僕の兄は、何度も自殺未遂をしている。
僕には「どれが自傷行為」で「どれが自殺未遂」だったのかはわからないけど、実際に病院の集中治療室に運ばれたことも何度かあった。
兄が何を思って「そういう行為」をしてきたのかはわからない。
あくまでこれは、僕が何を思い、何を感じたか。
そんなお話。
注意点
この記事を読んでくれている人の中に、自身が「自殺未遂」や「自傷行為」を抱えている人がいるかもしれません。
そんな人に、本題に入る前の注意点です。
僕は兄に対して、「思うところ」が多くあります。
強い言葉を使えば、兄を憎んでいる気持ちが今でも残っています。
そんな僕が兄の起こした自殺未遂の話を書くので、配慮の足りない物言いになります。
しかしこれは、「僕の兄」に対する僕の心情です。
「自殺未遂」や「自傷行為」をする人に対するモノではありません。
僕の発言は、あなたに対してではなく、兄に対してのモノ。
そこを別けて捉えていただけるとありがたいです。
自殺未遂なのか?自傷行為なのか?
僕が兄の「この手の話」を考える時、真っ先に頭に浮かぶのが、本当に死にたかったのだろうか?ということ。
兄は昔、僕たちが一緒に暮らしていた頃だから、僕が16歳、兄が19歳。
そのくらいの頃、僕に「こうすれば人は死ぬ。」という様な事をしょっちゅう話していた。
兄が心療内科に通い出したからなのか、それとも「いわゆるアンダーグラウンド」なサイトを見始めたのか。
理由はわからないけど、そんな話を僕にする様になった。
今思えば、兄のリストカットは、その頃あたりから始まったと思う。
兄のひとり暮らしや、後の僕のひとり暮らしで、僕たちが別々に暮らし始めた頃から、兄の自殺未遂は始まった。
それまでのリストカットの傷が深くなり、処方された薬をオーバードーズする様になった。
病院に搬送され、集中治療室での処置を受けた事も何度かあった。
母は、兄の自殺未遂の度に慌てふためいたけど、僕は違った。
「あー、はいはい。またやってら。」
この程度しか感じなかった。
心の奥に、兄に対する憎しみがあったからって理由もあるけど、兄に「死ぬ気」が無いと思っていたからだ。
僕が兄に「死ぬ気」が無いと思った理由はふたつ。
- 兄が話していた「こうすれば人は死ぬ」リストのどれでもないのがほとんど。
- オーバードーズの際、事前に誰かしらに連絡。
兄の自殺未遂は、ほとんどが「こうすれば人は死ぬ」リストには無かった。
「リスト」以外にも人が死ぬ方法なんていくらでもあるけど、僕は「死にたいなら何であの方法でやらなかったんだろ?」って思ってた。
病院に搬送されたのは、オーバードーズの方だった。
救急への通報が遅れた為、結構危ない状態だったらしい。
そこでも僕は、「事前連絡なんてしなければ、そのまま死ねたじゃん。」って思ってた。
兄はオーバードーズの際、事前に母や当時の恋人に「これから薬飲むから。」と連絡をしていた。
「このふたつ」から、僕は、兄の行動は「自殺未遂」ではなく「自傷行為」なのだろうと感じていた。(当時は自傷行為なんて言葉は知らなかったけど。)
「ただ、構って欲しいだけでしょ。」
と、僕は兄を軽蔑していた。
それは、本当に死ぬ気だった(であろう)、母や父の自殺未遂を見てきたからだと思う。
自傷行為
兄について知ろうと思い、色々と本を読んだりした。
その中には「自傷行為」についての本もある。
当然の事だけど、自傷行為にも「理由」がある。
「自傷行為」そのものに、色々と理由というか「その人のメリット」があるわけだけど、僕もあまり詳しくないので、ここでは控えようと思います。
兄について言えば、兄は「注目」されたかったのではないか?と思っている。
「注目」と言うと、言葉が合わない気がする。
「心配」とか「手を差し伸べて欲しい」とか、そんなのを求めていたんだと感じる。
その手段として、兄は「自傷行為」を選んだのだと感じる。
僕は、その手段を選んだ兄を軽蔑していた。
僕の人生は、兄に(だけじゃないけど)振り回されっぱなしだった。
嫌いだし、憎しみの気持ちもある。
その上で兄の自傷行為。
「まだ振り回すのか?」「入院費は誰が払うと思ってるんでしょうね?」
そんな気持ちが、兄の自傷行為を「駄々こねてるだけ」にしか見えなかったから。
だけど、「兄について知ろう」と調べていって、見落としに気が付いた。
僕は兄の自傷行為の「行為」と「結果」しか見ていなかった。
そこに行き着くまでの「経緯」や「過程」が抜けていたんだ。
自傷行為(自殺未遂)をする人が傷付いていないわけがないのだ。
そこに僕は気付かなかった。
というか、そんなモン見たくなかった。
僕と兄の関係は「被害者と加害者」。
僕は幼い頃、兄から酷い仕打ちを受けてきた。
「僕が被害者」で「兄は加害者」
無意識下で兄への憎しみを「原動力」にしていた僕は、「加害者の兄」が「かわいそう」では困ってしまう。
「かわいそうな人」に対して、憎しみ全開でいるのは難しい。
僕が兄を憎み続ける為に、兄には「タダのクソ野郎」でいてくれなくては困るのだ。
だから僕は長年、兄の自傷行為に至る「過程や経緯」から目を逸らしていた。
「過程や経緯」を知ってしまうと、兄がかわいそうになり、「憎しみを持てなくなる」のを無意識に恐れていたんだと思う。
全くの「無意味」に自殺や自傷行為をしようとする人はいないと思う。
兄にも絶対に理由があるはずだと思った。
と言うより、なんとなく「兄の心の傷」は勘付いていた。
兄を知るために、兄の心の傷を探っていこうと思った。
兄を知ろうとして
昔の僕は、自傷行為(自殺未遂)をする人に対して、少なからずバカにした気持ちを持っていた。
だけどそれは、「その人」に「兄」がチラついていたからだと、今ならわかる。
僕は兄を知ろうと、色んな本を読んだり、兄と同じ様な問題を抱えた人と話しをした。
実際に兄と話したわけじゃないから、当然、兄の気持ちはわからない。
兄の気持ちはわからないけど、「こう思ってたんじゃないか?」「心にこんな傷を負っていたんじゃないか?」
そうやって考えまくった。
今でも兄のことは許せていない。
だけど、過去や「僕の頭の中の兄」に対しては、許しとは少し違うけど、少なくとも同情はしている。
「まぁ、しょうがなかったよね。」
「あんたもギリギリ(アウト)だったんだもんね。」
と、兄に対して思える様になった。
自殺未遂について、僕が思うこと
僕は、死にたいと思ったことは1度もない。
だから、自殺を試みる人の気持ちはわからない。
ある人は「毎日、本気で死にたくて(無になりたい)たまらない。」と言った。
やはり僕には、その気持ちを理解することができない。
だけど、「死にたくて死にたくてたまらない人」が、そんな気持ちを抱えながら生きるというのは、本当にツラいことだろうなとは想像できた。
「リストカットで死ねないけど、死にたい自分を殺せる。」という話しを聞いた時は、頭が混乱した。
そんなにもボロボロに傷付いている人を、僕はバカにすることなんてできなかった。
「周りに迷惑ばかりかけてツラい。」と、その人は言った。
迷惑かけているのは事実だろう。
だけど僕は、その人を本当に凄いと思った。
そんなにも死にたい人が、今現在生きている。
「生きること自体がツラい戦い。」その中をモガキながらも生きているのは、僕にも耐えられないだろうと思う。
その人は「こんなことをする自分はダメな人間だ。」と言った。
僕に言わせれば、そんなにも「ボロボロな状態で生き続けている」だけで充分凄いことだと思う。
兄の気持ちはわからない。
だけど、兄も「そう」なのだとしたら、兄の自傷行為(自殺未遂)をバカにすることはできないなと思う。
何度も言うけど、僕は兄を許せていない。
だけど、過去や「僕の頭の中の兄」に対してなら「それはツラいね。」と声をかけてあげられる。
正直、最近は「兄」のことは許さなくても良いんじゃないか?と思っている。
「リアル兄」のことは許せなくても、「僕の頭の中の兄」を許せれば良いんじゃないかな?と。
僕の目的は、僕の心の傷を癒すこと。
兄を許すのは、あくまで「手段」なんだ。
自傷行為(自殺未遂)をする人の話しを聞いて、そのツラさを知る。
「脳内兄」も、こんなツラさを抱えていたんじゃないかと想像する。
「脳内兄」を許す(寄り添う)気持ちが出てきて、僕自身、凄く楽になった。
こうやって傷が癒えていくのだろうと思う。
最後に
僕に「自身のツラい話」を聞かせてくれた人達がいます。
この記事を読んでくれているかは分かりませんが、本当にありがとうございます。
あなた達の話を聞いて、僕は、また1歩前進することができました。
僕にはあなた達を癒すことも救うこともできません。
もらってばかりで、本当に申し訳なく思います。
みなさん、「自分は無価値だ。」という様なことを言っていました。
それは違います。
少なくとも、僕にとっては大きな価値のある話をしてくれました。
なんの慰めにもなりませんが、「そのこと」は覚えてもらえると嬉しいです。
またお話ししてもらえたら嬉しいです。
ありがとうございます。
チッタさんの兄は私の兄だった!?
いつまた何かやらかすかビクビクです😨
「やらかす」ってのは、そういう意味でしたか!
僕の場合は兄と距離を取って、と言うか、おそらく二度と接触する事も情報が入ってくることもないですからねぇ。
だから今の考えになれる様な余裕が出ましたけど、一緒に暮らしてるとなると。。
自分の住処が自分にとって完全な安全地帯じゃないツラさは僕にもわかります。
お兄さんの状況は知りませんけど、エキノさんの言う不安はなんとなくわかります。
ツラいですね。。