未就学時代 家族以外のコミュニティ。

僕は生まれてから小学校に入学する頃までを東京で過ごしていた。

そして僕は、「幼稚園」「近所の兄ちゃん」「兄の友人」と、「家族以外のコミュニティ」を経験していった。

 

僕の唯一の対人能力は「弟キャラ」でいる事だった。

「弟キャラ」というか、「年上相手限定の人懐っこい犬」とでも言ったほうが想像しやすいかな。

それは大人になった今でも残っている。

そんな唯一の対人能力の土台が形成されたのは、未就学時代の経験が強い様に思う。

弟キャラ。

同学年に興味を持たない子供。

僕は未就学時代に限らず、「小学生時代」「中学生時代」「高校生時代」と、同学年に興味を持たない子供だった。

「同級生の子に興味を持たない」というのとは少し違うかな。

「僕を弟として見ない子」に興味を持たなかったんだと思う。

 

僕は「曖昧なルール」というモノが苦手だ。

「◯か✖️」「ハイかイイエ」「OKかNO」であって欲しい。

「△」とか「暗黙の了解」とか「空気読んで」とかはやめて欲しい。

そんな僕にとっては、人間関係において「型」や「キャラ」があった方がやりやすい。

 

僕はずっと「兄の友人」や「近所の兄ちゃん達」とばかり遊んでいた。

「彼ら」と遊ぶ時、僕はただ後をついて行き、人懐っこい犬の様な「弟キャラ」になれば良かった。

そうすれば楽だった。

そうすれば「彼ら」はチヤホヤしてくれた。

 

しかし、僕は「同級生」に対しては「弟キャラ」になる事をしなかった。

それは、僕が「同級生」を見下していたからだろう。

 

「そういう気持ち」は、言わなくても相手に伝わる。

そんな僕には「同級生」の友人は少なかった。

まー君

しかし、未就学時代当時の僕には「まー君」という唯一の同い年の友人がいた。

近所に住む「いつから友人になった」かもわからない、いつの間にか「居た」友人。

多分、「親同士の繋がり」がキッカケだろう。

 

しかしまぁ、よくは覚えていないけど、僕とまー君は「お互い見下し合っていた」様に思える。

そしてまー君は、しょっちゅう癇癪を起こす子だった。

僕は多分、まー君に兄と似たモノを感じたんだと思う。

そんな彼を、僕は「厄介なヤツだなぁ。」と見下していた。

まー君も多分、僕の事を「厄介なヤツだなぁ。」と見下していたんだろう。

 

多分僕は、「ひとりっ子」である、まー君に嫉妬していたんだと思う。

まー君が癇癪を起こせば、「まー君のお母さん」が飛んでくる。

それは「我が家」では珍しい光景だった。

僕には兄がいる。

それも、厄介な兄だ。

僕が「母親」を独占するのは難しい。

だから僕は、「母親を独占している」まー君を見下していたんだろう。

逆に、まー君からすれば、「兄弟がいる僕」に嫉妬していたんじゃないかな。

あんな兄でもね。

 

まー君とは東京から引っ越して以来、繋がりはない。

彼は今、どうしているだろうか。

近所の兄ちゃん。

児童館の兄ちゃん。

幼稚園児の僕でも気軽に通える場所に「児童館」があった。

基本的に親から放置されていた僕は、「近所の兄ちゃん」「児童館に通う兄ちゃん」「兄の友人」と遊ぶ機会が多かった。

今でも児童館ってあるのかな?あんまり聞かないけど。

 

学童とは違って、「来たい子は好きに来な。」って感じの児童館は、僕には好都合だった。

ひとり遊びに飽き、児童館へ足を運べば、そこには「兄よりも年上の兄ちゃん達」がワラワラ集まっている。

そんな「児童館の兄ちゃん達」は、年下の子との接し方が上手く、僕も可愛がってもらった。

「歳の離れた兄ちゃん」と遊ぶってのは、幼い子供に刺激が強い様に思う。

「良い悪い」ではなく、「内容がどうの」でもない。

なんというか、「自分も大きくなった」様な気分にさせてくれた。

多分、「同学年への見下し」には、そんな環境も影響したんだろうと思う。

 

僕はずっと、年上とばかり遊んできた。

そんな経験が、僕が「弟キャラ」でいる事が楽な要因でもあるんだろう。

兄の友人。

当時の僕の兄には、仲の良い友人がふたりいた。

基本的に兄は、その友人達と遊ぶ事が多かった。

そして僕も、一緒に遊ぶ事がたまにあった。

 

A君は、おっとり優しいタイプ。

家も綺麗で高級そうなマンションに住んでいたと思う。

方やB君はというと、凄く「ヤンチャ」なイメージがあった。

正直、「アレって、やっちゃあダメな事だったよね…。」って記憶もある。

微かな記憶なんだけど、どこかの施設の窓から侵入して遊んでた記憶があるんだよなぁ。

 

しかし兄は、その友人たちと遊ぶのが楽しかったらしく、彼らと一緒にいる時は僕にも優しかった。

僕にとっては、ある種の「安全地帯」の様なモノだったのだろう。

毎度毎度兄達と遊ぶ事は出来なかったが、チャンスがあれば、僕は兄達にくっついて周った。

 

兄の友人達も僕に優しくしてくれていて、「兄の友人と遊ぶ」という事に、僕は抵抗も遠慮も感じる事は無かった。

その後の成長した僕も、兄の友人と接していくのだけど、「そう」出来たのも、この頃の経験が地盤になっているのだろう。

家族以外の「コミュニティ」

僕が幼稚園児になった頃。

家族以外の「初めてのコミュニティ」を経験した。

僕は小さい頃から今現在まで、仲の良い人は、圧倒的に「年上」が多い。

それは、「家族以外の初めてのコミュニティ」での経験が色濃く残っているからだろう。

 

面倒を見てくれる兄ちゃん達が周りに多くいた事。

兄にくっついて周る事で、兄の友人に優しくしてもらえた事。

そういった経験が、「年上に臆す事なく接する事が出来るチッタ」を作ったのだろう。

 

しかしその反面、僕は「同級生との接し方」を学ぶ事を放棄した。

「同級生への見下し」は、この頃から始まっていたし、「同級生への興味」自体持たなかった。

「物足りなさ」と言えば、多少は聞こえがいいかもしれない。

幼稚園時代の僕には、同級生の子達との遊びには「物足りなさ」を感じていたんだろう。

 

「兄ちゃん達との遊びには刺激があった。」

そう感じたのは確かだと思う。

しかし、根本の部分では「チヤホヤされない物足りなさ」を強く感じていたんだと思う。

まぁ、未就学の子供が「チヤホヤされたい。」と思うのは不思議な事じゃないけどね。

 

僕の初めての「家族以外のコミュニティ」での経験は、同級生との接し方については課題が残った。

しかしまぁ、それ以外で言えば上々なモノだったと思う。

僕も楽しかった記憶がある。

是非、この幼いチッタがスクスクと育っていくのを願うばかりだ。

まぁ、そう上手くはいかないんだけどね。

 

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