が気になったが、とりあえず置いておこう。
まずは、「母の状態」の確認。
母は「睡眠薬とアルコールの大量摂取」で、病院に1日か2日か入院した後らしい。
気分は沈んでいた様子だけど、カラダは大丈夫そうだった。
僕としても母の自殺未遂は2回目か3回目だったし、「家族総数」で言えば両手では足りない数を経験している。
もはや、慣れっこだ。
カーさん「もう、ニーちゃんとは暮らせない…。」
兄は母に、無茶苦茶な金銭の要求を「日常的」に行っていた。
要求が通らなければ、家の物は壊され、壁には「兄の血で描かれたアート」がこれ見よがしに描かれていたそうな。
母は兄から「直接的な暴力」を受ける事は無かったが、精神的にはかなり追い詰められていた様子だった。
しかし、僕は「チャンス」だと思った。
「それ以前」から僕は「兄の入院」だったり、とにかく「兄との離別」を母に要求していた。
「入院」が「兄を良くする」かは知らないけど、僕と母が生存する為には必要だと思っていた。
つうか、兄がどうなろうと知ったこっちゃない。
しかし、僕は兄がどうなっても良いが、母は違う。
母は兄に甘い。
僕がどれだけ「プレゼン」しても、結局母は「僕の意思」より「兄」を優先する。
そんな母が、「ニーちゃんとは暮らせない。」と言ったんだ。
「上手く転がせば、兄と離別させられる!」
僕は頭をフル回転させ、「計画」を考えた。
母の「失踪」計画
その頃の僕は、「母との関係」は継続したいが「兄との関係」は切りたいと思っていた。
「ニーちゃんとは暮らせない。」
母がそう言っているのなら、実に都合が良い。
あとは、僕と母に「兄からの被害」が出ぬ様に切り離せば良いだけだ。
チッタ「わかった。」
チッタ「カーさんは何もしないでくれ。」
チッタ「絶対にニーさんに接触をしないでくれ。」
チッタ「カーさんは、とにかく何もしないでくれ。」
僕は母に念押しをして、兄に電話をかけた。
チッタ「おっすおっすこんにちは。」
チッタ「ここ数日、カーさんが家に帰ってないでしょ?状況はご存知で?」
ニーさん「あぁ?帰ってないかもな…。」
ニーさん「なんなの?」
チッタ「カーさんが自殺未遂した。」
チッタ「生きてはいるけどブッ壊れた。つうか言ってる事が支離滅裂過ぎてよくわからん。」
チッタ「近いうちにそっち(実家)に行くから、その時に詳しく話そう。」
そう言って、一方的に電話を切った。
「計画の第一段階」は上手く出来たと感じた。
僕の考えた「計画」はこうだ。
- 母には「失踪」してもらう。
- 母は「ただ失踪した」のではなく「壊れて失踪した」事にする。
- 兄には経済力以外の「生活力」を身に付けてもらう。
この3つだ。
- 母には「失踪」してもらう。
母はもう、色んな意味で「兄には会わない方が良い」と判断した。
兄の前から姿を消してもらう。
だから「何もするな」と念押しした。
幸い、母には「泊めてくれる友人(女性)」がいた。
「母の友人宅」と「母の店」で寝泊まりすれば、時間を稼げる。
あとはまぁ、「母の実家にでも帰れば良いだろう」と漠然と考えた。
因みに、「僕のアパートに泊める」という選択肢は用意しなかった。
めんどくさいからな!!
- 母は「ただ失踪した」のではなく「壊れて失踪した」事にする。
別に「ただ失踪した」事にするのでも良かった。
「壊れて失踪した」事にしたのは、兄からのカウンターが怖かったからだ。
母が「ただ失踪した」事にすれば、兄は「捨てられた」と怒りを感じるだろう。
だから、母が「壊れた」事にして、兄に「母を壊したという罪悪感」を持ってもらおうという作戦だ。
僕は兄の怒りが「外へ向けられる」のを恐れた。
僕としては兄の怒りが「内(自分)に向けられる」のがbetterだ。
その頃は、「兄が自殺してくれる」のがベストだとさえ考えていた。
その為の「罪悪感」だ。
- 兄に「生活力」を身に付けてもらう。
これは「僕への保険」だ。
僕はとにかく、兄の怒りが「外(僕や他人)に向けられる」のを恐れた。
だから、兄に生活力が身に付く様に「僕が」手助けして恩を売ろうという思惑。
兄は「生活力」が皆無だ。
掃除はモチロン、当時は「米を炊く」事すら出来なかった。
他にも、「色んな手続き」も出来ないだろう。
それらを僕が手伝いつつ、兄自身に出来る様になってもらう。
経済面は、兄の状態なら生活保護を受けられると踏んだ。
その辺の手続きやらも僕も手伝う方向で腹を決めた。
兄が生活保護を受けた後は、僕も姿を消せば良い。
その後に兄が自殺しようが知ったこっちゃない。
作戦決行。忙しい中での充実感。
母と「常連客その1」には計画を伝える事にした。
若干引かれた。
僕としては、「タイミング」が無かっただけで、以前から「道筋」は思い描いていた。
今回たまたま「良いタイミング」が巡ってきた為に「腹を決めた」だけだった。
ふたりには「僕の覚悟」が伝わったであろう。
あとは「ボロを出さずに」進めるだけだ。
後日、僕は実家へ向かった。
家の中は、色んな意味で荒れていた。
「数日でこうなるんかい…。」
「思ったよりも忙しくなりそうだ。」
そんな事を考えながら、兄には「偽の」母の状態を説明する。
「母が自殺未遂をした」事については、そのまま伝えた。
チッタ「カーさんはなんで自殺しようなんて…。」
「訳がわからない…。」「どうしてこんな…。」といった香辛料を加えて。
香辛料を加える事で、より「罪悪感」を持ってもらおうというわけだ。
実は、兄は「チッタがどこまで知っているか」を知らない。
実家の状況や、兄の滅茶苦茶な金銭要求。
これらは母を伝って、僕には筒抜けだ。
しかし、兄は「僕に筒抜け」なのを知らないんだ。
戦いに最も重要なのは「情報」だ。
この「情報の差」は、かなり計画を進めやすくしてくれた。
母の状態を聞いた兄は、僕に「当然の疑問」を追求した。
ニーさん「で、カーさんは今ドコに居んの?」
来た。
これは絶対に与えてはいけない情報だ。
母の居場所を知れば、兄は「母の友人宅」であろうが押しかけるだろう。
兄が母に会えば、「母が壊れていない」事がバレてしまう。
それでは「計画」がオジャンだ。
僕は事前に「この質問」が来る事を予測出来ていた。
「この返答の出来」で、今後の難易度が変わる。
「バイト面接の練習」なんてのはした事が無かったが、僕は事前に「この問答」を練習し、仕上げて来た。
チッタ「知らない。」
ニーさん「そんな訳があるか。会ったんだろ?」
チッタ「一回だけ会った。だけど俺の顔を見るなり、殺される!!って叫んで逃げた。」
チッタ「アレは完全に壊れてる。」
チッタ「なんかもう、何も出来なくてさ。(常連客その1)さんに任せて、それっきりなんだわ…。」
あの時のチッタに100点満点をくれてやろう。
渾身の「嘘」だ。
兄はようやく「事の重大さ」を理解し始めた様だった。
それからの数日は忙しい日々だった。
僕は夜勤が終われば食材を買い、実家へ向かう。
米の炊き方から簡単な料理をレクチャーし、掃除やらゴミ捨てやらの世話もした。
その月の光熱費は僕が支払い、家賃の期限が近づいたら生活保護の話を進めよう。
「死んで欲しい」くらいに憎んでいる兄の為に使う時間はしんどいモノだった。
しかし、「現在を乗り越えれば、状況を打開できる」という、それまで感じた事のない「希望の様なモノ」があった数日間は、とても充実した時間だった。
呆気ない幕切れ。ここまでしても「僕」より「ニーさん」を選ぶんだね。
話の流れもナニも無い。
母はあっさりと兄に接触しやがった。
僕に何の相談も無く、勝手に実家のアパートに帰ったそうだ。
言うまでもないが、母には「母と兄の接触で、計画の全てがオジャンになる」事を何度も伝えていた。
ホント、母は「人の努力を無駄にする」事に関しては天才的だった。
僕の夜勤終わり、買った食材を持って実家へ向かおうとしたところだった。
母からの連絡が入る。
カーさん「今、アパート(実家)から店に帰って来た。」
「人は怒りが頂点に達すると、頭の中が真っ白になる」というのは本当らしい。
普段の僕は、「モノに当たる」という事はしない。
だけど、その時ばかりは「レジ袋に入った食材」を何度も何度も地面に叩きつけた。
当然、袋の中はグッチャグチャ。
手をぶつけたのか出血があったが、それも放置して僕は寝た。
僕はもう、「手を貸す気力」を完全に失っていた。
それから数日後、母からの連絡で「兄と接触したのは、兄が心配になったから」だと聞かされた。
母が兄に接触したのは、「母の今後について会議」から1週間ちょっとだ。
もはや、本当に「ニーちゃんとは暮らせない」と思ったのか疑うレベルの忍耐力の無さ。
「計画」の最中、僕は「兄が順調に生活力を身に付ける姿勢が出て来た」事を母に伝えた。
「それ」が良くなかったのか。
母は「兄が良くなった」と、「今なら一緒に暮らせる」とでも勘違いしたんだろうか。
それとも、毒にも似た「厄介な」母性本能が湧いたのか。
兄には「母が壊れた。」と嘘をついた。
そこを母がどう説明したのかは知らないし、知りたくもなかった。
僕には「母に裏切られた」という気持ちだけが残る。
「ニーちゃんとは暮らせない。」
「助けて。」
そう言われたから僕は動いた。
頭をフル回転させ、嘘もつき、睡眠時間も削り、身銭を切り、最も憎む兄の世話をして心も神経も擦り減らした。
ここまでしても「僕」よりも「ニーさん」を選ぶんだね。
そんな気持ちを明確に出来なかった当時、その後の数日間の僕は、それはもう酷いモノだった。
「表面上では嫌い」になった母。その後の僕達の関係。
それからどれだけ時間が経ったのかは忘れたけれど、母と「あの件」について話す機会があった。
「カーさんが助けてと言ったから動いた」
「どれだけの労力を費やしたと思ってる?」
「俺がすり減らしたモノを想像出来ますか?」
そんな「僕の叫び」をぶつけたと思う。
カーさん「親になれば、この気持ちがわかる。」
そう言って母は泣いた。
母はどれだけ僕を傷付けるつもりだろうか。
母を助ける為に動いて、色んなモノをすり減らして、結局は裏切られて、その上更に「悪者」にされて。
「あの一件」以降、僕が母に対するモノは「厄介」から「嫌い」にランクアップした。
そして、母の「助けて」と僕の「手助け」では、明確に「差」がある事に漠然と気付いた。
要するに、母の「助けて」は「お金ちょーだい」なのだと僕は認識した。
母と兄は「元の生活」に戻った。
母が家に帰る様になった当初は、兄は「大人しかった」らしい。
しかし、兄が再び無茶苦茶な要求を始めるのに時間は掛からなかった。
カーさん「ニーちゃんとは暮らせない。」
「あの一件」以降、母は「このセリフ」を多用する様になった。
僕にとっては「はーーい!!いつもの頂きましたーー!!」といった感じ。
「オオカミ少年」ってのはこうやって出来上がるんだなと。
僕の家族は、いつも僕に学びを与えてくれる。
母は僕に「あんな裏切り」をしておいて、その後も僕に助けを求め続けた。
「ドラえも〜ん!助けてよ〜!!」といった感じで。
しかし、押入れを開けても、そこに青狸は居ない。
母を助けてくれた青狸が未来に帰ってしまった事を、母は気付けなかった様だ。
「二兎追う者は一兎も得ず」
これも母に教えてもらった大切な事だった。
僕は母に裏切られ、「表面上」は母の事を嫌いになった。
母からの連絡が入る度に心がブレる日々。
いっその事、僕が姿を消してしまえば良かった。
それが出来なかったのは、経済的な理由だけではなかった。
「母親」ってヤツは、本当に厄介だ。
どれだけ裏切られても、更には悪者にされても。
僕は母の中にある「母親」というモノを嫌いになり切れなかった。
「母の事は嫌い」
だけど、「母親には愛されたい」
思い返してみると、「その部分」が色濃く現れている一件だと感じた。