呪いのノートって何よ?
簡単に言うと過去の日記。
作成当時は、特に名前は無かった。
作成から随分経って、改めて見返した時に思った。
「あ、これ、世に出しちゃダメなやつだ…。」
自分自身でドン引いた。
だから「呪いのノート」と、名付けた。
「呪いのノート」は僕の人生において、とても重要な物になった。
呪いのノートを作成したことにより
- 自分の感情を正しく認識できるようになった。
- 自分がどれだけ傷付いているのかが分かった。
- 自分や自分の過去を客観視することが出来た。
呪いのノートをどうやって作成したのか。
呪いのノートを使って何をしたのか。
今回は、そんな話です。
注意
これは認知(行動)療法という精神療法に近いです。
そうとは知らず、特に何も学ばずに自己流でやっていました。
僕のやり方は皆さんには推奨しません!!
精神療法を学んだり、専門家の助けを借りることをオススメします。
僕の体験談が興味のキッカケになればと思います。
呪物作りのキッカケ
僕は、20代前半から半ば頃まで、完全に迷走していた。
当時で言う「リア充」。今だと「陽キャ」って言うの?呼び方はよく分かんないけど、その辺に憧れてた。
「リア充」とか「陽キャ」ってのもよく分かってないんだけどね。
自分がやりたい事、どう生きていたいかより、他人からどう観られたいかを優先してたんだと思ってる。
でも、なんかしっくり来なかった。
日常生活やらバイト先でもイライラしてる事が多かった。
「リア充」にはなれない自分とか、常にイライラしてる自分が嫌で、自分があまり好きじゃなかった。
変な焦りや不快感でイライラして、そんな自分が嫌で、またイライラして。
悪循環に陥っていた。
そんな時、「アダルトチルドレン」やら心理学やらを勉強していた友人が、前に日記を書く事を勧めてくれたのを思い出した。
なんとなく、日記をつけてみる事にした。
日記と言っても、その日の出来事を記録したわけじゃない。
「その日、上にも下にも感情がブレた出来事」を携帯にメモった。
そのメモを、月に一回総評した。
この日記のつけ方は、本当になんとなくやってみたやり方だった。
これが凄く良かったと思ってる。
メモった日から間隔を空けた事によって、自分自身で客観的に見る事が出来た。
コイツの人生、ツマンなそうw
この時点でメモに書かれているのは、「出来事」と「感情のブレ」だけ。
例えば
◯◯達と飲みに行った。話がウケて楽しかった。
って感じ。
「あー、確かに、あの日は楽しかったなー。」程度の感想。
そんな感じで一月分の感情のブレを眺めた。
ヤダ私ったら、イライラしっぱなし…。
楽しかった事よりも、「イライラした」「ムカついた」ってな感じの感情のブレが圧倒的に多かった。
コイツ(僕)の人生、ツマンなそうだなw
そう思ってしまった。
まるで他人事の様に、思わず笑えてしまった。
「コイツ、何にそんな不満持ってんの?何にそんなイラついてんの?」
そう思えたのは、メモった日から間隔を空けて、自分を客観視出来たからだった。
なんか、コイツ(僕)に興味が出てきた。
「コイツが何を感じているのか探ってやろう(・∀・)ニヤニヤ」
僕は割と、こう言った性格の悪い楽しみを持っている。
感情の答え合わせ
人の記憶ってのは、かなり曖昧。
都合良く書き換えられたり、勘違いして記憶していたりする。
特に感情の部分は、そのバグが強く働く様に思う。
まず、「その日」の事を記憶から掘り返した。
先程の、「飲みに行って、楽しかったな」ってやつを例にします。
「誰がいたっけなー。」「どんな話ししたっけなー。」
なんとなく思い出せたら、「話がウケた」時の事を、出来るだけ思い出す。
特に感情の部分は、最も細かい部分まで掘り下げた。
どのタイミングが一番楽しいと感じたか?
「楽しい」を、その時感じた最も近い感情に言い換えられないか?
その飲み会の話で言えば、僕の話がウケて「チッタの話は面白いなぁ」と褒めてもらった。
そのタイミングが一番楽しかった。
「楽しいかった」と言うより「嬉しかった」
感情を掘り下げて思い出すと、「嬉しい」と言い換えた方がしっくり来た。
僕は自分の事を「褒められて喜ぶガラじゃない」と思っていた為、「褒められて喜ぶ自分」の存在に意外性を感じた。
そんな一面もあるんだなぁって。
そんな作業を続けていくと、
どんなタイミングで感情がブレる。
その事で自分にどんな感情が湧く。
どんな事に喜びを感じる。
どんな事に不快感を感じる。
自分がやりたい事、やりたくない事が明確になってきた。
自分という人間が見えてきたのを感じた。
その頃になると、自分の迷走具合が良く分かった。
僕はどうやら、「リア充」と言う生き方は性に合わないらしい。
勘違いに気付いた
例えば「イライラ」した事。
僕は当時、高校生(くらいの子)が嫌いだった。
当時、コンビニの夜勤をしていたんだけど、夜中にたむろってる高校生とかにイラつく事が多かった。
店の前をゴミとかで荒らされるって実害があったからか、その「イラつき」は「怒り」だと思っていた。
でも、イラつきの主な原因はそこじゃなかった。
「こんな時間に遊んでやがって。」
「ギャーギャーケラケラうるせえな。」
こんな感じの事にイラついてたらしい。
客観的に見て、気付いた。
これ、嫉妬じゃね?
「俺がツラい目に遭ってるのに、コイツらは楽しそうにしやがって…。」
「コイツらは家庭がちゃんとしてるから遊んでられるんだ!!」
つまり、楽しそうにしてるのが羨ましい。
夜も安眠できる、「ちゃんとした家庭があるコイツら」が羨ましかったんだ。
彼らに向けていたのは「怒り」じゃなくて「嫉妬」だった。
まぁ、似た様なもんかもしれないけど、その差は大きいと思う。
「楽しいかった」のではなく「褒められて嬉しかった。」
「怒りを感じた」のではなく「ミスを指摘されて悔しかった。」
そんな「感情の答え合わせ」が楽しくなり、この作業にハマっていた。
認められないもの
ここでオカシナ点がある。
先程の「たむろしている彼ら」の事だ。
彼らが楽しんでいたのは間違い無いだろう。
しかし、彼らの家が「安眠出来るちゃんとした家庭」である証拠はどこにも無い。
勝手な決め付けである。
夜中にたむろしてる子達だ。
むしろ、家庭に問題を抱えている可能性が高い。
だけど、その可能性を直視出来なかった。
「自分は恵まれない家庭で育ったし、その中で生き抜いた。とても凄い人間なんだ!!こんな恵まれたヤツらは大した事ない!!」
そんな事を考える自分に薄っすらと気付いていたものの、認める事が出来なかった。
作業を進めて行くうちに、「見ないフリ」している事、「直視したくない」事が、気付かないフリが出来ないほど見つかった。
見たくなくても見えてしまう。
これって何なんだろう?
見たくはないものだけど、好奇心が勝った。
「自分の中の直視したくない部分」をより分け、客観的に眺めてみた。
共通していたのは、「普通の(問題の無い)家庭で育った人間は大した事がない。」と言う歪んだ価値観。
その価値観に対して
- 見下す相手が問題の無い家庭で育ったか?
- 問題の無い家庭で育った人に、凄い人はいないのか?
- そもそも、他人を見下せる程、自分は凄い人間なのか?
主にこの辺を直視したく無い様子だった。
この作業をしていた頃、僕は20代半ばでひとり暮らしをしていた。
家を出た自分には、もう家族のことは関係無い。
過去に家族から酷い仕打ちを受けていた事は分かっていた。
でも、それは終わった事であり、自分は何も気にしていない。
家族のことは嫌いだったけど、今更、過去を掘り返してグチグチ恨み言を並べるのはカッコ悪いと考えていた。
「自分はもう気にしていない。」
本当にそうだろうか?との疑問が生じた。
僕のイライラには、自分の家庭問題が絡んでいた。
誰かに、僕の父、母、兄の似た部分を見つけると、問答無用で嫌いになった。
ものごっつ家族に囚われたままだ。
「カッコ悪いけど、全部吐き出してみようかな?」
そう思って、家族に「された事」をノートに書き起こして見ることにした。
過去の追体験
この作業を始める頃には、自分を「客観視」するのが楽しくなっていた。
だから、「過去の記憶」を書き起こす際も「主観」を捨てて、「ありのままの事実のみ」を書き起こす様に努めた。
やはりと言うか、兄にされた事が殆どだった。
殴られただの、10秒以内に立ち上がらないと蹴られただの…。
「兄にされた事」でノートが埋め尽くされた。
ここで気を付けたのが、「殴られた理由」を書かない事。
兄にペナルティを課せられた場合は「ペナルティ」として分類した。
理由を書いてしまうと、「兄の機嫌が悪かった」とかって言う、僕の主観が入ってしまうから。
実際に機嫌が悪かったからかも知れないけど、兄なりの理由があったからかも知れない。
確かめようのない事は排除して書き殴った。
「された事」とは別に、「された時の感情」を書き足していった。
ここでは徹底して「主観的」に。
「過去の自分」が何を感じたのかを、とにかく細部まで掘り返した。
出来るだけ「過去の自分の感情」を書きだす為に、あえて客観性は捨てた。
とにかくとにかく思い出す。
「イライラ」とか「ムカついた」はダメ。
「イライラムカつく」は、言語化出来てない感情の総称だと僕は思ってる。
「イライラムカつく」を「水」と例えるなら、水の元素である水素や酸素を探す感覚だ。
感情は複数個書いて良い。
むしろ、もっとないか?と思い出しまくる。
怖かった悲しかった痛かった怒りが湧いた痛かった悔しかった
この辺は自分の語彙力と相談しながら、出来るだけ「感情の元素」みたいなもんを書き殴った。
この作業はツラい。
そりゃそうだ。
過去のツラい出来事を、より明確に記憶から掘り起こす訳だから。
かなり精神をやられた。
この作業には楽しさを見出せなかったので、この「日記もどき」の作成をこの段階で辞めた。
呪いのノート
日記もどきの作成を辞めた僕は、日常に戻ったと言うか、パワプロばっかやってた。
本を読んだりもしてたんだけど、イマイチ自分の読みたいジャンルの本も分からず、モンモンとしてた。
そんな時、「itと呼ばれた子」と言う本に出会った。
この本は、虐待を受けて育った筆者の自伝。
「創作」だのと、色々と言われてる本であるが、仮に創作だったとしても読み物としてとても面白い。
おススメします。
この筆者は、なんやかんや成長して、最後には酷い虐待をしていた自分の母に「あなたを許します」と、心から母を許して、それを母に告げた。
心の底からカッコいいと思った。
こんな風に自分もなりたいと思った。
その頃は、自分が虐待を受けていたなんて思っていなかった。
「虐待って程じゃなかったよね」って感じ。
酷い環境にはいたけれど、家族のそれぞれに事情があったし、仕方ないよ。
「グチグチ言ってるのはカッコ悪い。許すとか許さないとかじゃなくって、そもそも気にしてないよ」
我が家の偽りの優等生であった僕は、「そう考えなくてはいけない」と、無意識に縛られていたんだと思う。
けれど、その気持ちは「日記もどき」によって偽りだと気付いた。
家族に対して憎しみでいっぱいだった。
家族を許す為には何が必要だろう?
そう考えた。
考えた結果、第一歩として、家族への憎しみの根源に向き合おうと考えついた。
もう一度、過去の自分と向き合おう。
そう考え、再び「日記もどき」を手に取った。
「日記もどき」を投げ出してから数ヶ月、1年くらい経っていたかも知れない。
平常心での対峙は不安があった為、お酒のチカラを借りた。
まずは客観的に眺めよう。
数ページ目を通した。
あ、これ、アカンやつだ…。
絶対、世に出しちゃダメなやつだ…。
書いていた内容は殆ど忘れていた。
「そこ」に書かれていたのは、呪詛そのもの。
怨みや憎しみと言ったドス黒い感情で埋め尽くされたノート。
禍々しいオーラすら漂っている様に見えた。
これは酷いw
ここまでだったか。
「この呪物で人を呪い殺せるんじゃないか?」と思う程のシロモノだった。
自分自身の怨念にドン引いた。
この「日記もどき」を「呪いのノート」と名付けた。
自分の傷の深さ
やはり客観性は大事だ。
お酒のチカラもあり、その呪いのノートを冷静に眺める事が出来た。
兄にされた事を見ていく。
幼いチッタが何を感じたのかを見ていく。
まるで、知らない誰かの日記を読む様に、呪いのノートを読み進めた。
客観的に見てみると、やはり僕の育った家庭は酷い。
日常的に浴びせられる身体的な暴力。
まともに息をする事さえ許されない、徹底された支配。
安眠どころか、仮眠さえも邪魔される環境。
僕が助けを求めたい存在は、僕を害なす人間を守ってばかりだ。
この「チッタという少年」が可哀想だと思った。
コイツ(チッタ)、傷だらけでボロボロじゃないか!!
僕は、自分が傷付いているなんて思ってなかった。
「あんなヤツら(家族)のした事で、傷ついたりなんてしねーよw」と、虚勢を張っていただけだったのだ。
歪んで当然だ。
弱音を吐く事を許されず、虚勢を張る事でしか自分を守れない。
虚勢を張り続ければ、いずれ傷の痛みは忘れる。
忘れてるだけで癒えてはいない。
痛いままなのだ。
呪いノートのおかげで、自分の心の傷の深さに気付いた。
自分との対話
ボロボロの状態で、怒り狂い、泣き叫んでいる「過去の自分」を愛おしく感じた。
こんなにボロボロになりながら、それでも目立った非行に走らず、「死」という選択肢を選ばなかった自分に感謝した。
僕は当時から、自分が歪んでいる自覚はあった。
でも、上出来じゃないか。
もっとひん曲がった人間になっていてもオカシクない環境だった。
僕は呪いのノートに書かれた、「過去の自分」に対する意見を書き足す事にした。
「それはツラいな。怒って当然だ。」
「そうだね。本当は守ってほしかったわな。」
「そこはお前の方がどうかと思うよ?」
こうやって、「過去の自分」と「今の自分」で対話する作業が始まった。
過去の自分はとても傷付いていて、可哀想なヤツだ。
しかし、イケてない部分も多々ある。
イケてない部分には、「それは良くないよ」と注意してやる。
しかし、そのイケてない部分は、当然、今の僕にも存在する部分だ。
本来なら目を背けたい汚い部分。
だけど、傷付いた「過去の自分」の手前だ。
「今の自分」が目を背けては、全てを曝け出してくれた「過去の自分」に示しがつかない。
これまたシンドイ作業だったけど、自分のイケてない部分も直視して受け止めていった。
チッタはへらへら生きたいから
上手くタイトル回収出来たはずw
「呪いのノート」は、「チッタがへらへら生きる」為の重要なツールになりました。
呪いのノートを使って、僕が実際に行った事。
- 自分が何を感じるのかを知る。
- 自分が何に不快感を感じるのかを知る。
- 自分の不快感の根源をしる。
- 自分の傷の深さを知る。
- 自分という人間の事を知る。
こういった作業によって、自分がどう生きたいのかが見えました。
別にリア充になりたかったんじゃない。
他人に生き方を評価されたかった訳でもない。
チッタはへらへら生きたいんです!!
僕の考える「へらへら生きる」というのは、何も考えずに生きる事ではありません。
やりたくない事はなるべくしない。
どうしても避けられないのなら、そこに楽しみを見出す。
多少の事では動じない。
厄介な事になる前に解決出来るチカラを身に付ける。
平穏な日常ならニヤニヤへらへら。
何か問題が起こっても「順当にひとつずつ片付ければ、なんとでもなるでしょw」と、ニヤニヤへらへら生きて行きたい。
へらへら生きる為には、自分を好きじゃないといけないと思う。
だって、自分の事嫌いだったら、へらへらしてらんないでしょ?
自分の事を好きになるには、自分のイケてない部分にも直視しないといけない。
直視しないと直せないから。
自分の嫌な部分は他人には直せない。
気付かせてくれたりはするだろうけど、直視するか目を背けるかを決めるのは自分だし。
本当に嫌な部分なら、直す努力をすれば良い。
直視した結果、「それも自分だ」と許容出来るなら、認めてあげれば良い。
その選択だって、自分が決めることだもの。
今回紹介した「呪いのノート」は「自分編」です。
他にも「家族編」があったりします。
家族編には、精神医療の知識が必要と感じました。
呪いのノート以外の話でも、経済的問題やらと、問題は山積みです。
へらへら生きていく為には、まだまだチカラが足りていないと感じています。
だけど、呪いのノートは
- 問題を認識するチカラ
- 問題を直視するチカラ
- 問題解決へ行動するチカラ
を、少しずつだけど、そんなチカラを付けてくれた実感があります。
呪いのノートは、とても大切な人生の相棒。
将来、僕と一緒に焼いてもらおうと思ってますw
今回は、そんな「呪いのノート」のお話でした。