僕は職場なんかでは、あまり会話をしない方だ。
話しかけられれば「その会話」には乗るけど、自分から話しかける事はほとんど無い。
何故か?
めんどくさいから。
多分、そういう人は少なくないと思う。
「会話が苦手」と一言で言っても、理由は様々だと思う。
「何を話したら良いのかわからない」とか、「相手を不愉快にさせたらどうしよう…。」とかって気を使い過ぎちゃったり。
僕の場合。
耳が悪いから。
単純に気力の消耗が激しいのよね。
だから「めんどくさい」の。
そんな話。
チッタの聴力
僕は耳鼻科から「聴力レベル70歳」の称号をいただいている。
「聴力レベル70歳」が、どんな聴力なのかを説明するのは難しい。
「感覚の話」になるし、そもそも僕は「聴力レベル20歳」を知らないから、比較する事も出来ない。
日常生活を例に挙げてみれば、「テーブルを挟んだ会話」が難しい。
だけど、これは「相手の声量や話し方」によっては、僕以外でも難しいと思う。
「この説明」では、僕の感じている「世界」を伝えきれていない気がする。
そこで、僕が「自分の聴力」を伝える際は、こう説明している。
アパートの室内で、隣の部屋の会話を盗み聴きしているのを想像してください。
僕の「素の聴力」はそれに近いと思う。
つまり、テーブルを挟んで会話する場合、相手との間に「薄い壁」が一枚挟んであると考えてもらえるとわかりやすいと思う。
この感覚も「こんな感じじゃないかな?」って話なんで、実際のところはわかりませんがね。
声質
僕の耳には「得意な声質」と「苦手な声質」がある。
- 音
「高い声の人」「低い声の人」
僕は「音の高さが極端な声」が苦手。
どちらも聞き取りにくいんだけど、どちらかと言えば「高い声」の方が聞き取りにくい。
だから、「女性の声」の方が聞き取りにくい場合が多い。
これは「声の大きさ」はあまり関係なくて、大きい声でも「高い音の声」だと、聞き取るのが難しい。
逆に「低めの女性の声」は、僕の耳に波長が合うらしくて、「一般的な男性の声」より聞き取りやすい場合がある。
- 話し方。(発声)
「ごにょごにょ」とか「ボソボソ」とかって「表現」があるけれど、こういう話し方はホント何言ってるかわかんない。
僕は「言葉の輪郭がハッキリしてない」って表現してるんだけど、つまりは「子音」がハッキリしていないんだと思う。
例えば「さ し す せ そ」の子音の「S」がボヤけた話し方をする人。
「し」で言えば、子音の「S」+母音の「i」で「し」って発音になるわけだ。
母音の「i」は聞き取れるけど、子音の「S」が聞き取れないから、「き し ち に ひ み 」のどれなのかがわからないんだ。
こういう話し方の声質はホント何言ってるかわかんない。
モールス信号聴いてる気分w
それっぽいこと書いたけど、こういう話し方が聞き取りにくいのは誰だって同じだと思う。
逆に、声を張って話しているつもりなのに「もっとハッキリしゃべれ!!」って言われる人は、「子音」を意識して発声すると伝わりやすくなると思う。
「子音の発声」は口の動きが重要なんだと思うんだけど、最近はマスクしてる人がほとんどですよね。
マジやっかい。
難易度上がりまくりw
あくまで「僕が聞き取りにくい声」という話です。
そういう声の持ち主が嫌いなわけじゃないし、「もっとシッカリ発声してよ。」って責めるつもりも全くありません。
そこは勘違いしない様にお願いします。
聞き取れない僕はどうするか
勘で会話をする。
つまり、「相手が何を言ってるか」を予測して会話をするわけだ。
「はぁ?出来るわけがないだろ。」って思うでしょ?
正解ですw
会話なんて成立しません。
まぁ、10割聞き取れないわけじゃないんで、聞き取れた2割くらいの情報を頼りに戦うわけですわw
「2割の情報」から、その話が「笑い話」なのか「マジメな話」なのかを予測して、「相槌をうつ」のか「愛想笑い」をするのかを判断するのだ。
これね、めちゃくちゃ疲れるの。
しかも、「判断」を間違うと気まずい。
僕はエスパーでもなければ天才でもない。
「相槌をうつ」場面で「愛想笑い」してしまう失敗もする。
すると、どうなるか。
まぁ、想像してみてください。
マジメな話してるのに、いきなり笑われたら不愉快でしょう?
「え?今の笑うところ?」「この人、何考えてるの?」
そんな空気になる。
「予測して会話」なんて疲れるし、「変な空気になる」のもめんどい。
だから、会話そのものが「めんどい」し、「オックウ」なの。
僕が会話したい人
ある程度の時間の付き合いがある人は、僕の聴力が弱いことをわかってくれている。
僕の方から伝えている場合もあるけどね。
だから、「聞き取りやすく意識して」話してくれてると思う。
相手の心遣いの他に、僕自身が慣れてくることもある。
僕は、まだ出会って間がない人と話す時、かなり集中して「声を聞き取ろう」とする。
そうしていくと、だんだんと「脳」の方が「その人の声」に慣れてくる。
「発声の特徴をつかむ」といった感じかも。
「声」が聞き取れなくても、なんとなく「こう言っているんだろう」ってわかってくる。
もしかしたら、「違う言語」の人と話してる感覚に近いかもしれない。
だけど、これも万能じゃない。
なんとなくの意思疎通は出来ても、細かい部分はわからない事がある。
やっぱりめんどくさい。
仮に、みなさんが「別言語」の人と会話をするとしよう。
かなり難しい作業になるし、頭も神経もフル使用で疲れると思う。
それでも「その人」と会話をしたいと思う場合、「その人」に何かしらの「高い魅力」を感じたからだと思う。
「高い魅力」を感じたから、「もっと会話したい」とか「もっと仲良くなりたい」って努力出来るんだと思う。
僕の場合、同じ言語の日本人ですらも「聞き取る努力」が必要なんだ。
だから「なんとなく」な会話、雑談があまり好きじゃない。
それすらも疲れるし、ストレスを感じるから。
こういった「疲れ」や「ストレス」を感じない人と「だけ」会話をしたいと思ってしまうんだ。
補聴器を買った。
僕が会話をしたいと思う人。
- 声質の波長が合う人
- 高い魅力を感じつつ、ある程度声質の波長が合う人
つまり、「高い魅力」を感じていても、声質が合わないと会話がめんどくさい。
これはとても「もったいない」事だと思う。
話はズレるけど、僕は「裁判傍聴」に通う趣味があった。
今では、凄く勉強になるモノだと思っているけど、「初めて行った裁判傍聴」は、実はあまり楽しめなかった。
全然聞こえなかったから。
裁判傍聴は「聞くこと」がメインだから、「聞こえなくて」つまらないのは当然だろう。
幸い、友人と行ったために、後から友人に概要を聞いて興味を持つ事が出来た。
だけど、「ひとりでも行こう。」とは思えなかった。
「耳が悪い」という僕の「性質」のせいで、有益なチャンスを逃していたんだ。
裁判傍聴は趣味だけど、僕の「性質」のために逃した「人間関係のチャンス」も多いと思う。
魅力を感じるけれど、「声質が苦手だったから関わりを持とうと思えなかった人」も沢山いるしね。
もっと言えば、相手の魅了を知る前に「めんどくさいから。」と言って、ロクに話もせず、魅力に気付けなかった相手も沢山いると思う。
そんなこんなで、僕は補聴器を買った。
3万くらいの安っすいやつ。
20代後半の頃、「お金で解決出来るコンプレックス」は、潰していこうと行動していた時期があった。
モチロン、経済的に手が出せる範囲でね。
例えば、自動車の運転免許。
僕は、地味に「自分が免許を持っていないこと」に、コンプレックスに近いモノを感じていた。
免許取得に必要なお金は手の届かない金額ではなかったから、「心のモヤモヤ」を解消するために取りに行った。
運転免許と同じように、「聴力に関するモヤモヤ」を解消するために補聴器を買ってみたわけだ。
これ、凄いw
「こんなに聞こえるモンなの!?」って驚いた。
この世界は、僕が思っていたよりも「音」で溢れていた。
逆に言えば、うるせえw
補聴器とかいう超絶アイテムを手に入れた僕は、裁判傍聴も楽しめる様になった。
何より、会話することによる「疲労」や「ストレス」が格段に減った。
僕は、「会話がめんどう」だけれど、「業務連絡」を勘で済ませる様なマネはしない。
流石に業務連絡は聞き取れなければ何度でも聞き返す。
僕はこの「聞き返す」という行為に強いストレスを感じていた。
家庭事情から来るトラウマみたいなモンだ。
詳しくはこちらをご覧ください。
職場の上司が、たとえ「良い人」出会っても、話し方が苦手であれば、それだけでストレスだった。
そんな仕事上でのストレスも解消出来てしまった。
これは嬉しい誤算だった。
聴力を手に入れて
僕が補聴器を使い始めて、会話したいと思える人が増えた。
今働いている職場に、「この人、面白い人だなぁ。」と思う人がいる。
年配の男性なんだけど、かなりの「ハスキーヴォイス」な声質の持ち主。
僕が最も苦手とする声質だ。
補聴器が無かったら、僕は会話を避けていたであろう人なんだ。
補聴器を買ったことによって、こういった「出会いのチャンス」を掴む機会が増えていった。
だけど、僕の持っている補聴器は、所詮安物。
色々と残念な点がある。
- 音量レベルの限界
- ハウリング
- ナンデモカンデモ音を拾う
- 音量レベル、ハウリング
音量レベルに物足りなさを感じることが多いし、限界まで音量を上げると「ハウリング」を起こす。
マイクや拡声器から「ファぁぁ〜ん」って音が鳴り響く場面を見たことがあると思う。
アレが耳に直接鳴り響いて不快な思いをする。
- ナンデモカンデモ音を拾う
ちゃんとした「ウン10万円」する様な補聴器ってのは、「購入しました。ハイ、おしまい。」ではない。
実際に使用して、「その人に合わせて」技師と調整していく作業がある。
話し声だったり、その人が必要とする「音」に焦点を合わせて、必要な「音域」の感度を上げ、不必要な雑音の「音域」の感度を下げる。
こういった微調整を重ねていって、「その人の必要な聴力」に補聴器を合わせるらしい。
しかし、僕の持っている補聴器は「近くの話し声」から「遠くの大きい騒音」まで拾い、全ての音を増幅して僕の耳に届ける。
こういった場所では、かえって補聴器なしの方が「相手の声」が聞き取りやすかったりする。
安物の限界なのだろう。
問題点もあるけれど、僕は「安物」でも補聴器を手に入れて事によって、生活が楽になったし「チャンス」を逃すことも減ったと思う。
会話がめんどくさい
僕が補聴器を買ったことにより「会話のめんどくささ」は格段に減った。
と、言うか、「会話そのもの」がめんどくさいのではなく、「耳が悪いことから発生するわずらわしさ」がめんどくさいのだとわかった。
だけど僕は、今でも職場では自分から話しかけに行ったりはしない。
やっぱりめんどくさいんだw
休憩中は本を読んだりしていたいのもあるけれど、やはり「会話のめんどくささ」を持っている気がする。
別に、「会話のめんどくささ」で困っているわけじゃないんだけど、ただ、「なんでめんどくさいんだろう?」と不思議に思う。
僕は、こういった「言語化出来ない気持ち」を明確にしたい。
「動機の言語化に、その人の本質がある。」と、とある団長が言っていた。
その通りだと思う。
動機や気持ちを言葉に表す「言語化」は高いレベルの「認識」にあたる。
動機や気持ちを「言語化」する事が、自分を知る重要な作業だと思う。
「(ある程度の)聴力を手に入れたのに、会話がめんどうなのは何故?」
「もっと良い補聴器を買えば、めんどくささはなくなる?」
「もっと別の部分にめんどくささを感じているのでは?」
「会話のめんどくささ」は、割とどうでも良いと思っているけど、「自分をもっと知りたい!」と思う気持ちが強い。
だから、「何故?なぜ?ナゼ?」と、自分に問いかける。
自分自身と会話しまくる。
あぁ、めんどくさい。
画像が分かりやすくていい感じだね🙂
頑張った👍
私の声は大丈夫ですか?
私は逆に間が嫌いなので話しかけてくれると助かりますね!
ヘッドホン補正があるので実際に対面した場合はわかりませんが、聞き取りやすい発声だと思いますよ。
言葉の輪郭がしっかりしてると思いますし、話す速度もゆっくりした話し方なので、聞き取りやすくて助かっています。
因みに僕は、「この人、間を嫌がってるな。」と感じた時、あえて間を作って反応を楽しんだりしてますw