見られるのは嫌ですか?

僕は別に構わない。

 

出勤の時、買い物の時、なんでも良いです。

全く知らないアカの他人とすれ違う。

僕は割と、そう言ったすれ違い様に見られる事が多いと思う。

笑われている事もあると感じてる。

自意識過剰と言われればそれまでだし、別の理由で笑っていただけかも知れない。

ただ、僕は「自分が見られる理由」を分かっている。

ファッション

分かり易い所で言えば、僕の服装はオカシイ。

もう11月だ。

朝晩は肌寒いを通り越す日も珍しくはない。

しかし、僕はTシャツ姿である!!

すれ違う人達は皆、長袖を着ている。

コートを羽織る人もいる。

そんな中、Tシャツ姿の人間がいたら、そりゃあ見るわなw

他にも僕は、大型ショッピングモールに、平気で半纏と下駄でウロウロしたりする。

そりゃあ注目の的になるわなw

僕のファッションセンスは、別に注目を集めたい訳じゃない。

メンド臭くなっただけだ!!

 

僕は20代初期の頃まで、自分のファッションに悩んでいた。

元々僕は、ファッションには興味が無い。

しかし、リア充になる為には、ファッションは重要だ。

元々ファッションに興味のある人なら、僅かなお金で上手いことまとめる事が出来るだろう。

僕には「お金」も無い、「知識」も無い、「熱意」も無い。

自分がどんなファッションをしたいのかも分からない。

出来上がるのは「不協和音」。

そんな自分が恥ずかしく、気持ち悪かった。

明らかにオカシイ格好をしているのが自分でも分かる。

あの当時は、それなりに他人の視線が気になった。

開き直り

それから僕は「呪いのノート」を作成する。

なんとなく、「もういいじゃん」ってなった。

「自分のファッションセンスを恥じない」と言う意味では無い。

ファッションとかどうでも良くね?

ってなった。

 

捕まらない為に肌を隠す。

凍え死にしない為に肌を隠す。

それで十分じゃん。

こうなった僕は、ひたすら「コスパ」と「機能性」を追求した。

 

皮肉な事に、開き直った事によって自分の好きなファッションが見えてきた。

「好きな色」「好きな素材」「好きなデザイン」

僕は「緑系」が好きだ。

だから僕の服は緑ばっかだ。

「素材」はそこまで気にしないが、冬場でもドライ生地を着る。

シンプルな物が好きだ。

ロゴなんて要らない。無地がジャスティス!!

「和」っぽい雰囲気が好きだ。

夏は作務衣。冬ははんてん。

 

側から見ると、なんだかチグハグな格好だろう。

冬場は職場の休憩時間もはんてんを羽織っていた。

初めはみんな、UMAを見る様に僕を見た。

しかし、そのUMAは、どこか自信に満ちている。

そのうち「まぁ、チッタだからな…」と、普通の光景になっていった。

なんだったら「よく見ると、はんてんってカワイイね!」と、事務所のお姉さん方にも流行り始めた様だった。

 

ひとつ忠告しておく。

僕は別に自信に満ちていた訳じゃない。

普通を知る

僕は自分の格好が「普通」の格好じゃない事は熟知していた。

人は、所謂「普通じゃないもの」に目を奪われると思う。

強い言い方をすれば「異質な物」。

「異質な物」が視界に入れば、僕だってソチラを見る。

「見る」思惑は、「警戒心」や「物珍しさ」だろう。

 

全裸のオッサンが街中を歩いていれば、僕は全力で警戒する。

「少し変わった服装」程度であれば、「あーいう格好が好きな人もいるのね」っとなる。

その差は、「普通」との振れ幅だと思う。

警戒と物珍しさ。

言い換えるなら、「受け入れられない」か「受け入れられる」かだと僕は考える。

受け入れられる為には、まずは普通を知る事が大事だと僕は考えた。

変なオジサン理論

 

「変なオジサン」と言うキャラクターをご存知だろうか。

今は亡き英雄、志村けんさんの作り上げたキャラクターだ。

僕は友人と、「何故、変なオジサンは面白いのか?」と論議した事がある。

  • 自分を「変」だと認めている。
  • 「変」さがK点を超えていない。

この辺りだろうと結論付いた。

ふたつ目に関しては、反対意見もあるだろうけど、そこはフィクションと言う事で目を瞑って頂きたい。

これって言うのは、「普通」が分かっているから出来る事だと思う。

 

変なオジサンが、自分が変だと認めていない場合。

「この人、変なんですー!!」と言われた所で「ふざけんな!!俺は変じゃねーよ!!」となるかも知れない。

そうなってしまっては、笑いなど起きない。

苦笑いはあるかも知れないが。

自分が変だと認める為には、「普通」の基準が必要だと思う。

その基準が分かっていれば、自分がどれだけズレているかが分かる。

そこから先はその人次第だろうが、少なくとも認める為には基準が必要だ。

 

K点を超えない為にも「普通」の基準は必要だ。

「普通」から離れ過ぎていれば、起こるのは「笑い」ではなく「ドン引き」だろう。

「普通」から「少しズレている」から変なオジサンは愛されるキャラクターなんだと思う。

 

志村けんさんは、これらを天才的なバランスで作り上げた。

だから「変なオジサン」は面白く、愛されるキャラクターになったのだと考えた。

この理論を、友人と僕は「変なオジサン理論」と名付けた。

僕が「生き易く」する為に。

僕は自分の格好くらい好きに決めたい。

極論を言ってしまえば、服なんて着たくない!!

しかし、それは「普通」からかけ離れ過ぎだ。

逮捕される。

 

僕は人間社会で生きている。

100%自分の都合では生きていけない。

ルールは守った方が良い。

人の都合も考えなくてはいけない。

さすがの僕も冠婚葬祭に半纏では行かない。

人間社会において、最低限の礼儀は必要だ。

 

「最低限を守ってるんだから、あとは好きにやらせてくれよ」

これが僕の言い分。

だから僕は半纏姿でウロウロする。

「自分の好きな姿でいる」と言う気持ちが「自信に満ちている」と受け取られるのだろう。

そうやって受け入れてくれているのだと僕は考える。

 

「普通」ではない格好をしていると認めているから、他人に見られようが笑われようが気にはならない。

むしろ、「僕のファンかな?」って思ってる。

僕の好きな物は、他人の目からは変わった物に映るのだろう。

他人は変えられない。

だから、奇異な眼差しを受けようが、「僕のファンかな?」で済ませた方が楽しく生きられる。

 

僕が20代の頃に比べて、今は随分と「生き易く」なった。

それは、自分の好きなものを知り、自分を好きになったからだと思っている。

自分勝手になり過ぎない様に、「普通」を知る努力もしたから受け入れてもらえてると思っている。

 

自分のありのままを受け入れて。

イケテない部分も受け入れて。

度が過ぎる部分は修正を加えて。

そうやって、これから先もへらへら生きたいなぁ。

4 COMMENTS

しもけん

素敵だと思います。

半纏って読みにくいから、ひらがなでも良いかもよ〜。
あとここはさすがに一枚で良いから画像が欲しいね♪

はんてん+下駄姿で大型ショッピングモールに買い出しに行くとか、常人にはなかなか出来ないから、文章だけだと即座にピンとこないかも。

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