小学生時代 新たな土地での生活。

小学生1年生の夏休み。

それまで育った土地から引っ越す事になった。

「引っ越し」に伴って、「転校」もしたわけだけど、「学校」が変われば「習慣や文化」も変わってくる。

慣れるまでに時間はかかったけれど、まぁ、それなりに順応出来たと思う。

新たな土地での生活。

近所の子供達。

僕達が越して来た新居は、いわゆる住宅地の中にあった。

一軒家が立ち並ぶ地域で、ちょうど僕と同世代の子供達が多数住んでいる地域だった。

 

引っ越して来たばかりの僕や兄は、この地域の事を全く知らない。

どこに公園があるのか。

そもそも、どこに何があるのかもわからない。

しかし幸運な事に引っ越し先の新居は、外に出れば「近所の子供達」が集まって遊んでる様な地域だった。

 

兄の事を散々「人付き合いが苦手だ。」とか言っている僕だが、僕自身あまり得意ではない。

遊んでいる子供達を見つけても「僕も仲間に入れて!」と言える様なタイプじゃない。

遠巻きに眺めては「一緒に遊ぼうよ!」と声をかけてもらう、「待ち」のスタイルだ。

そんな僕を、彼らは仲間に入れてくれた。

この事は感謝でしかない。

 

僕らは「かくれんぼ」をしたり、「公園の遊具」で遊んだりと、「子供らしい外遊び」を楽しんだ。

しかし、兄はこの頃、僕達と一緒には遊ばず、家でひとりゲームをしていた。

「友人」との出会い。

この「近所の子供達」の中には「お兄ちゃん的存在」がいた。

近所で子供達が遊んでいれば、大体「彼」がいた。

というか、彼がいなければ、「みんなで彼の家まで呼びに行く。」様な感じだ。

みんなが彼を慕い、僕も彼を慕った。

この「お兄ちゃん的存在」の彼と僕は、現在も続く長い付き合いになる。

このブログに出てくる「友人」とは、大体「彼」の事だ。

そして、この「友人」は、「僕の兄と同級生」である。

 

その当時、「友人から見た僕」は「近所の遊び仲間」程度のモノだった。

それが徐々に「同級生の弟」に変化する。

そして「似た問題を抱えた友人」という関係を経た後に今に至る。

おそらく、友人が「僕の兄と同級生」でなかったら、ここまで関係は続かなかっただろう。

転校先での学校生活。

習慣や文化の違い。

夏休みが終わり、転校先での学校生活が始まった。

なんと言うか、戸惑うばかりである。

「学校」ってのは、いわば「小さな社会」だ。

社会には必ず、「独自の習慣や文化」が存在する。

 

例えばなんだけど、東京の給食では、「牛乳は瓶のモノ」だった。

それが転校先では「紙パックの牛乳」に変わった。

「紙パックの牛乳」なんてモノを初めて見る僕には、飲み方も飲んだ後の捨て方もわからない。

そんな僕は、周りの子から「なんでそんな事も知らないの?」という、「全く悪意の無い嘲笑」に晒された。

こういうモノは、積み重なると「イラッ」とする。

 

場所が変われば習慣や文化が変わる。

もっと言えば、細かなルールも変わる。

しかし、当時、小学1年生の僕だ。

そんな事は知らない。

僕は「東京の小学校での常識」で対応するのだが、そんなものは通用しない。

「自分の常識が通用しない」という学校生活は、少なからず僕にストレスを与えた。

クラスメイトとの遊び。

「転校生」ともなると、物珍しさからか、休み時間なんかに「遊び」に誘われる事が多かった。

しかし、地域や学校が変われば「流行ってる遊び」なんてのも全く変わってくる。

僕からすると、「みんながしている遊び」は初見のモノばかりだった。

正直、「1から覚える」なんてのはめんどくさい。

 

僕は「東京の兄ちゃん達」と遊んだ「角ベン」という遊びを提案するのだが、クラスメイトは「角ベン」なんてモノを知らなかった。

「角ベン」は、東京時代の最もホットな遊びだった。

当然、「ここ」でも流行っているモノだと思っていたんだけど、みんなは「聞いた事もない。」と言う。

わかりやすく言えば、「野球?サッカー?ナニソレ?」とでも言われた感じだろう。

これは「衝撃」と言うか、「絶望」ですらあった。

「自分の常識が全く通用しない異世界に来てしまった。」

そんな感じの「心細さ」の様なモノを感じていた。

少しずつ順応していって。

順応していったチッタ。

なんやかんや言いつつ、僕は「新たな土地」での生活に順応していく事が出来た。

 

近所の子供達と遊ぶのは楽しかったし、東京では少なかった公園に、ひとりプラプラとしているのも楽しかった。

東京の学校とは「習慣や文化」が違った転校先でも、少しずつではあるが順応出来た。

夏休みが終わり、2学期の学校生活が始まってわかった事なのだけど、僕の引っ越し先の近所には、同級生が多数住んでいた。

そんな事もあってか、同級生の友達も何人か出来た。

この頃は、あまり「同級生を見下す」という事はなかったのかもしれない。

 

僕は順調に「新たな土地」に染まっていく。

冬に入ろうかという時期には、僕は「新たな土地の方言」までも使う様になった。

順応に手こずった兄。

やはりと言うか、兄は「新たな土地」での生活に、なかなか順応出来ずにいた様だ。

 

引っ越し当初、僕は「近所の子供達」と遊ぶ事が多かったのだけど、兄は一緒に遊ぼうとはしなかった。

僕が友人と呼ぶ、兄と同級生でもある「近所のお兄ちゃん」のおかげもあり、徐々に順応していくものの、時間がかかった。

 

兄は「この引っ越し」に不満を抱えていた。

父や母に「なんでこんな所に連れて来た!」と、不満をぶち撒けている姿を何度も見た。

そして、あからさまに僕への態度がキツくなった。

 

元々、僕が「何をしても、何をしなくても」その日の機嫌によって癇癪を起こして来た兄だ。

それが、「僕が視界に入るだけ」で「僕を精神的に攻撃」する様になった。

まぁ、これは「引っ越し直前」から始まっていた事なんだけどね。

流石に両親も「手がつけられない」となったのか、一時期は食事も別にとる様にする程だった。

流石に僕も、この頃は「ご機嫌をとるためにくっついて回る」なんて事は出来なかった。

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