昔、「僕が赤ん坊だった頃の話」を母に聞いた事がある。
カーさん「チッタは全然泣かない、手のかからない良い子だったよ。」
母はそう言った。
赤ん坊の頃の記憶は全く無い。
続けて、「もう少し後の頃は?」と聞いてみた。
カーさん「うーん…。なんか、ひとりでケラケラ笑ってる子だったね…。」
カーさん「あれ、何か面白かったの?」
コッチが聞きたい。
目次
手のかからない良い子。
泣かない子供。
僕が赤ん坊だった頃、僕はとにかく「泣く事をしない赤ん坊」だったらしい。
お腹が空いても泣かない。
オムツを汚しても泣かない。
言い換えるなら、「全く意思表示をしない赤ん坊」だったと言える。
カーさん「なんか臭いなーって思ったら、オムツがウンチでパンパンになってるんだよねw」
と、母にとってのオムツ状況のセンサーは、「泣き声」ではなく「臭い」だったそうな。
そして僕は、「熱を出しても泣かない赤ん坊」だったらしい。
カーさん「いつの間にか高熱を出してる。なんてのもよくあったねぇ。」
母は懐かしそうな顔をして言ったが、「俺の耳が悪いのって、その辺に原因があるんじゃねえの…?」なんて事を考えながら聞いていた。
そんな僕が唯一「ギャン泣き」する事があった。
カーさん「チッタは、ニーちゃんがイタズラした時だけは泣いてたね。」
母の言う「兄のイタズラ」ってのは、要は「僕に対する暴力」だ。
赤ん坊の僕のカラダが「つねった爪痕だらけ」になっていた事。
ベビーベッドで寝ている僕を、兄が全力タックルで床に叩き落とした事。
それらは、母にとっては「兄のイタズラ」で済まされた話らしい。
ケラケラ笑ってる子供。
カーさん「チッタをあやした記憶って、あんまりないんだよね。」
まぁ、基本的に「泣かない赤ん坊」ならば、そもそも「あやす」必要はないんだろう。
カーさん「天井を見つめてるか、ひとりでケラケラ笑ってるかのどっちかだったね。」
変わった子供だ。
ただ、母にも怪訝に思う事があったそうな。
僕は、母や父が話しかけても反応の薄い赤ん坊だったらしい。
カーさん「これ、ちゃんと聞こえてるのかな…。」
母は「そんな疑問」を僕に持ったらしいが、「チッタは泣かないから大丈夫だろう。」と、よくわからない理論で納得した様だ。
どうも母は、
- 赤ん坊が泣いている=悪い
- 赤ん坊が笑っている=良い
と思っている節がある様だ。
- チッタは泣かない
- チッタが笑っている
このふたつが備わっている時点で、「この子育ては順調だ。」と認識していた様に僕には聞こえた。
「チッタはケラケラ笑ってるから問題ない」
と、母は「赤ん坊の泣く、笑う」以外の反応には無頓着だった様に感じる。
カーさん「本当、チッタは手のかからない良い子だったよ。」
カーさん「ひとりで笑ってるのは、少し怖かったけどねw」
母はそう言った。
ひとり遊び。
テレビっ子。
時が進み、僕が赤ん坊ではなくなった頃。
正確な時期はわからないが、「家にひとりで居る記憶」というモノをいくつか覚えている。
僕が「家にひとり」という事は、兄が小学生になっている頃か?
って事は、僕が幼稚園児かそこら辺の頃だ。
父はその頃働いていたし、母もパートで働いていた様だ。
兄は学校の他に、「水泳」と「トランペット」の習い事していた。
母は「パート」と「兄の習い事」がある為に忙しかったんだと思う。
おそらく「僕が家にひとりで居る」という記憶は、「母の手が周らなくなった時」の記憶なんだろう。
そんな時、僕は「テレビを観る」か「昼寝をする」かだった。
今でもなんだけど、僕は「ひとり遊び」が好きだ。
遊んでいなくても、「妄想」しているだけで楽しめる。
多分、「テレビの中の世界観に入る」という妄想でもしていたんだろう。
因みに「それ」は、今でもやっている。
僕は普段働いている時も、頭の中では「FBIの心理分析官」として活動している。
僕の妄想癖は、この頃に養われたのだろう。
幼稚園での生活。
僕は「同級生と遊ぶ」より、「ひとり遊び」の方を好んだ。
幼稚園での生活にも、その特性は謙虚に表れていたらしい。
僕はひとりでケラケラ笑っているか、紙に「ナニか」を描き続けて遊んだ様だ。
その「ナニか」とは、「線」と「点」の集合体らしい。
僕は「曲線」があまり好きじゃない。
それも幼稚園児時代からの事らしく、「絵」ではなく、ひたすら「線」と「点」を描き殴っていた様だ。
母に「その絵」を見せたらしいのだが、母は後に「あれは怖かった。」と言っていた。
心理分析官として、一度観てみたいモノである。
幼稚園では、友達が多い方とは言えなかった様だ。
だけど、裏を返せば「トラブルを起こさない子供」だったと言える。
僕は幼稚園を嫌がらず、素直に通った。
トラブルも起こさず、黙々とひとり遊びを堪能する子供だった様だ。
この事についても、母は「良い子だった。」と言っていた。
手の「かからない子供」と「かかる子供」
「手のかからない良い子」でいてね。
僕が赤ん坊の頃は、「ほとんど泣かないし、ひとりでケラケラ笑ってる赤ん坊」だった。
幼稚園に入る頃には、「友達こそ多くはないが、ひとり遊びで満足する子供」になっていた。
別の話になるのだけど、「近所の兄ちゃん達」とはよく遊んでもらっていたし、人間関係にも然程問題はなかった様に観えただろう。
そんな僕を観て、母は「安心感」の様なモノを感じたんだと思う。
カーさん「自分が放っておいても、ひとりで満足している子供」
そんな事を言っていた。
そんな僕を母は「手のかからない良い子」と称した。
「この子はひとりにしても大丈夫。」
母はそう判断したのか、幼い僕は「家にひとりで居る」事が多かった。
実際、僕は「ひとり遊び」で満足していた部分もあるのだろう。
だけど、「ひとり遊びの満足」と、「側に母親が居ない不安」というのは別問題だ。
「側に母がいない時間」ってのは、幼い僕には不安だったんだと思う。
実際僕は「母が家に帰ってくる夢」を見ては、「だけど母が家にいない状況」に混乱していた記憶がある。
過去を思い返してみればみるほど、僕は「母の愛情」に飢えていた気がする。
カーさん「本当、チッタは手のかからない良い子だったよ。」
この話を聞いたのは、僕が20代前半の頃だ。
「その時期の僕」にも問題があるのだけど、僕はその言葉を「母からの愛情だ。」とは受け取れなかった。
「チッタは手のかからない良い子だったよ。だから、これからも良い子でいてね。」と受け取った。
当時の僕には「この気持ちの言語化」が出来ておらず、ただモヤモヤするだけだった。
手のかかる子供。
僕が30代になった頃。
自分の過去をもう一度思い返し、考察を立てていた。
「僕の兄」の事を知る為に。
「僕の最初の記憶」の時点で、既に兄は僕の事を憎んでいたと思う。
その、「兄の僕への憎しみの根源」が、今回の話に関係しているのだと考えている。
僕の事を「手のかからない良い子」と、大絶賛する母だった。
しかし「それ」は、「兄という手のかかる子供がいた」という背景があったからだと思う。
兄の赤ん坊時代は僕とは真逆で、とにかく「夜泣き」が激しかったらしい。
他にも、幼い兄はカラダが弱く、「手のかかる子供」だったそうな。
つまり母にとっての兄は、「良い子」ではなかったんじゃないか?と。
更には、母の地元は北海道であり、兄を育てたのは東京だ。
母の周りには、「子育ての相談が出来る人」がいなかったのではないかと思う。
そんな事情もあってか、母は「ニーちゃんが幼い頃、愛してあげる事が出来なかった。」と言っていた事がある。
「その事」を思い出した僕は、「母は兄を愛せなかっただけだろうか?」と感じた。
何かもっと、直接的な、虐待的なモノがあったんじゃないかと。
兄には「それ」があった。
僕には「それ」がなかった。
ニーさん「この差はなんだ!?」
兄の目には「そう」写り、僕への憎しみの根源になったんじゃないか?
と、僕は考えている。
「良い子」に頼らざるを得なかった母。
母にとって、兄は「手のかかる子供」だったんだろう。
それに、母の話を聞く限り、父も「良い夫」とは言えなかった様に思える。
兄のフォローをしなくてはいけない。
経済的理解か、パートで収入を増やさなくてはいけない。
それに加えて、母には頼れる親や親戚が近くにはいない。
まぁ、母も「いっぱいいっぱい」だったんだろう。
だけど、幼いチッタは「手のかからない子供」であった。
そりゃあ、「手一杯な親」としては都合が良かったんだと思う。
例え、まだ幼かろうが、「良い子なチッタ」に頼らざるを得なかったんだろう。
僕は(おそらく)幼い頃から母と接する時間が少なかった様に思う。
だけど決して、母は「僕を愛していなかった」わけではないと思う。
母なりの愛情は、確かにあったんだろう。
だけど、「僕が欲しかった愛情」は満足に与えてはくれなかった。
「愛情」ってのは、人によって定義が違う。
「そもそも、愛情とはなんぞや?」という話にもなってしまう。
母の事情があった。
僕だけのワガママが通る家ではなかった。
今更何を喚こうが、過去は変わらない。
だけど、僕には「母との時間」が、もっと必要だったんだと思う。
その事を、僕自身の為にも認識してあげようと思う。